Episode23 第三夜 - 魔砲と魔陣
※少し長いです。(約6000字)
地上へ落ちた醜悪な大トカゲ。
ソレは体勢を直し、ぶるぶる首を振ると、すぐ街を破壊せん勢いで駆け出した。
街道には黒い屍人の群れが犇めいているが、そんなものはお構いなしにソレは爪で薙ぎ払い、無理やり道を作った。
"歌姫"の悲鳴は、退散の合図だ。
劣勢となったら怪異が夜明けを迎えるまで逃げ切らなければならない。
このセカイで命を落とせば、【七つ夜の怪異】に囚われ、現実では存在ごと消されることになる。
目の前に蔓延る屍人と同じ末路を辿るのだ。
それだけは絶対に嫌だった。
神父は突進し続けた。
街の境界線を越えれば、別のセカイへ繋がる。
そうすれば逃げ切れるだろう。
"歌姫"が退散の合図を出したのは、おそらくあの娘の能力のせい。描けばすべてを真実とする力。
『無の存在証明』
能力に気づかないよう、指示は出していた。
だが、あの娘は気づいてしまった。
神父は屍人を薙ぎ払いつつ憎悪を膨らませた。
依頼状での警告だ。
――"尚、スケッチに魔術は使わず、手書きでの描写をお願いします"。
計画を進める中で、歌姫はそれだけが厄介だと踏んで、スキルワード神父に依頼状の指示をした。
気づいたなら、もう遅い。修正案が必要だ。
ひとまず今は逃げ延びねば……。
○
大トカゲの猛進を追う鉄の塊。
その鉄塊は息苦しい熱帯夜の空を駆る。
エンジンを呻らせ、ビルからビルへ新設されるハイウェイを駆け抜けた。
「いいぞ! 最高の気分だ。どんどん建てろ!」
「はいっ!」
リンピアは空を翔け、道路を描写し続けた。
車の先から道路が伸び、摩天楼の隙間を縫うように形成された。
リンピアはそれを空から併走している。
そこで一つ問題が。
「でも、これ以上のスピードは……」
リンピアの翼の飛翔速度が遅く、全速力で進む車に追いつけなくなってきた。とはいえ、遅ければスキルワードに距離を離されて逃げられてしまう。
それにソフィアがこのまま遠慮なしにスピードを上げ続けたら、リンピアが道路の先を描き切れず、ソフィアも地上へ真っ逆さまだ。
困った。
「リンピア」
リンピアが必死に翼を羽ばたかせ、車に追いつこうと足掻いていたときだ。
背後から名前を呼ばれた。
「今の声……ロアくん!?」
その人物は後ろからビルの屋上を駆け抜け、跳躍すると、ソフィアの操縦する車のボンネットに軽々と降り立った。
「ロアくん来てくれたんだ!」
「なんだお前は! 前が見えないだろう!」
ソフィアは男に驚くでもなく文句を垂らした。
「失礼。俺も同乗させてもらう」
ソフィアはそれが誰なのか風貌で察した。
ビルの中でリンピアに聞いた、"守護者"を称する超人。澄まし顔で人助けする謎の武芸者。
「君がロア・オルドリッジか?」
「そうだ。――リンピア、君なら他にも飛ぶ手段が思いつくはずだ!」
ロアはソフィアに短く返事すると、遅れを取るリンピアに向けて助言を呈した。
「他の手段? 他の手段って何!?」
「この鉄の塊も人間が築いた文明の一つだろう」
「文明……そうか!」
リンピアは閃いた。
鳥の翼では、文明の利器には届かない。
ならばリンピアも文明の利器を使うべきだ。
自由な発想で。……そう、自由でいいんだ。
固定観念に囚われず、大胆な発想で創造力を働かせる。
リンピアは背中の翼を解放し、消した。
宙に投げ出され、浮遊感が襲う。
「こんな感じ、かな!?」
背中に新たな飛行能力を備えたモノを描く。
空中に投げ出されながら絵を描くのは初めてだ。
だが、長時間の飛行でだいぶ慣れたのか、意外と落ち着いて描くことができた。
機械には機械で対抗する。
