Episode24 誰彼考察Ⅲ
確かに荒唐無稽だとは言った。
リンピアもずっとそう思っていたし、周囲の人間でも親友のイルマや職場の上司であるソフィアだってそんな話は鼻で笑うだろう。
だが、この時代では普通だった。
普遍的に"在る"ものとして認識されていた。
何がか、というと――。
「残党狩り?」
「えぇそうよ。やるでしょ、救世主さん?」
重苦しい雰囲気がただよう大聖堂の内部。
内装は装飾華美で、壁に張り巡らされたステンドグラスも大きく、遠近感が狂ってしまいそう。
――エリンドロワ王国の王都
メルペック教会 大聖堂。
情報が流れ込んでくる。
まただ。またロアの過去を追体験している。
エリンドロワとは数百年前に存在した超大国だ。
自身の体は、少年姿のロアになっていた。
以前、彼の家族と遭遇したときのロアより少し成長している。
「あなたの力が必要なのよ」
「リピカ、お前また俺を口車に乗せようと……」
隣に立つのはロアの父親、ロスト。
不満げに司教の提案を突っ返していた。
大聖堂の司教座に座る小柄な少女は、達観した表情で"神託"を告げていた。
司教の名はリピカと云うらしい。
戦争で取り逃した残党を狩れ、という物騒な神託だった。
司教はやけに幼い。紫の髪が特徴の少女だ。
ご立派にも白の祭服と金の刺繍がされたストールを首にかけ、「私が教皇です」と言わんばかりのスタイルに身を包んでいる。
「で、どうなの?」
「残党狩りか。うーん」
父親のロストは返事を渋っていた。
腕を組み、難しい顔をして遠くの天井に視線を反らす。
「なぜ嫌がるのかしら? かつて三種族同盟の北部戦線を勝利に導いたのはあなたでしょう。まったくの無関係ではないと思うけど」
三種族同盟とは"獣人族"、"巨人族"、"赤魔族"の亜人種が結んだ協定。当時、内政が荒れていた超大国エリンドロワに、大陸北部を縄張りとする好戦的な三種族が宣戦布告してきたのだ。
リンピアの歴史認識では存在しない種族。
獣人、巨人、赤魔族。
そんな亜人種は実在しない……はずだった。
だから荒唐無稽この上ないのだ。
だが、ロアの体を通して視るその世界では、至極当然のように存在しているし、リンピアもそれほど驚くことなく受け入れていた。
ロアが生まれた時代では、勢力的には人間族が強いものの、北部に住む亜人種がよく戦争をしかけてくるという社会情勢だった。
しかし、それもかつての話。
三種族同盟の宣戦布告から10年続いた戦争は、たった一人の男の暗躍によって終戦した。
その男こそ、隣で悩ましげな声をあげるロスト・オルドリッジその人だった。
暗躍とはそれそのまま。
表舞台では、その功績はエリンドロワが率いる『北方十字軍』のものとされている。
事実は、北方十字軍の敗北に等しい戦況に、一介の傭兵に成りすましたロスト・オルドリッジが参戦し、逆転勝利と相成った。
名声を拒む『名も無き英雄』は暗躍を望んだ。
「だって、残党狩りって聞こえ悪くないか?」
英雄が駄々をこねる。
「聞こえ? 名前も存在も失った男が、何を今さら世間体を気にしてるのかしら?」
リピカは嘲るように笑った。
目を細めて愉しそうに口元を歪めている。
名前も存在も失った……?
