Episode28 第四夜 - 回顧録の焼き増し
始めからロアがいる安心感は半端なかった。
そんな第四夜の始まり。
これなら敵が急に襲いかかってきても安心だ。
服を着替え、靴も履き替えた。
どこから怪異に迷い込んでもいいように準備万端にしておいたのは正解だった。もうリンピアにとって心休まる場所などどこにも存在しないのだ。
リンピアはザックを背負い、準備完了だとロアに向き直って合図した。そのときにはロアも準備が終わったようで、普段の戦闘服に身を包んでいた。
もう豪邸での華やかな会食は終わり。
食堂の外を見やる。そこは既に別世界だ。
全身鎧が立ち並び、石造りの物々しい雰囲気が漂う廊下が続いている。シグネ・トイリとともに歩いた邸宅の廊下は、壺や絵画が並び、温もりある天鵞絨が敷かれた床が特徴だった。
こんな物騒な雰囲気ではなかった。
まるで戦争時代の城塞の回廊を見ているようだ。
「ここ、お城の廊下……? 何か知ってる?」
「さぁな。俺もこんな異界は初めてだ」
「珍しいね。七つ夜の怪異のこと、大抵は知ってたのに」
「俺にも知らないことはある。――昔、住んでいた家の近くにも王城があったが、ここはそれより造りが荒い。時代的にもっと古いぞ」
ロアが生まれ育った森の小屋を、リンピアも見たことがある。ロストが屋根の修理をして、夜は星も見せてもらった。
そこから見えた城は圧巻だった。
あれは今でも観光名所として現存しているエリンドロア王城だった。それより時代が古いとなると、リンピアでは想像もつかない。
「ロアくんの言う"古い"ってどれくらい前?」
「ざっと1000年はくだらない」
「歴史の教科書でも曖昧なとこだね……」
「戦争ばかりだったからな。とにかく先に進まないと埒が明かない。行くぞ」
「待って。先にこの廊下、スケッチしておくね」
リンピアは画材を取り出し、石造りの廊下と立ち並ぶ全身鎧を手早く描画した。
風景画だけでは味気ないので、蛇足だが、ロアの姿も描き加えておいた。
ロアの精悍な顔立ちが物々しい回廊に似合う。
彼は絵になる男だ。
物騒な廊下を進む――。
天井も狭く、圧迫感があるのに寒気がした。
冷気が強い。
怪異の中は相変わらず瘴気は濃かった。
だが、第三夜の摩天楼のように屍人の群れは確認できなかった。
「これは……」
ロアは立ち止まり、廊下の先を見据えた。
その先の通路がねじれていた。
床が壁面に伝い、さらに奥では天井が床になっている。
「なにこれ? どうなってるのよ……?」
「リンピアは少しここで待て」
取り残される不安を堪え、リンピアは先行くロアを見守った。普通に歩いているだけなのに、ロアの体勢は徐々に傾き、しまいには体の向きが壁側から水平に立つような状態になった。
「ロアくん、壁の上に立ってるよ!?」
「……ねじれ通路か。そうか。わかったぞ」
「置いてかないで!」
超常現象のような光景に恐怖心を煽られたリンピアは、堪えられずロアの傍まで駆け寄った。近づいてみると重心が徐々にロアと同じになった。
「何がわかったの?」
「話には聞いたことがある。かつて世界の至るところには迷宮が存在していた。その中でも最も有名なものに挑戦者を惑わす生きた迷宮があったそうだ。その迷宮の特徴の一つが、このねじれ通路」
「生きた迷宮……」
つまり、第四夜の舞台は"迷宮"ということ。
「その迷宮の名はアザリーグラード。古の時代、アザレアという国が滅び、遺された城が魔力を吸って迷宮へと変わり果てた。当時の冒険家、探検家は一攫千金を狙い、この迷宮に挑戦し続けたんだ」
アザレアという国には聞き覚えがあった。
「アザレアってそれこそ1500年くらい前じゃないかしら。史料が少なすぎて滅んだ理由もよく分かってなかったみたいだけど」
「魔法大戦だ。民はほとんど死んだそうだ」
まるで誰かから聞いたような口ぶり。
ロアの豊富な知識は今に始まったことではないので気にはならなかったが、不安になって捕まったロアの腕が少し強張っていることに、リンピアは戸惑った。
今までロアがこんな風になったことはない。