――リンピアが描いたのはターボジェット。
もはや原理や動力といったすべての理論をすっ飛ばし、その小型のジェットはリンピアの背中に"設置"され、彼女の体を押し上げる道具としてそこに存在した。
背中だけだと安定しない。
追加で足にもジェットを創造して描き、ブーツのようにして履いた。足元から魔力が吸われ、それが内部のタービンを回して魔力の気流を排出しているのを肌で感じた。
うまく稼働した。
走行中の車の前に躍り出ることに成功した。
今のはかなり爽快だったと胸が高鳴っていく。
「すごい! すごいすごい! わたし何でもできるんだ!」
興奮したリンピアは歓喜の声を上げた。
昔、本の虫だったリンピアも想像の世界で、いつか空を飛べたら楽しいだろうな、と考えていた。それが今こうして現実……否、現実ではないが、体験できていることに感動した。
「そうだ。それでいい」
ロアはその様子を見守っていたが、リンピアと目が合うと満面の笑みを向けてきたため、その無邪気さに気恥ずかしさか何か、変な感情が芽生え、目を反らした。
ロアは正面に向き直ると、街の境い目を見定めるように遠くを眺めた。
「運転中のキミ」
「きみ……? ソフィアだ。ソフィア・ユリネ」
「すまない。ソフィア」
見た目年下の男にキミ呼ばわりされ、名乗った直後に呼び捨てられるのはソフィアも初めてだ。
「なんだ?」
「彼らは街の境界線へ向かう気だ。此処はアールグリッジを模した街だが、一度そこを抜ければ別の異空間が広がっている……。七つ夜の怪異とはそういう現象だ。逃げられたら終わりだと思え」
「へぇ。面倒臭いんだな、七つ夜の怪異って」
ようやく黒幕の尻尾を掴めそうな所でこれでは、第四夜も第五夜も同じ轍を踏むだろう。
「俺が援護する。遠慮せずスピードを上げろ」
「その口ぶり。君も魔術師か?」
「魔術の基礎は知っているが、人間と同じようには扱えない。それより運転に集中してくれ」
「……そうか。すまないね」
運転席でハンドルを握るソフィアとボンネットに重心を下げて乗るロア。
奇抜な絵面だとリンピアはほくそ笑んだ。
最も奇抜な格好なのはリンピア自身だが。
ようやく街道に着陸できた。
リンピアは道路の"お絵描き"から解放され、心の中でほっと胸を撫で下ろした。
だが、空を翔けるのは気持ちいいので武装は解除せず、低空飛行を続けてソフィアとロアの乗る車に併走することにした。
「奴はどの辺りだ!?」
「さっき空から見たときは街道を逃げてましたけど様子が変なんです! 道が真っ黒で……」
地上は地上でまた別の問題があった。
天から溢れた黒い水――無数の屍人が、街中を満たし、ぎゃあぎゃあと犇めき合っていた。
オズワルドは突進しながらそれらを突き飛ばし、無理やり押し進んでいたのをリンピアは見た。
「あっ! 人……!」
こちらもすぐにその問題に直面した。
黒の屍人。第一夜でも見た"怪異の囚われ人"。
これでは車が前に進めない
「リンピア。悪いがアレも頼んだ」
「はいはい、わかってますよっ」
『魔砲武装』を地上に向けて一斉射撃した。
あれから数も増えて10本の魔砲が、弾丸魔術を機関銃のように黒の屍人の群れにお見舞いしていく。
――ギャアアアアァ。
――ギィイイイ。
被弾した屍人たちは霧散して消えていく。
消え入るような断末魔の叫びに心が痛んだ。
ソフィアはさらにアクセルを踏み込み、元より車など通るように作られていないだろう狭い街道を突き進んだ。
「見えた!」
黒いトカゲの尻尾が見えた。
ソフィアは何も言わずアクセルを踏み込んだ。
既にギアはトップまで引き上げ、駆動力を最速でホイールに伝えている。
エンジンは既に悲鳴を上げていた。
