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Episode18 或る少女の残滓


 しんと静まり返る部屋に寝息が一つ。

 連日続いた狂騒の疲れでリンピアはすぐに眠りについた。

 ベッドサイドには小さな灯り。

 その穏やかな寝顔が照らされている。


「……」


 傍らに立つ少女もまた、この時だけは穏やかな表情を浮かべていた。この夜、この場所だけは何者にも邪魔されない世界だ。

 寝るにはまだ早い。


 ――思えば、初めからこれだけで……。



 もう遅いか。

 少女は物憂げな表情を浮かべた。

 目を反らし、本棚を見上げる。


 よく整理された本棚だ。

 よほど本が好きなのか、痛まないように日光を避けた位置に棚が置かれていることに関心した。


 彼らの遺業をこの目で拝める日がくるとは。


「アルバーティ……オルドリッジ……」


 掠れた声が闇に溶けて消えた。

 少女は祈りを捧げるように目を瞑る。

 そのまま本棚に並ぶ2人の著者に思いを馳せた。


 浮かぶのは虚ろな夢。



 そう、ただの夢だ……。





 とても長い間、古めかしい洋館にいた。


 歴史ある街の、或る貴族が有する豪邸。

 そこでは日常的に屋敷の使用人が朝から慌ただしく駆け回って忙しなくしていたのだが、ある日を境に、そんな光景が見られなくなった。


 それどころか屋敷には誰もいなくなっていた。

 少女はいつからか、そう認識した。


「どう……して……?」


 長い廊下を歩き、部屋という部屋を調べ、厨房や食堂、武器庫や地下室の隅々まで探したのに、人間はおろか、生命の痕跡すら消えていた。

 大仰な玄関ホールの扉を開け、庭園を進んだ。


 ――ま……ち……。そう、町だ。


 人々は町で暮らしているものだ。

 屋敷を出れば誰かに遭えるかもしれない。

 外に出たい。誰かに会いたい。


「あ……」


 だが、正門から先には"一面の白"しかない。

 何もない世界には一歩も踏み出せなかった。

 透明な壁が立ちはだかっているかのようだ。



 このとき、少女は初めて自我(・・)を覚えた。



 住んでいたと思った屋敷はただの幻覚だ。

 継ぎ接ぎだらけのはりぼて。

 象っただけの造形物。

 なにか別の存在(レンズ)を通して眺めていただけの、"紛い物"に過ぎないのだと悟った。


 ――絶望した。

 自らがどれほど孤独で、希薄なモノだったか思い知った。


 どうしてこんなことになったのだろう。

 少女は泣いた。

 涙など流せないが、心では嗚咽が止まらない。

 しばらくそうしていると赤い塊がふわふわと空から降ってきた。肉眼で見えるサイズにまで縮小した太陽のようでもある。


 禍々しい色をしていた。

 血のように赤く、それでいて黒い。

 まるで赤い月のようだ。



『ああ、こんな所に残り滓があった』



「のこりかす……なに……それ……」


 少女は忌々しげに球体を睨んだ。

 自我を覚えてから初めて知性体と接触したというのに、少女はソレを歓迎しなかった。


「だれ、あなた……誰なの……っ!」


 拒絶するように叫ぶ。

 赤とも黒ともつかぬ球体は眼前で止まった。




『私は女神……の成れの果て……』




「女神――」


 少女は相手が誰かを知っていた。

