Prologue1-2 絵描き仕事
日暮れ、事務所の戸締りをして帰路につく。
今日は変な依頼があったことだけが心残りだ。
【メトミスの怪】は心の泥濘を掻き回すように、リンピアの頭にずっと残り続けている。
モヤモヤした気分のまま帰る気にもなれず、リンピアは行き着けの喫茶店に寄り、夕飯だけ済ませてしまおうと考えた。
「いらっしゃい~……って、リンピア!」
「やっほー」
喫茶店の戸を遠慮なく開け、中に入る。
ここは勝手知ったる他人の家――とも言うべき、幼馴染が経営する『喫茶・月光亭』だ。
市街地でも目立たない奥まった立地で、その門前には凝った園芸を施しているため、通り道からは廃墟にしか見えず、現代風に言い繕えば"オシャレ"な店構えをしている。
そんな見栄えで大丈夫かと幼馴染ながらに懐事情を心配したものだが、昨今はむしろこういう隠れ家的な店構えが流行りだそうで、地味に人気を博している。
今日は客入りが少ないほどだ。
カウンターには店主のイルマ・マユリがいた。
イルマとは孤児院の頃から一緒だったが、大人になってからもこうして付き合い続けてくれることに感謝している。
イルマは短めに切り揃えたボブカットで、仕事では黒のカマーベストを着ているが、彼女の性格によく似合っている。
「今日は珍しく3人揃ったわね」
「ん……3人?」
イルマはどうやらリンピアではなく、カウンター席に座る一人の青年に対して声をかけていた。
「ああ。お前か」
青年は少し振り向いて素っ気ない態度を示した。
不愛想なこの青年も一応、幼馴染の一人だ。
「相変わらず不愛想ね~……」
イルマが苦笑いを浮かべながらもリンピアを横へ座るよう促した。リンピアも青年の態度に慣れたもので、今更気にする様子もない。
名をオット・ファガーという。
目つきも怖ければそれを改善する様子も更々ないのか、明るく振舞う様子も見せない。それでいて負けず嫌いな性格をしているから扱いづらい男だ。
ごわついた短髪には砂埃がついたまま。
炭鉱仕事を終えたまま、店に寄ったようだ。
肉料理をゆっくり食べるオットの隣で、それとなく旬の魚料理を頼み、料理を待つことにした。
「オット……顔色悪いけど、大丈夫?」
話すこともないのでそれとなく尋ねた。
オットは肉を難しそうに咀嚼しながらリンピアと目を合わせ、静かにそれを呑み込んだ。
「……大丈夫だ……ごほっ、ごほっ」
随分と時間をかけたのに返事は一言だけ。
オットはこういう男だ。だが、顔色が悪いのは事実で、咳き込む彼の様子を見たこともない。
仕事で疲れているのだろうか。
「最近、仕事の方はどうなの?」
「……稼ぎが悪い」
「そ、そう。まぁ、わたしもだけど」
「…………」
「……」
会話が続かなかった。
昔からこの男はそうなのだが、リンピアが会話術を磨けたのはこの幼馴染の存在あってのことではないかと最近思っている。
不愛想な相手と会話することは苦痛じゃない。
魔術相談所で色んな人に相談を受けていると、聞き上手だとたまに褒められることもある。
「でもな……」
「でも? 何か言った?」
「もうすぐ臨時収入が入る」
「へぇ、臨時収入か。新しい仕事でも始めるの?」
「…………」
オットは黙りこくった。
たまに咳払いをする程度で教えてくれなかった。
「リンピア」
「なに?」
「親のことを覚えているか?」
「…………」
脈絡もなく聞かれ、思わずリンピアも黙った。
なぜいきなりそんなことを聞くのだろう。
リンピアも、イルマも、オットも、三人とも孤児院育ちだった。一番年下のリンピアはもちろん親のことは覚えていないが、オットは二つ上。少しは両親との思い出があるのかもしれない。
「俺は覚えている。捨てられたわけじゃないと今でも確信している」
「うん……」
お互い良い年した大人だが、この年になった今だからこそ自分の出生が気になる。
その気持ちは理解できる。
リンピアも人生の岐路に立ってみて両親のことを考えた。
「俺は少し……街を離れる……ごほごほっ」
「どこに行くの?」
「南の……ガロア遺跡だ」
「え!? それってもしかして!」
――臨時収入。ガロア遺跡。
この二つの単語だけで間違いなくオットがエスス魔術相談所に届いた遺跡調査依頼と同じものを引き受けるのだと気づいた。
事情を聴くに、オットには遺跡採掘の依頼があったらしい。
炭鉱夫で採掘作業に慣れているオットにその手の依頼がくるのは不思議ではない。だが、おかしいのは個人宛に依頼が来ていることだ。
炭鉱仕事なら団体へお願いするものだろう。
それを個別に、というのは変だ。
リンピアのときも同じだった。
ガロア遺跡の危険性について何とか伝えようとしたが、七つ夜の怪異や【メトミスの怪】については鼻で笑われ、あしらわれた。
「ガロア遺跡の碑文の話は知っている」
「なんだ……知ってたんだ」
「だからこそ行く」
「何で!?」
「俺たちの親も――――ごほっ」
「……?」
それ以降、オットは何も喋らなかった。
硬直したようにリンピアの顔だけ見つめ、少しするとカウンターに向き直って食事を再開し始めた。
リンピアが納得できない様子でいると、
「お前は来るな」
と一言だけ添えてまただんまりだ。
オットはそれから皿の残りを無理に急いで食べ、お金だけ置いて月光亭を出て行ってしまった。
遅れて魚料理が登場した。
「ごめんねー。焼くのに時間かかっちゃって……あれ? オットは?」
「帰ったみたい」
「なによ、せっかく昔話で盛り上がろうと思ってたのに! あんなだからモテないのよ」
「ははは……」
オットの様子は普段からあんな感じだが、咳き込みや口ぶりも変だった。何にしろ、自分たちの両親の話なんて今までしたこともない。
それが七つ夜の怪異と関係しているとでも?