前方には突進を続ける大トカゲが、破壊音を巻き散らしながら屍人の肉片を街の壁という壁に投げつけていた。
――グルル。
スキルワードは突進の最中、少しだけ背後に目を向けた。こちらの存在には気づいている。
それでも速度は落ちない。逃げ切るつもりだ。
しかしながら、大トカゲはもう目と鼻の先。
もう少し速度を上げれば追いつける。――というところで前方に壁が立ちはだかった。
街道の丁字路だ。
この速度で突っ込めば車もソフィアも無事では済まないだろう。大トカゲは速度を落とさず、ビルの壁に壁蹴りして直角に進行方向を変えた。
「チッ、オズワルドめ……」
「ソフィア、君も速度を落とさずに進むんだ」
「はぁ……? 私に死ねと?」
「俺が援護する」
壁に衝突したら間違いなく死ぬ。
だというのにロア・オルドリッジは臆することなく、眼前の壁に対峙して堂々としていた。
「わかった。君を信じるよ、私は」
ソフィアは落ち着いた声でそう返事した。
「ありがとう。信頼には応えよう」
リンピアはロアに絶大な信頼を置いていた。
彼女はその生い立ちから見た目よりずっと警戒心が強い。
リンピアを魔術相談所に雇った理由もそれだ。
容易に人を信用しないし、ロアのことも最初はだいぶ疑っていたんじゃないかと思う。
だが、それが今はどうだ。
この怪異の中でも何回ロアロアロアと名前を呼んだか分かったものではない。
ソフィアはブレーキを踏まずにそのままペダルを踏み込んだ。ロアはタイミングを見計らい、ビルの壁に激突する前に、突如として――――。
――――……!
「消え……うわぁああ!?」
ガツンという衝撃が車体を揺らす。
すると車は高速スピンして450度ほど回転すると直角に進行方向を変えた。
「なんだ!? 何があった?!」
困惑する暇もなく次の進路を見定めながら運転に集中した。すると、少ししてまたボンネットの上にロアがひょいと乗り上がってきた。
「先回りして車体のアゴを蹴り、進路を変えた。この先もこれで行く。急カーブが必要なときは言ってくれ」
「……なにを言ってるのか私には分からない」
「この国の言葉で話したつもりだが」
「そういうことじゃない」
ロアの人間離れした動きを目で追うことも人間の尺度で言葉にもできない。
ソフィアも語彙力を失ったように、この男はやばいという感想だけ浮かんだ。
一方で"境界線"も差し迫っていた。
「ソフィアさん、見てください! 橋が!」
上空からリンピアが指をさした。
アールグリッジの観光名所、グリッジ橋。
珍しい跳ね橋なことでも有名だ。
ソフィアはその橋を見て、ようやくここがアールグリッジ市なのだと認識できた。街の細部が違い過ぎて、アールグリッジと思えない箇所が散見されたからだ。
例えるなら、知らない人間が話だけ聞いてアールグリッジに見立てて街を創ったような……。
橋の先は何もない黒い空間が広がっている。
そこまでがアールグリッジを模した街だと、ありあり見せつけられた。おそらくそれが境界線。
ロアが振り向いて、ソフィアと目を合わせた。
皆まで言わずとも何を言いたいか分かる。
「橋を超えられたら、もう追いかけられない」
「そういうことだな」
グリッジ橋は中途半端に吊り上げられ、傾斜が斜めになっていた。そこから徐々に吊り上げられ、その傾斜角度が急になっていく。
「わたしが先に行って足止めしてきます!」
リンピアがさらに加速をつけて滑空した。
この辺りまで来ると、街の中心部から離れて屍人の数も減ってきていた。おまけにスキルワードがかなりの数を葬ってくれたおかげで迎撃もいらなくなった。
武装をフル稼働させ、トカゲの後を追う。
だが――、
「ん!?」
