Episode16 誰彼考察Ⅱ
――朧気な景色を見ていた。
リンピアは確かに"第二夜"を抜け出た。
それは確信を持って言えることなのに、まだ現実に戻っていないのだという焦燥感もまた胸中を支配していた。
それか、その焦燥感は、この依り代自身が抱えているものなのかもしれない。
これは……。
「なーんか様子がおかしいわね?」
真っ白な髪に赤い瞳の女が顔を覗き込んだ。
絵画でしか見ないような、絶世の美女だ。
リンピアは思わず仰け反った。
異様に相手の背が高いと感じたが、周囲の景色がはっきりするにつれ、こちらの背が低いのだと気がついた。
リンピアの意識は今、別の誰かにある。
おそらく幼い少年だ。
「今日は落ち着きがないようね」
「――さん、ロアくんはまだ3歳です」
隣を歩く女が助け船を出した。
……ロアくん。その名で呼ばれ、確信した。
この身体は、ロアの幼少期の姿だろう。
彼の幼い頃の記憶を見ている?
リンピアの意識とは無関係に、助け船を出してくれた女の顔を見上げた。
本能的にそれが母親なのだと察した。
尖った耳。髪色は藍染めのような青。
瞳はロアと同じ黄金色だ。
白髪紅眼の美女が絵画のような美しさなら、青髪の女は本の挿絵のような幻想的な美しさだ。
その流麗な容姿は、妖精のようだった。
「むしろこれが年相応では?」
「そりゃそうなんだけど……あなたとお姉ちゃんによく似てすごく冷静よ、普段は」
「ふーむ……」
「またそれも気のせいって言うの?」
美女二人は足を止め、議論し始めた。
場所は森……? 林だろうか。
木々が立ち並び、道もはっきりしないような雑木林を歩いている。女だけで危険ではなかろうかとリンピアは思ったが、二人とも警戒心はない。
「つまりロアくんは普段が異常なせいで、いざ普通っぽくなると、それが逆に異常に感じられる残念な性格ということですね」
「実の子に対してよく言うわね」
白髪紅眼の美女は苦笑いを浮かべた。
「母親だからこそですよ」
「……うん。ロアは絶対、母親似だわ」
「む。まるで私が残念みたいな言われ様!」
「違うのかしら?」
「違……わない……かもしれません」
そんなやりとりで最後には笑い出し、再び歩き始めた。買い物をしてきたのか、二人とも藁編みの籠を両手に抱えている。
リンピア――幼いロアは後ろをついて歩いた。
――時代が違うからな。
絵本の話をした時のロアの言葉を思い出した。
これがロアの幼少期なら、時代は300年前。
確かに生活様式は少し古めかしい。
雑木林を進むと、拓けた場所に出た。
そこに家が一軒建っている。
近所に人が住んでいる様子もなく、ひっそりとしていた。
屋根では誰かが釘を打っていた。
補修工事をしているようだ。
目を凝らすと、浅黒い肌にびっしりと入れ墨のような模様の入った男の姿が見てとれた。
遠目に見て、怖いと思った。
男がこちらに気づき、手を振ってきた。
雰囲気は温和だが、何か良くないモノを体中に溜め込んでいるような毒気を感じる……。
リンピアが魔術師だからだろうか。
その男に近づいたら一瞬で蒸発するのではないかと思えるほど、独特な瘴気と邪悪な魔力だ。
家に入り、男と居間で対面した。
白髪紅顔の美女が男に、今日は休んでればいいのに、と声をかけると、男は朗らかな表情で「また長いこと家を空けたら心配だからな」と言い返した。
男はこちらを見て、優しく微笑んだ。
リンピアはびくりとしたが、お構いなく頭を撫でられた。
逞しい体つきのわりに指先は細く、柔らかい。
そも、男も、女2人も、10代くらいだ。
リンピアよりも若そうに見える。
「…………?」
男は違和感を覚えたように眉間に皺を寄せ、まじまじとロアの顔を覗き込む。
先ほどの白髪紅眼の美女と同じ仕草だ。
揃いも揃って観察眼に長けているようだ。
「どうしたんですか、ロストさん」
青髪の母親が男にそう尋ねた。
男の名前が分かった。
ロスト。――父親のようだ。
「いや」
「……? ロアくんに何か?」
「なんというか、魂が混ざってる気がして」
「え、どういうことですか?」
「俺にもわからない。直観的に感じる」
"魂"という言葉に敏感な様子で、ロストも女2人も身構えるように距離を取った。
その警戒の原因がリンピアにあるなら、すべて打ち明けて謝りたいくらいだが、リンピア自身も幼いロアの言動を制御できるわけではなく、あくまで追体験している状態なので何も言えなかった。