 否、随分前から知っていることを、思い出した。

 少女が長らく見ていた屋敷の光景も、この女神の存在(レンズ)を通してのものだ。


 ――少女(わたし)は『女神の眷属』だった。


 と或る青年とは似て非なる者。

 実体のない精神だけの存在が少女の正体。

 少女の元の肉体(よりしろ)は、既に別人としての生を謳歌していた。


 此処にいる少女は、文字通り"残り滓"だ。




『思い出したのね。

 ――さぁ、もう全ては終わりました』



 女神は確然としてこう告げる。



『あなたの旅もこれで終わりです』



 突然の死の宣告。

 少女は生を自覚して間もなく死ぬことになった。


「いや……嫌だよ……死にたくない……」


 庭園に跪いて嘆いた。

 無機質な屋敷が佇む無機質な庭園で、少女は独り生きたいと願った。


「なんで……。私は願い事をしただけなのに」


 すべてを思い出し、嗚咽する少女。

 そうだ。これは代償だ。

 かつて女神に願ったことの代償。遠い記憶だ。


 ――見たことのない世界を旅してみたい。


 好奇心旺盛で、無邪気な学生だった頃。

 女神を祀る古代遺跡に迷い込み、そうして超常なる存在と出会った。そこで願い事をしたのだ。


 ちょっとした好奇心だった。

 今とは違う別の自分になれたら――。


 誰でもそんな妄想はよくするものだ。




 少女はその願いを叶えた。

 女神は約束通り、少女に別の人生を与えた。


 一度、赤ん坊まで戻され、魔術を学ぶ学徒ではなく、世界中を旅する冒険家になった。

 女神は人間を貶めるための一つの駒として少女を使ったが、それも無自覚な出来事。

 新たな人生を送る少女には何ら弊害はなかった。



 ――だが、それは"新たな自分"の物語。

 かつての少女の人格は未だこうして此処にいる。

 肉体を強制的に赤子にされ、容量(カラダ)に合わない精神体だけ弾かれてしまったのだ。



「どうして私が……どうして私が……っ!」


 ぴしりと亀裂が走った。

 無機質な庭園は崩壊を始めた。

 女神は眷属の暴走を感じ、空へ飛んだ。

 少女を諭すように語り掛ける。



『復讐はもうやめたの。

 彼らには敵わないと気づいてしまったから。

 未来を紡ぐのはいつだって次の世代だったのよ。だから貴女も自由の身です。来世を謳歌するために私とともに――』


 ここで女神とともに昇華されれば、今よりもっと良い人生を歩むことが出来る。それは保証する。

 女神はそう諭した。



 ……だが、なおも続く地響きの音。

 崩壊する庭園。裂け続ける空虚な屋敷。

 それは鳴り止むことのない不協和音だ。


 少女は頭を抱え、悲鳴とともに抗い続けた。

 拒絶しろ……。騙されるな……。

 ある時、ぱたりと悲鳴は止み、残響が空白の世界に轟くと嘘のように静寂が訪れた。



「ああ、そうか」



 この空虚な庭園こそが少女のすべて。

 このまま独りで消えるのは嫌だ。


 それなら――。







「……うう……ん……」


 静まり返る夜。

 狭い部屋に吐息が漏れた。

 リンピアは深い眠りについている。

 そこに近寄る少女。

 蒼月光に浮かぶ栗色の髪。健康的な素肌。


「リンピアさん、私たち似た者同士ですよね?」


 歪んだ少女の笑顔が月明かりに照らされた。


 