リンピアは首を傾げた。
「世間体なんかないけど。そうじゃなくて、残党って要は逃走兵だろ? それを深追いしてやっつけるなんて弱い者イジメみたいじゃないか」
大英雄は子どもみたいに言い放った。
実際、見た目まだ10代の青年だが、ロアと同じく肉体年齢が変わらない体質のようだ。
司教リピカはロストの反論に目を丸くした。
「あなた……あれだけの修羅場をくぐり抜けておきながら考えがまだ生ぬるいのね……。戦いに明け暮れすぎて知能も低下したのかしら」
「息子の前だってのに酷い言い様だな」
リピカは息子という言葉に反応し、こちらに一瞥くれた。人形のような無機質な蒼い瞳に、リンピアはぞわりと背筋が寒くなった。
本能的に人間じゃないと気づいた。
人形か、それに近い造形物のようだ。
「ロア・オルドリッジ。――この子も大きくなってきたわね。昔のあなたを見てるみたい。私たちが出会った当時と同じくらいの年齢かしら」
「そうだな。ちょうどロアも10歳になるよ」
「似てる。この顔つき、落ち着いた雰囲気も」
「そうか? 顔も性格も母親似だと思うけどな」
「――特に、魂の在り方がよく似ているわ」
整然と言い渡され、リンピアは竦み上がった。
この司教にはロアの中にいるリンピアの魂を見抜かれてそうな気がした。
「魂? またそういう話か」
「清く、正義を成そうとする魂の在り方がね。――ふふ、将来が楽しみね。あなたとぶつからなければいいけど」
リピカは司教座から立ち上がり、脱線しかけた話を元に戻した。
「とにかく、逃走兵とはいえ復讐の芽を摘むのが戦争というものよ。――あなたの生涯を振り返ると、あなたが慈悲深い男で良かったと今は思うけど、今回それは捨て置きなさい」
リピカは祭壇の傍らにおかれた巻物の資料を持って降壇し、間近まで来てロストに直接、手渡した。
「はい。これが残党の潜伏地域を示した地図」
「用意がいいな。というか、リピカも随分と軍に肩入れしてるんだ?」
司教の少女は真面目な顔でロストを見返した。
リンピアからすれば、自国のことだから肩入れするのも当然だろうと思ったが、リピカは元より愛国心のない人物だったのだろうか。
「なに言ってるの。私は女王エススの即位式を執り行っただけでなく、彼女の一族代々を遥か昔から見守ってきたのよ」
「あぁそうか。こっちは時間旅行のせいで付き合いの長さがよくわからないや」
「お気楽でいいこと。この地図もエスス女王陛下が作ったものよ。ありがたく使いなさい」
エスス女王陛下――。
リンピアが勤める『エスス魔術相談所』の名の由来にもなった偉人だった。
所長のソフィアは、エスス女王の話をし始めたら止まらないほど尊敬している。この場にいたら「ぜひ謁見させてくれ」と願い出ただろう。
「残党狩りにはその子も連れていけば? 父親の威厳を示すちょうどいい機会になると思うけど」
「そうだなぁ。そろそろ実戦経験も、か」
ロストと目が合った。
一瞬……。ほんの一瞬、ロストが何かに気づく素振りを見せた。
○
ロストと馬に相乗りして目的の場所へ向かう。
残党の潜伏地域の近くに、エリンドロワ軍の中継基地が存在する。軍の正規兵でなくても、エリンドロワ傘下の兵士を証明する識別タグさえあれば利用可能だ。
大陸南部のエリンドロワ王都から北上し、レナンサイル山脈の峠を越えると荒野が広がっていた。
未来では、この辺りに都市が幾つか出来上がる。
アールグリッジ市もその一つだ。
大昔までは、どうやら歴史上の事実では、この荒野は獣人族の縄ばりで、さらに北の寒冷地帯には巨人族が住み、その中間帯の砂漠には赤魔族が遊牧していたことをリンピアは知った。
"り、巨人ですっ! 地元の伝承で、山には巨人が住んでいるという逸話があります……っ!"
リルガ・メイリーが第一夜で言っていたことは逸話ではなく本当のことだった。
荒野には気持ちのいい風が吹いていた。
日光も適度で、ぽかぽかとした陽気。
少年ロアはロストの前に座り、ロストは息子を護るようにして手綱を握っている。
「中継基地のポイントに着く前に――」
少し遠足気分になっていたところ、ロストが背後から語りかけてきた。
「うん?」
「久しぶりだなぁ。最後に会ったのは5年以上前……か? ちょうど2人きりだし、一体誰なのか教えてほしいんだ」
ロストが誰と話しているのか、リンピアには分からなかった。
「君のこと……なんだけど」
「え――――」
背後に振り返り、目を合わせ、狼狽した。
「え……あ……気づかれ……え、嘘?」
「ああ。君はロアじゃないな。――いや、正確にはロアと混じって誰かがそこにいるだろ」
汗顔の至り。冷や汗が出そうだった。
リンピアの頭は焦燥感と罪悪感の2つでいっぱいだった。
「な、なんでわかったんですかっ」
「勘っていうのかな。昔から直感には優れてるし、魂が何回か抜かれたり、体入れ替わったり、いろんな経験してるから敏感なんだよ」
「そうですか……ごめんなさい。えっと私……」
リンピアはなんとか謝罪の言葉を捻り出そうとするが、今までロアの幼少期を一歩下がって鑑賞してるような気だったのが、一気に表に引っ張り出されたようで――――また、大英雄を前に憮然として言葉がでなかった。
「謝らなくていいよ。悪い人じゃなさそうだ」
「はぁ……」
「君も内心驚いてんだろ。意図せずそこにいるような気がする。違うかな?」
懐の深さはロアとそっくりだった。
口調は父親のが穏やかだが。
「はい……。私、ロアくんとは多分、今よりかなり未来で出会います。ロアくんの年齢的に300年くらい先の未来で……」
「300年! そりゃまた随分と飛ぶなぁ」
ロストも不死魔族の1人で長命ではないのか?