「大丈夫?」
「ああ……」
「ロアくんはその迷宮に行ったことないの?」
リンピアは素朴な疑問を投げかけたが、ロアは首を横に振った。
「俺が生まれた頃にはアザリーグラードの迷宮は崩壊していた。だから初めてだ」
「そう。でもロアくんは強いし、大丈夫よね?」
「問題ない。多分」
ロアは無情にもリンピアを置いて歩き始めた。
何かに動揺しているような気がした。
その"多分"がいつもの口癖だと良いのだが。
○
第二夜までは過去の怪異と一緒だった。
迷い込んだ"観測者"が何かに魅入られ、それを求め合ううちに互いを認められなくなり、殺し合いに発展する――。
それがいつもの展開だった。
だが、今回の『七つ夜の怪異』はどうだ。
第三夜を皮切りに何かがズレ始めた。
摩天楼で起こった"子どもの誘拐事件"。
そして第四夜は"大迷宮の探索"。
――これではまるで、かの英雄の追体験。
ロアは戸惑いを隠せなかった。
昔、色んな人間から語り聞かされた誰かさんの回顧録は、頭で想像するしかなかった。だが、これらの怪異はその想像を具現化したようなモノに思う。
誰かの意図を感じる。
ロアはそれに戸惑っていた。
それが誰の意図なのか。
今までの七つ夜の怪異と異なる点は、契約した魔術師の存在――。
「ロアくん、前! なにかいるよ!」
珍しくリンピアが先に異常に気づいた。
だいぶ夢中で考えに耽っていたことをロアは反省した。
リンピアが指を差す方に黒い鎧が立っていた。
通路のど真ん中だ。
脇にびっしり並んで飾られていた全身鎧と同じもので、誰かが悪戯で通路の中央に置いたように見える。
だが、その鎧は他と違い、剣を構えていた。
「――――」
こちらが見ている間は身動き一つしない。
油断を誘っているのだろうか。
ロアは躊躇せず、魔力の剣を投擲した。
黒い鎧に突き刺さると、全身鎧はバチバチと紫電を巻き散らし、七転八倒して爆散した。
一瞬見えた鎧の中身は、抜け殻だった。
「ブラックコープス……」
「今のって、屍人? 今までのと何か違ったね」
「あれは魔物の類いだ。リッチと同類だよ」
「そう……。なんかロアくん、さっきから変じゃない? 本当に大丈夫?」
おまけにリンピアは繊細だ。
些細な変化も敏感に感じ取る、隠し事の難しい女だった。
「さぁな。体の方はむしろ調子いい。ほら、ぼさっとしている暇はない」
「え……」
ロアは一体倒した直後から、通路の先で次から次に湧いて出てくるブラックコープスの存在に気づいていた。
先陣を切って殲滅に向かった。
「君もここなら力を揮えるだろう」
リンピアはそうだったと気づき、すぐに魔力で絵を描き始めた。第三夜で猛威を振るった『魔砲武装』を抽出して装着し、それ以外に大型の盾を描いて構えた。
しばらく黒い鎧、ブラックコープスを殲滅していると、通路の先で火花が散った。ロアとリンピアが交戦する箇所とは違う所で戦闘が起こっている。
粗方の鎧を片づけ終え、迷宮が本来の静けさを取り戻した後、通路の奥から、先ほど火花を散らして戦っていた人物が姿を現した。
狂気に中てられた他の観測者かと思い、始めは身構えた。
だが現れた存在が意外な人物すぎて、リンピアは呆気に取られて緊張が解けた。
「おや、お嬢さん。それと護衛の子か」
「え、うそ……」
そこにいたのは怪異に囚われる前にガロア遺跡でリッチに襲われ、命を落としたハンターだ。
カレルに師匠と慕われていた人物。
彼が持つ猟銃から硝煙が漂っていた。
「あ、えっと……カレルさんのお師匠さん?」
「無事でなによりだ。まったく、お互い変な依頼を引き受けてしまったものだな」
名前を知らないので呼ぶに呼べない。
カレルの師匠は、にこやかにリンピアとロアの2人を迎えた。
屍人のようには見えない。
一体なぜここにいるのかもよく分からない。
ただ、今まで怪異の中で遭遇した誰よりも普通の会話ができそうな気がした。
「そういえば、自己紹介がなかったな。
私はパウル・ロッシ。
――カレルと血の繋がった、れっきとした祖父だよ。以後よろしく。お嬢さん」
 




