Episode31 第四夜 - 受け継がれた魂
そのとき広間に銃声が轟いた――。
反射的にロアは両手に双剣を作り、戦闘の構えに移る。
リンピアも一歩遅れて音の方に振り向いた。
広間では狂人化したカレルが暴走を続けている。
その相手を引き受けたのは、実の祖父であるパウルだった。その二人の交戦が終わらない限り、この第四夜の怪異から抜け出すことができない。
そして第五夜へも進むことができない。
それはリンピアも感じていたし、ロアも理解していた。
「――くっ」
広場に散りばめられた台座を弾避けにして応戦していたパウルだが、とうとう銃創の数も目に見えて増えていた。
動きも鈍くなり、表情は曇っている。
一方でカレルのライフルは弾倉が無尽蔵なのか、その銃声が止むことはない。
それどころか、ライフルの形状はカレルの憎悪の形がそのまま具現するかのように、時には自動小銃に変化して乱射し、時には散弾銃に変化して破壊力を増したりと砲身が変幻自在だった。
「なにあれ。反則じゃない」
「あれが七つ夜でのカレル・ロッシの能力だ」
「パウルさんを……助けよう……か?」
先ほどのやりとりで、リンピアもロアに手助けを提案できなかった。
ロア・オルドリッジという男は何事も要領よく熟してしまう。
それが苦悩となって彼自身を蝕んでいる。
「パウル・ロッシは自分に任せろと言った。加担すれば彼の自尊心を踏み躙ることになる」
パウルは自らけじめをつけると云った。
その気持ちを尊重して加勢しない。
……だが、それでは戦況は平行線を辿るだけだ。
「別の方法がある」
「別の方法?」
「この広間がアザリーグラードの『台座の間』を模したものなら台座も台座として機能するはずだ」
「……台座が何になるの?」
「これらの台座は古来の封印式だったそうだ。
当時の戦犯を城ごと封印するためのな。
リルガ・メイリーはどうやら"こちら側"の者のようだし、彼女が当時のアザリーグラードの迷宮を知る人物だと仮定すると、台座の仕掛けも本物に近しい状態で再現しているだろう」
ロアは言い終えると、両手の剣の形状を変化させて広間の四隅をなぞるように急に疾走し始めた。そして所々に設置された台座へ、生成された赤黒い剣を突き刺して走り回った。
リンピアにはロアが何をしているのか、何一つ理解できなかった。
台座は何かの封印として機能している。
そしてその仕掛けを解くということは、簡単に云えば、何かの封印を解くということなのだろう。
それがパウルの手助けになるのか?
疑問符ばかりが浮かんだ。
「……!」
ロアが5つ目の台座に赤黒い棒状の生成物を突き刺し終わると、広間全体が大きく振動し始めた。
足元が崩れ、体勢を保てずにふらついた。
カレルやパウルの2人も同じだった。
「なんだっ!?」
銃声は鳴り止み、振動音だけが響いていく。
そして、広間の天井や壁が急に溶け始めた。
隔たりが消え、外側は白い空間しか見えない。
「やはりな」
気づけば、ロアはリンピアの隣に戻っていた。
リンピアのよろける体をさりげなくロアは支えていた。
「部屋の中央を見ろ。床がドロドロに溶けて大穴が空いている。当時の大迷宮と若干の差異はあるだろうが、やはり今ので封印が解けたんだ」
「ロアくん、これ……何が起こるの?」
「封印されていたモノが蘇る。多分」
「封印?! ていうか、なんでそんな混乱を招くようなことするのよっ」
ロアは返事をせず、先ほどまで銃撃戦を繰り広げていたカレルとパウルの2人を視線を投げた。
リンピアもそれに倣って2人に注意を向ける。
2人は中央に空いた大穴を凝視していた。
お互いの無為な戦いは一時休戦していた。
「……ふぅ……ふぅ……」
カレルは肩で息をしていた。
七つ夜の怪異にわたって、彼はずっと狂人じみた笑いを続けるばかりだったのに、それはもう止んでいた。
言葉を発することはなくとも、大穴から今にも姿を見せようとする何かに注意を向け、カレルは思考を巡らせていた。
――大穴から"死神"が現れた。
襤褸の外套を被り、骸骨のような能面の、リッチという魔術師の成れの果て。