「イルマ……変な遺跡調査の協力依頼とか来た?」
「遺跡調査ぁ? 喫茶店の店主に一体なにを依頼するっていうのよ」
「そ、そうだよね。ごめん、変なこと聞いて」
イルマが平穏そのもので安心した。
一方でオットのことが心配になってしまった。
危険な調査だとソフィアも言っていた。リンピア自身もおかしな点ばかりだと思うし、脳が危険信号を発していた。
それでも、行かなければいけない気がした。
俺たちの親も――――。
オットが最後に告げた言葉が気にかかる。
【メトミスの怪】に代表される"七つ夜の怪異"は集団妄想が具現化したような怪奇事件だ。
メトミス渓谷では80年前に起きたが、近年も他の町で似たような事件が起きたかもしれない。その結果、リンピアのように身寄りのない孤児がいるのだとしたら――。
それならリンピアも無関係ではない。
翌日、エスス魔術相談所に出社したリンピアは早速、昨日の依頼の応諾書にサインをして返信することにした。
「臆病娘が一体どういう風の吹き回しだ?」
「このガロア遺跡の件、わたしも気になりました。個人的にも無関係じゃないかもしれません」
「というと?」
リンピアは所長へ昨日幼馴染から聞いた話と、自分の推測をすべて話した。
ソフィアはそれを聞いて何か助言をくれるわけではなかったが、机から離れ、ぶ厚い本が並ぶ書棚へ移ると中から魔導書を何冊か見繕い、金庫から魔導銃を取ってテーブルの上に並べ始めた。
「君はあくまで調査員であって戦闘員ではないが、念のため、自衛できた方がいい」
「攻撃系魔術なら多少は心得てますよ」
「知っている。だが、魔導書はそれだけで魔除けになるし、魔導銃は言わずもがな弾丸魔術の威力を高める。――君にとっての剣と盾だ」
「いいんですか? ソフィアさんの私物じゃ……」
「遠慮せずに持っていけ。記念すべき助手の初仕事だ。用意周到にな?」
「ありがとうございます!」
思えば、大きな決断をしたのは初めてだ。
今まで孤児であることに負い目を感じたことはなく、むしろ孤児院で今の幼馴染の付き合いもあることは幸せに思っている。
それはそれとして、両親がいなくなった理由がそこにあるのなら気になるのが人間の……生物の性のような気がする。
オットのことも気がかりだ。
調査は五日後。
集合場所はリンピアたちが住むアールグリッジ市街から離れたトヤオ町の広場だ。市街と町の距離は徒歩で半日程度の距離で、そこからガロア遺跡まで数刻歩けば辿り着く。
何かあれば、すぐ市街へ引き返せるだろう。
リンピアはスケッチブックとペンを新調して写生の調子も確かめた。服も旅装用のものまで用意して準備万端だ。
「よし! ばっちり」
自宅で荷を確かめ、あとは天気が良ければいいななどと呑気なことを考えながら夜空を眺めた。
今宵は月明かりが強く窓に差し込んでくる。
◆
しんと静まり返る夜の荒野に外套の男が一人。
小高い丘から見下ろす荒野には突き出した石柱や石造りの祭壇が放置されている。
此処こそ『ガロア遺跡』と呼ばれる土地だ。
煌々とした月光が照らす夜の荒野は、どこか地上とかけ離れた光景で、月面を再現したかのように灰色の大地が無限に広がっている。
「また、か……」
男は消え入りそうな幽かな声を出した。
澄んだ空気を大きく吸い、長く吐き出す。
男は失意と安堵のまったく異なる感情を抱きながら荒野を眺めていた。
「始まるのだな。今後こそは」
唇をきつく結び、ガロア遺跡を望む。
風が吹き抜け、黒い髪から白い素顔が晒された。
剥き出しの右腕は古傷だらけで、顔にも傷跡が残っていた。風貌は屈強な戦士然としているが、その素顔はまだ幼さも残る。
月と同じような金色の瞳だった。
――青い夜空に浮かぶ孤独な月のように、物憂げな表情をしている。