Episode21 第三夜 - 天馬空を行く
階段を上がって屋上へ。
重たい鉄扉を押し開けて進んだ。
外は、むせ返るような熱気に満ちていた。
夜空は窓ガラス越しに見るそれよりどす黒く、墨を撒いたように重厚な帳を下ろしている。
「うっ……これは……」
リンピアは思わず口元を塞いだ。
「すごい瘴気だな。魔力の抵抗性が低い子どもが長居したら気が触れるぞ」
平気そうな顔して空を仰ぐソフィアの言葉で、リンピアはミナが心配になった。
屈んでミナの表情を確認した。顔色が悪い。
あまり時間はなさそうだ。
大丈夫かと尋ねても、ミナは首を振るばかりで声も出せないようだ。リンピアはザックからハンドタオルを取り出し、ミナに渡した。
「これで口を押えてて」
「ありがと、お姉ちゃん……」
「すぐママの所へ連れていくから辛抱してね」
黒い瘴気が大気中に広がっている。
屋上から見渡せるビルの壁には振り撒かれた"黒"が楔形の古代紋章を象り、浮かび上がっていた。
屋上の先。
それはすぐに目に留まった。
暗がりではっきりと見えないが、小さな子どもが中央に固まって座らせられていた。そしてそれを取り囲う3つの影……。
「やれやれ、2対3か。分が悪いな」
「私も戦力に数えてくれるんですか?」
「なに言ってるんだ、リンピア。お前がこちらのエースだよ。そのイカした兵器で蹴散らしてやれ」
「やっぱり、からかってません……?」
ソフィアは応えずに歩き始めた。
不満そうにリンピアもその後を付いていく。
魔砲武装は見た目がアレだが、高威力だ。
宙に浮く6つの砲身の照準速度といったら、一度見れば惚れ惚れするほど。ソフィアが茶化すのは、おそらくリンピアらしからぬ派手な武装に違和感を感じるからだろう。
集団に近づくにつれ、歌声が聞こえてきた。
透き通った声だが、どこか重みのある声質に蠱惑的な魔力を感じる。歌声の主が誰か分かるまで、まったくの初登場の人物かとリンピアは思っていた。
だが、歌うたいの少女は見知った顔だった。
「リルガちゃん……?」
リルガ・メイリー。
昨晩、お泊り会までして裸まで見た仲だ。
魔術相談所まで一緒だったが、逸れていた。
それが敵陣と思われる陣営に付いてるとは……。
しかしながら、リルガは一心に歌うだけ。
リンピアやソフィアが屋上に現れたことすら気づいていないようである。もしやそれがリルガが【七つ夜の怪異】で目覚めた異能だろうか。
敵味方の意識がないのかもしれない。
その近くに座る子ども達は洗脳されたように目に輝きを失っていた。
「テネくん! レミリちゃん! シェリちゃん! オランくん! ベルンちゃん!」
タオルで口を押えていたミナが、囚われいる子どもを見つけてそれぞれの名前を叫んだ。
ミナは学校の友達だと言っていた。
魂が抜かれたような姿にショックを受けていた。
リルガの歌声のせいか、この怪異に漂う瘴気に充てられたせいかは分からない。
どちらにせよ、全員保護して連れ帰る。
それが街の探偵さんの仕事だ。
「ようやくお越しですか、ソフィア」
品の良さそうな口調で神父が語り掛けた。
ソフィアは足を止めた。
神父と、その隣にはフードを目深に被った魔術師ローブ姿の女がいた。シグネだった。
「オズワルド……。あんた、外道にでも成り下がったのか? さっき纏っていた魔力といい、その絵面といい、聖職者のようには到底見えないぞ」
「外道だなんてそんな。人聞きが悪いですね」
「なら、なんで子どもを攫ったんだ?」
「はて、何のことですか。私はこの子たちを保護しているだけですよ」
ソフィアは鞄を握る手に力を込めた。
苛々して……否、元から毛嫌いしている?