膨潤な魔力を持った魔術師が、死後もその身に魔力を留め続けた結果、肉体が変質化した姿がアレの正体だった。
「ロアくん、あれ……ガロア遺跡で現れたリッチと同じやつよね?」
「――のようだな」
ロアは、あの台座の封印から何が解放されるか、分かってない様子だった。ただ、その現れる何かが、きっと2人の銃撃戦を止めてくれると予想して、知っていた解除方法に倣って試みただけのようだ。
それが思い通り、的中した。
リンピアはもう不思議には思わなかった。
七つ夜の怪異はロアの深層を映し出す鏡だ。
彼の生き様や体験、見聞きして描いた空想が、七つ夜の怪異で再現されている。
怪異の生みの親であるリルガ・メイリーがロアのことをなぜか気にかけ、今では七つ夜の怪異が彼の願いを叶える願望機と化している。
シグネ・トイリの屋敷からこのアザリーグラードの迷宮に迷い込んだときも、ロアはその事実を認識し始め、戸惑い続けていた。
自身の内面を抉られるような、連日連夜の現象に違和感を覚えていたのだろう。
「はっ……くっはっはっはっ!」
破顔したのは老年の男、パウル・ロッシだった。
頭がおかしくなった様子ではない。
この巡り合わせに歓んでいるようだ。
「死んでからこんなチャンスが巡ってくるとは……くくっ、私はなんて運の良い男だ……! まったく昔から悪運だけは強い」
「なに笑ってやがる?」
カレルは怪異の中で初めて正常に会話した。
「アレ、なんとかできんのかよ?」
「なんとかできるかだって? そんなことはどうでもいいだろ。自分を殺した相手に一矢報いるチャンスができた。それでどんな結末を迎えようが、やってやったと最期に往生は遂げてやる!
がたがた抜かすな、甘たれ小僧!
――カレル、お前いつからそんな情けねぇ男になっちまったんだい?」
「…………」
パウルの口調は紳士的なものから、粗野で荒くれが吐き捨てるような言葉遣いに変わった。
にっと口元を緩ませ、実の孫へ合図を送った。
カレルは目を丸くしていた。気づいたのだ。
今、自らの祖父が傍にいるということを。
そして特大の獲物をもう一度、一緒に狩ることができる事実を――。
「いいぜ、じいさん。俺も付き合ってやらぁ」
「好きにしな。糞漏らさねぇようにケツの穴しっかり締めとけよ」
「余計なお世話だぜクソジジイ!」
カレルは銃を二連散弾銃に変化させて、砲身をスライドさせた。
禍々しい棘が生えた魔性の力を感じさせる銃だ。
「オオオオオオオ!」
死神リッチが吠えた。
パウルは右に飛び出し、注意を向けさせる。
死神はかぎ爪でカィンカィンと気味悪い音を鳴らして追いかけてきた。
パウルは台座を避けながら駆けるのに対し、死神はふよふよと浮遊しながら追いかけてくる。直線距離で詰められ、すぐ追いつかれそうになった。
パウルは脇の拳銃を抜いて応戦して逃げる。
だが、死神には効いていない。
そこにカレルの魔性の弾丸が、死神の髑髏に直撃した。
死神は動きを止めて振り向いた。
パウルはその一瞬の隙に、メインウェポンである猟銃を死神の首根っこに撃ち込んだ――。
カレルも続け様に援護射撃をし続ける。
お互いの射線を邪魔しない直角の挟み撃ち。
大物の狩りはこうやって連携を組んだ。
昔からそうだ。パウルが教えた。
孫は血を引くだけあって、狩りの物覚えだけは異様に早く、すぐに成長した。
一斉に向けられた銃撃で、死神はハチの巣だ。
身動きは取れるようだが、その骸は形を意地できないほどぼろぼろになり、動きが緩慢になった。
それは狩りの仕上げを意味していた。
少なくとも長年の経験があるパウルはそう思ったし、カレルもそれに併せて援護射撃をやめた。
やめてしまった――。
問題は彼らがプロのハンターだったことだ。
相手が真っ当な猛獣ならこれで一仕事終わりというところ。その雰囲気を感じてしまったのだ。
それは死神には通じない。
アレは既に死んでいるし、命を狩ることが目的ではなく、完全に機能が停止するまで粉々に砕かないと終わらない。それがこの戦いだった。
砂煙からカギ爪が飛び出し、近くのパウルの腹を抉った。
「ぐふっ……!」
「爺さん!」