咄嗟に何かの襲来に気づいたリンピアは、急停止してそれを迎えた。
「――かはっ!?」
眼前に突如現れた"魔法陣"から、稲妻が現れてリンピアの体を貫いた。
激しい勢いで後方へ吹き飛ばされた。
「リンピア・コッコ。私を侮辱したこと後悔するがいいわ」
「…………ッ!」
ターボジェットの制御を失って落下する最中、リンピアは夜空に佇むシグネの姿を見据えた。
敵だ。敵だ。あの女は敵だ。
女の周囲には魔法陣が幾重も展開されている。
それはシグネが生み出した多重魔法陣だった。
あれこそがオリジナルの『魔陣武装』。
創作の世界で良いように改変され、空想のものと化した『魔砲武装』の大元だ。
動悸が激しくなっていく。
ドクドクと鼓動して血管がはち切れそうだ。
魔力が暴走して感情すら攻撃的になっていく。
「また邪魔する気!? いい加減に」
リンピアは全身から魔力を放出した。
雷撃を受けて故障しかけた飛翔用ジェットを解放し、新しいモノに創り直す。
「――してよね!!」
落下する前にエンジンを再起動。
空中へ復帰して持ち直す。
そのまま急速に高度を上げ、シグネに肉迫した。
接近しながらも魔砲を空中に散開させ、四方八方から攻撃をしかけた。
魔弾の雨がシグネに襲いかかる――。
だが、シグネはそれら魔弾を幾重もの魔法陣を盾のように広げて防ぎ切った。
「ハッ、道具に頼っても貴女じゃ火力不足よ!」
「だったらこれでも…………!!」
賭けるのは一心集中させた特大砲身。
散開していた迎撃用の魔砲を全て解放し、リンピアはその一つの砲身を描いた。
砲身は構造を変え、複雑に組み合わさり、どんどん太く、長く、進化していく。
より射程が伸びるように、威力が増すように、シグネを撃ち抜けるように。
そうして一つの"主砲"が出来上がった。
リンピアはそれを両腕で抱え、魔力を込めた。
周囲に漂う魔力がリンピアのもとへ集まり、高濃度に凝集されて主砲に装填された。
「はぁぁあああ!」
「私こそ教えてあげる。本当の魔術を!」
シグネは幾何学模様の魔法陣を、リンピアに照準を合わせて重ねた。
高濃度の魔力によって円陣が光り輝いていく。
「趣味道楽でかじった程度のくせに――」
元よりこの女には悪い印象しかなかった。
分かり合えない。相容れない。そう感じる。
生き方も境遇もリンピアとは正反対なのだ。
夜空を彩る、2つの虹色の凶器。
それが呻りを上げ、今か今かと射出されるのを待ち侘びていた。両者の兵器に魔力が充分装填されたのは同時だった。
「いっけええええっ!」
「食らいなさいっ!」
そして今、2つの凶器が放たれた。
両者は凄まじい速さで、夜空を一直線に翔けると正面衝突した。虹色の線が空を彩り、ぶつかった途端に2つの眩い光弾は爆散した――。
「あぁぁあああああ!」
悲鳴は両者のもの。
爆風に巻き込まれ、リンピアもシグネも激しく吹き飛ばされた。
「――――」
力尽きて、空から落ちていく。
そこでリンピアは逆しまの街を見た。
爆散した魔力の残滓は、隕石みたいに都会の街に飛散していく。それらは暗黒めいた摩天楼を彩り、街中を破壊していた。
願わくば、今夜の結末を見届けたかった。
リンピアは絶え絶えの意識で思考を巡らせた。
ロアとソフィアはスキルワードに追いつけただろうか。
心配になったリンピアだが、今夜の役目はもうこれで終わりだ。
こんな怪異は早く滅却しないと……。
それは黒幕を捕まえれば果たせるのか?
否、そうはならない気がした。
スキルワードはきっと怪異を利用しているだけ。
問題の根幹はもっと別。そんな予感がした。
――ロアくん、わたし、この先も不安だよ。
弱気な心を自覚しながら、リンピアは夜空に抱かれて眠りについた。