確かに、この神父の胡散臭い語り口は面識の薄いリンピアでも薄ら寒い印象を覚える。
「保護だと? そういうのは親に託されるか、有事の時にしろ。間違っても無断で連れていくな」
「ですから、今がその有事です。街に放っておいてどうなると思います? ほら空を見てみなさい」
オージアスは大袈裟に両腕を天に掲げた。
上空は星も見えず、ただ暗黒が広がっている。
よく見ると、黒い液状の何かが地上に降り注いでいた。
「あれはアールグリッジを呑む災厄の権化です」
「……へぇ、変だな。この街は私が愛するアールグリッジとは似ても似つかないし、災害が起こってるとは思えないほど静かじゃないか。ん?」
普通の災害なら、住民の悲鳴や避難する音、公安の活動で騒がしくなるはずだ。そうならない理由はリンピアも、ソフィアも、重々分かっていた。
ここは現実世界ではないのだ。
アールグリッジに危険があるんじゃない。
七つ夜の怪異が危険なだけだ。
仮にオズワルドの行いが善意によるものでも、子どもたちの様子はおかしい。
親から依頼を受けたのはソフィアだ。
オズワルドに仕事の邪魔される筋合いもない。
「昔から変わらず、減らず口ですね」
「そういうあんたも胡散臭さが2割増しだ。つくならもっと上手い嘘をつけ」
「……少し前まで小娘だと思っていたのに、もう人に命令できるほど偉くなりましたか」
オズワルドは位置取りを変えた。
それにあわせてシグネも後方に下がった。
ソフィアは相手が臨戦態勢に移ったと見て、前屈みで迎え撃つ準備をした。
「いいでしょう。再戦といきましょうか――ッ!」
オズワルドは体内から黒い魔力を吹き出した。
「ガァアアアアァァアッ!」
放出された魔力を一瞬で全身に纏い、屋内で見た姿と同じく大トカゲのような容貌に変わり、四つん這いで突進してきた。
「リンピア! 援護しろ。お前は"鳥"だ!」
「はいっ……!」
オズワルドは屋上のタイルを抉りながら、凄まじい勢いで接近してくる。
それに気を取られていれば見過ごしたかもしれないが、シグネが浮遊能力で空に飛び立っていた。
既に魔術を装填し、射出の準備をしている。
リンピアは魔砲武装の照準を合わせ、手動でも魔導銃を構えて迎撃した。
ソフィアはオズワルドの相手に集中する。
床に手持ちのトランクケースを打ちつけ、機関砲の砲身を出して構えた。
手を翳し、魔力を充填して魔弾を連射する――。
「アアアアアアッ!」
四つん這いの怪物が咆哮を上げた。
魔弾を幾度、顔面に撃ち込んでも、怯まず迫ってきた。
「チッ……」
ソフィアは機関砲を一度しまい、鞄の形状に戻すと、差し迫るオズワルドの顎にそれを叩きつけた。
だが猛攻は止まらず、黒い爪が襲ってきた。
鞄を盾にし、爪牙を防ぐ。
――ギギィ。
かぎ爪の不気味な音が、熱帯夜に響いた。
隙さえ見せれば、トランクケースをすぐ変形させて銃砲に変え、蜥蜴の体躯を打ち抜くが、ダメージが通っているようには見えない。
ソフィアは鞄に忍ばせた魔道具以外にも、魔力で練り固めた棘を床から突き出してオズワルドを串刺しにしたり、不意打ちのように脳天に弾丸魔術を打ち込んだりしたが、いずれも有効な攻撃手段にはならなかった。
「ハァ、まるで戦車のような武装だな」
ソフィアは長丁場になることを覚悟して、機関砲の砲身を構え直した。
一方で、リンピアも苦戦していた。
シグネに浮遊能力があることは知っていたが、知っていても応戦できるわけではない。
相手は自由自在に空を飛び回る。
そして、魔弾を四方八方から撃ってくる。
分が悪かった。
しかもシグネは人質の子どもを何とも思ってないのか、屋上で放心状態の子どもに当たりそうになっても構わずバレッタを撃ってくる。
友達を正気に戻そうと寄り添うミナだけが悲鳴を上げていた。
リルガは相変わらず歌を歌うばかりだ。
「ちょっと、子どもに当たったらどうするの!」
「知るものですかっ。貴女が壁になったら?!」
「なんて女……っ!」
リンピアはかちんと来て、さらに魔力を込め、シグネを打ち落とそうと魔導銃や魔砲を撃ち続けた。
だが、無駄撃ちばかりだ。
ロアとの契約で魔力だけは無尽蔵にあるが、持て余していた。
「リンピア! せっかくの力、もっと活用しろ!」
ソフィアの叱咤が飛んできた。
背後を向くと、黒い大蜥蜴となったオズワルドの応戦をしながらも、こっちを気にかけて戦いぶりを見守っていたようだ。
それだけの余力があるなら大丈夫そうだ。
リンピアは安心した。
しかしながら"力"とは……。
リンピアが七つ夜の怪異で獲得した異能。
それは絵に描いたモノを具現化する能力だ。
既に使っている。『魔砲武装』として――。
「何でも創れるんだろ! 鳥になれと言ったんだ」
「え、鳥……!?」
「翼を背中に描くなりなんなりして飛べるだろ!」
――援護しろ。お前は"鳥"だ!
あれは鳥の相手をしろという意味じゃなく、「お前が鳥になれ」という意味か。
そんな発想がなかった自身を恥じる一方、翼を生やすことにも抵抗を感じた。今まで地上で生きてきた人間が急に空を飛べるとは思えない。
しかし、シグネの攻撃の雨は続いていた。
有無を言わさない。迷う暇はなかった。
「えーい! どうせ現実じゃないしっ」
リンピアは迫り来る魔弾を回避しながら、魔力を散らして背中に『翼』を描いた。
背中は見れないから想像力で補完した。
もはや自棄糞だ。
――ぶわり、と背中に抵抗を感じる。
それは意思を持ったように羽ばたき始め、リンピアをよろめかせながら、ついには空中へ体を押し上げた。
「うわぁあああ、っとと!」
重力に逆らっての飛翔。恐怖心が湧く。
ただでさえ高層ビルの屋上だ。
そこから飛び立てば、高度はさらに高い。
「な、何なの、貴女。その能力……」
シグネは急に自分の領域を侵してきたリンピアに動揺した。
「はわわわっ! う……うぐぅぅ! ひぃい!」
制御が利かなかった。
リンピアは上下左右、滅茶苦茶に飛び回った。
シグネの動揺に愉悦を感じる余裕もない。
初めて飛ぶ恐怖心と戦う余裕しか――。
「ふざけた能力ね! この空は私の土俵よ!」
シグネはプライドを傷つけられた。
唯一手にした異能を、リンピアは軽く凌駕してきたのだ。
地上に打ち落としてやろうと弾丸魔術を放つが、リンピアの肩から脇に備わる6つの『魔砲武装』がシグネを敵と認識し、自動照準システムが勝手に働き、既に迎撃を始めている。
「くっ……何なのよ、この娘は!」
「きゃあああああっ」
空を翔ける究極兵器リンピア・コッコ。
彼女の力は、ここからが本領発揮だった――。