師匠の致命傷にカレルは駆け寄った。
二度も相棒が死ぬところなんて見たくない。
もううんざりだ。頭は働かなくとも全身がそれを拒絶して咄嗟に駆けつけた。
「オオオオオオ!」
犬の遠吠えのような死神の絶叫が轟く。
それは勝者の鬨の声のようにも聞こえた。
砂煙が散ると、腹が深々抉られたパウル・ロッシの姿があった。
敗北を感じさせる一場面。
しかし、今回はそればかりでは終わらない。
終わらせはしなかった。パウルが。
「くっくっく……アホんだらがぁ……」
「爺さん?」
「オオ……オオオ……」
死神の甲高い雄叫びが途切れ途切れになる。
パウルは自らを穿つ死神の腕をしかと握り、力いっぱい抵抗を示した。
死んでいない。
胴体を抉られ、心臓さえ突き破られただろう状態でもパウルは死なない。
「馬鹿がぁ。俺だってなぁ、もう死んでんだ」
パウルの口元から真っ黒な血が一筋垂れた。
それは黒い屍人から弾け飛ぶ魔力と同じ色をしていた。
そう。そこにいるパウルは屍人なのだ。
死神に死人は殺せない。
最初からこの戦いに命の奪い合いはなかった。
どちらかが諦め、どちらかが尻すぼみして、やめなければ終わることのない根性勝負だ。
「カレル、お前よく聞けよ」
黒血を吐き出しながら、パウルは死神リッチを押し出していく。相当な力があるのか、死神の巨体はじりじりと部屋の中央部へと詰められていく。
そこには奈落の底が広がっている。
死神が眠っていた奈落が。
既に死んでいる男が沈むべき奈落が。
「爺さん、どうするつもりだよ……」
「私は……いや、俺はお前のことなんて、ちっとも可愛がってやらなかった。育ての親だなんて後から偉そうなツラするつもりもない……」
パウルは死神を奈落の崖っぷちまで押した。
獲物が抵抗を示すと、首にハンドガンを押し込んで連射して黙らせた。
「だがな……よく覚えていろっ!
その腕も、その銃も、俺がくれてやった人生の半分だ。粗末に扱いやがったらタダじゃおかねぇからなっ」
「爺さん……俺……俺は……!」
「言いてぇことはそれだけだ。ロクに世話してやらなんだ事は謝る。悪かった」
ほら、とパウルは背中を突きつけた。
言いたいことだけ言い残し、引導はお前に譲った、ということらしい。
なんて身勝手なジジイだろう。
カレルはその大きな背を見てそう思った。
だが、その背中を押してやらないと、この男は死ぬに死にきれないのだ。
「ああ――」
カレルは決心した。そして昔を思い出した。
臭い飯だけ押し付け、家事もせずに狩りに明け暮れるジジイのことを。
それをかっこいいと思った自分のことも。
「爺ちゃん……。あんた、もう十分やったよ。
俺みてぇな甘ったれもしっかり育てた。
銃撃つしか脳がねぇ。金もねぇ。嫌われ者だったくせに俺のことは守ってくれたじゃねぇか……」
「勝手に美化してんじゃねぇ。さっさとしやがれ」
死神が吠える。オオオと遠吠えを上げる。
カレルは銃を実の祖父ごと突きつけた。
「爺ちゃん。今までありがとよ。もう休め……」
そして、その引き金を引いた。
パウルは魔性の銃弾を背中から受け、その最後の一押しで死神リッチと一緒に奈落の底へ落ちた。
パウルは空中で塵のように消えた。
最後に見えた口元は嬉しそうに笑っていた。
「あ……あああ! あああああああ……っ!」
その姿を見送ったカレルだが、消えていく体を見て泣き崩れた。
「爺ちゃん、俺はアンタが大好きだった……! 尊敬してた! くれたもんは大切にするから! アンタの人生の半分、大事にするから! だから見守っててくれ! じゃあな、クソジジイ……!」
奈落に懺悔するようにカレルは叫んだ。
返答はなかったが、カレルはそれでぐしゃぐしゃになった顔を乱暴に拭って、顔を上げた。
リンピアは傍から見ていても涙が出てきた。
死別を見慣れていないのもあるが、ロッシ親子の別れは切ない別れだった。
ふと、ロアの顔をちらりと見上げる。
彼は相変わらず表情一つ変えない。
ある親子の別れを見て、何か郷愁めいたものは感じていたのだろうか。
せめてそうあって欲しいとリンピアは願った。