驚かれたことがリンピアも意外だった。
「名前は?」
「あ、リンピア・コッコと云います」
「女の子? まさか、ロアの将来の……」
「違いますっ! まだそんな関係じゃなくてっ」
「まだ?!」
「あっ、まだでもなく、と、とにかく違います!」
無意識に変な修飾語を入れてしまった。
ロストはそれを茶化すようなことはせず、紳士的な応対でリンピアの話を聞いてくれた。
ロアと遭った経緯や未来で抱える問題のことだ。
七つ夜の怪異。直面してる問題はそれ。
ロストが一番気になるだろう"300年後のロア"の事は訊かれなかった。気を遣ってるのだろうか。
「なるほど。【血の盟約】の影響かな」
「血の盟約……」
ロアと結んだ共闘を証明する仮契約だ。
リンピアの体には頬の傷として刻印されている。
それが彼女自身の体質を変化させていた。
「ロアの神性魔力と虚数魔力で、君には『反転』と『時間遡行』の体質が備わった。時間遡行は君の魂だけを一番その魔力に馴染む肉体が存在する過去へ送り込んだ。……まぁそんなとこだろ」
『反転』と『時間遡行』
ロアの云う"魔術師殺しの猛毒"とは、反転した魔力が、魔術師の通常魔力を減算させることで引き起こされるのだろう。
だが、『時間遡行』とは――。
「こうして対話できるのはもしかして」
「きっと君の魂そのものが過去にいるからだ」
「そう、なんですか……」
リンピアはただの追体験か、記憶の焼き増しを見せられているだけだと勘違いしていた。
「普通の人は過去を夢で見ることはあっても、そこに直接介入するなんて無理だよ」
「あ……」
そういえば、リンピアが第二夜で孤児院の憧憬を見せられたとき、少年時代のオットと直接対話もして、孤児院の畑作りにまで影響をもたらした。
既にあのときから『時間遡行』に至っていたのかもしれない。
「まさか、時間旅行が可能になるなんて」
"著者はイザイア・オルドリッジ……ですか"
歴史的な魔術師が残した理論。
時間魔法。オルドリッジ一族はその実現不可能とされた魔法を体現していた、のだろうか。
「そうだ、ロストさん。あの、オルドリッジって彼の有名な――」
「ちょっと待った。物音がする」
突然、会話を止められて喉元まで出かかった言葉をぐっと呑み込む。
ロストは意識を遠くへ集中させていた。
リンピアも、ロアの体を借りて耳を澄ませると、かなり遠くの物音も聞き分けられる事に気づいた。
"ひ、ひぃい……はっ……はっ……"
"ヒィヤッハー! オラオラオラぁ!"
複数の声と騒音が入り混じっていた。
攻撃的な人の声と、逃げ惑う人々の声。
「方角的に、中継基地が襲われたみたいだ」
「ど、どうしますかっ!?」
「当然、助けにいくさ」
助ける。それはロアが否定し続けた言葉。
彼には強情に定義づけられた言葉だった。
ロストは抵抗なく使っている。
「……あぁ、残党ってもっと逃げ腰な連中だと甘く見てたな。もう勝ち目もないってのに。こんな悪足掻きする集団ならリピカの言う通り、綺麗さっぱり捕まえておくんだった」
ロストは悔いるように溜め息を漏らした。
「よし、ロアもちょうどいい実戦経験になる」
「え……え……っ!?」
「多分4,5人のグループだ。物音から判断して基地の建物内に立て籠もって、中に複数の兵士が人質に取られてる」
「わ、私がやるんですか!?」
リンピアは到底無理だと言い返した。
ロストは、あれ、と不思議そうに息子の顔を見返した。
「無論、ロアにやらせる。リンピア、君は――」
「あ、れ…………」
それは突然、意識が落ちたように。
背後から闇に引き寄せられるような感覚。
リンピアの魂は深くて昏い潜在意識の中に沈み、少年ロアの肉体から引き剥がされていった。