     ◆



 大きく伸びをし、朝日を拝んだ。

 カーテンすら閉め忘れていたようだ。


 リンピアは重たい瞼を擦り、上半身を起こすと、布団の中の違和感に気づいた。


「ん……?」


 床に敷いた布団は無人だった。

 掛け布団を豪快に捲ると、そこにはリンピアの脇で縮こまるリルガがもぞもぞと動いていた。


 気持ちよさそうに眠っている。

 まるで物語の男主人公のような展開だとリンピアは呆れ果てた。まったく嬉しくもない。


「ほーら。リルガちゃん起きなさい」

「むぅ……まだ食べられますよぉ……」

「駄目だこれ」


 夢でも食い意地を張る女の子を脇に避け、リンピアは先にベッドから降りた。


 姿見で確認しながら長い髪に櫛を入れる。

 そうだ、と気づいて早々と服を取り出した。

 昨晩のように体を弄られるのも嫌なので、リルガが目覚める前に寝間着から着替えた。


 昨晩はやたらと寝苦しかった。

 眠りも深くて夢も見なかったが、何かが重く圧し掛かるような圧迫感があった。


 ……体が悲鳴を上げているのだろうか。



 鏡に映る顔を確認する。

 ロアにつけられた頬の傷跡に変化はない。

 彼の操る赤黒い魔力は、魔術師には猛毒だと言われたが、それが体を蝕むこともなく、そのまま【血の盟約】の刻印として機能していた。


 顔を洗い、よし、と気合一声。

 頬を叩いた。


「今日こそは事務所へ行くっ」


 目的は忘れていない。

 リンピアがロアと別行動して市街に戻ったのも、例の依頼状の宛て名を確認するためだ。


 ソフィアの叱責も恐いが、真相究明のため。

 七つ夜の怪異に紛れ込む"第三勢力"は果たして誰なのだろうか。何を企んでいるのだろうか。




 出かけの頃にはリルガも目を覚ました。

 トヤオ町に帰るよう促したが、どうしてもリンピアを連れ戻さないと帰りたくないらしい。

 仕事場には何故かリルガもついてきた。



 事務所が入っているビルの階段を昇る。

 建物の側面についた階段で、風雨に曝され放題のため、錆びついている。

 一段昇るごとにカンカンと軋み上がった。

 それが2人分だ。


「いい機会なので所長さんにも苦情をいれます」


 リルガが突然、切り出した。


「苦情って?」

「リンピアさんが遺跡から逃げ出した件ですよ」

「そういうのって雇用主がするものじゃないの?」


 リンピアは苦笑いを浮かべながら扉を開けた。

 その雇用主を特定するために来たのだが。



 ここよ、と言ってリルガを招き入れた。


 魔術相談所には誰もいなかった。

 所長のソフィア・ユリネは、リンピアが出勤するときにはほとんど居るのだが、この日に限っては居なかった。リンピアは少し安心したものの、そう思ってしまう自分が情けないな、とも反省した。


 鬼の居ぬ間に、とばかりにリンピアは書類を保管している引き出しを調べ始めた。


「仕方ないですよ。神父さんは持ち場を離れられないですからね。私が代わりに伝えるんですっ」

「ふーん、そうなの」


 リンピアは生返事をした。

 書類探しに夢中だった。


「トヤオ町の住民はみんな家族ですからね」

「へぇ、仲良しなのね」


 助け合いの精神です、とリルガは胸を張った。

 リンピアは聞き流しながらも、トヤオ町は村社会的な雰囲気なのか、と町の光景を思い返した。神事を執り行う神父など、住民と最も交流が深いのだろうな――


「え?」


 そう考えたとき、違和感に気づいた。



「リルガちゃん、神父さんって誰のこと……?」



 リンピアは手を止め、視線を向けた。


 不自然だ。スキルワードは死んだ。

 七つ夜の怪異に殺され、他の調査隊のメンバーと同様、怪異に囚われたはずなのだ。

 だから現実では存在ごと抹消された。

 ――と考えていた。


「神父さんは神父さんですよ。トヤオ町の教会神父のスキルワードさんです」

「…………」

「雇用主のこと、覚えてないんですか?」


 リンピアは焦って書類探しの手を早めた。

 リルガの問いかけも無視して。


 そして依頼状を見つけ出した。

 封筒を裏返し、差出人を確認する。

 そこには確かに、


   ――――オズワルド・スキルワード。



 そう書かれていた。



「消えてない……」


 抹消されていなかった。

 スキルワードはまだ現実に存在する。

 リンピアは頭が混乱した。


「なんで……!?」

「どうしたんですか、リンピアさん?」


 リルガを問い詰めても意味がない。

 だが、その少女の恍けた顔を見て、リンピアは第一夜が終わった直後の出来事を思い出した。

 第一夜が明け、ガロア遺跡で目を覚ましたとき、近くにいたリルガに声をかけた。リルガはリンピアを覚えていなかったが、


 "神父さーん! すみませーん――"


 いつしか日が暮れていたことに驚いたリルガが、神父を呼びながら走り去ったのだ。


 あの時は動転していて気にも留めなかった。

 だが、第一夜終了後にリルガは神父を呼んだ(・・・・・・)

 あの時点から判っていたことだった。

 なぜ思い出さなかったのだろう。



 前提から間違えていた。作戦は練り直しだ。

 スキルワードは死んでいなかった。

 死んだように見せかけただけだ。

 つまり、黒幕はスキルワード……。



「早く、ロアくんに知らせないとっ」


 急いで魔術相談所から出ようと思った。

 だが、一歩踏み出したときには既に暗転が始まっていた。


「……っ!?」


 闇に溶けていく事務所の風景。

 リルガもその恍けた顔のまま、暗黒に塗り潰されていく。


 第三夜が始まろうとしていた。



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