意思と裏腹にリンピアは泣き出した。
剣呑な雰囲気に耐えられなかったのだろう。
「あーあ、ロストさんが泣かせたー」
「え、俺!? ……まぁ、そうなるか。ロア、ごめんな」
ロストはもう一度、ロアの頭を撫でた。
それでも泣き止まないので、青髪の母親が抱き上げてようやく鎮まった。
夕飯には豪勢な肉料理を食べ、談笑も交えながら食器を洗い、それぞれ就寝の準備に入った。
一家団欒とはこのことだ。
リンピアはこの家族を知り、安心した。
"彼"はちゃんと温かい家庭で育っていた。
「ロア、ちょっと来い」
寝る前、父親に呼び止められた。
「おとうさん」
「夕方は悪かった。怖がらせちゃったよな」
「ううん。平気だよ」
父親の右手が目に付いた。――義手だった。
悍ましい容姿から既にただ者ではないと分かってはいたが、先ほど"魂"の混在を指摘された時や、この身体欠損の姿を見ても、壮絶な人生を送ったことはよく分かる。
なのに、とても優しい目をしていた。
ロストは息子の胆力を感じたのか、背を向けて手招きした。
二階の廊下の突き当りに上下開閉式の窓がある。
そこを豪快に開け、ロストは飛び出した。
「ほら、こっちに来いよ。今夜は星が綺麗だ」
「うん」
屋根に出ると父親の手に引っ張られた。
一番高い所まで連れられて、2人肩を並べて星を見た。
雑木林の奥がかろうじて見える。
聳え立つ銀の塔や、さらに奥には圧倒的存在感を誇る巨城が構えていた。
魔術の施しなのか、城は煌々と照っている。
あの城は――世界的にも有名な城だ。
リンピアも知ってる。ここが何処か理解した。
周辺には城下町も広がっている。
街が近いのに、この一家はあえて人目につかない林の奥地に住んでいた。
「もう少し大きくなってから話すつもりだったが」
「うん」
「俺たちは普通の人間じゃない」
「うん」
神妙な語り口だが、ロアは淡々と返事した。
知ってると言わんばかりだ。
でも本当は、ロアは不安だった。
リンピアにはその感情が伝わってくる。
ロストは、ちゃんと分かってるのか、と何度も訝しんだ顔を向けていた。
「おねえちゃんにも言われた」
「ええ? ああ、あいつ……順番が」
ロストは悪態ついた。
「まぁいいか。……とにかく、人間はお姉ちゃんの修行に耐えられるほど頑丈じゃないから、それは覚えておくように」
「わかった」
凄くひ弱だからな、と父親は強調して言った。
「だから人間が危ない目に遭ってる時は、俺たちが守ってあげなきゃいけないんだよ」
父親が優しくて良かったとリンピアは思った。
物の分別も付く前から、七つ夜の怪異で見せたような、あの超人的な力をロアが持ってたら、一歩間違えれば、やりたい放題の極悪人になっていたかもしれない。
「俺たちは、人類の守護者なんだ」
ロストは星空を眺め、息子にそう伝えた。
無数に広がる世界で唯一無二の存在なんだと誇らしく語った。
「しゅごしゃ?」
「そう。守護者だ。俺たち家族みんなそうだ」
「ふーん」
父親は守護者が何たるかを語った。
至極単純な話だ。七つ夜の怪異の中でロアが語った"守護者"なる存在とは、なんてことはない、ある家族が目指した在り方だった。
聖地で神託を言い渡された訳でもない。
神に命じられた訳でもない。
そう名乗っただけの、謂わば"自称"だ。
しかし、彼らにはそれだけの実力がある。
人智を超えた力を持っている。
「なんで僕たちだけ特別なの?」
リンピアも思った疑問を、幼いロアは尋ねた。
今は感情が同調している。
「昔の話になるが――」
ロストは語った。
昔々ある所に。――こんな様式美から始まり、今こうして星空の下で息子に語り聞かせるまでの男の生涯を。
世界には男と女の2人の神が実在していた。
神は人類の繁栄とともに死にかけていた。
リンピアには信じられない話だが、その"信じられない"という人々の疑念こそ、神を形骸化させる原因だったと云う。
怒り狂った女神は人類に牙を剥いた。
神の威厳を人類に示そうとしたのだ。
それは天災であったり、魔族を含む亜人種の襲来だったり――――と、よく神話で見る逸話のような話ばかりだったが、それが実際の出来事として古代で起こっていたらしい。
その都度、人類は知恵を奮って乗り越えた。
イタチごっこにしかならないと悟った女神は、人類の中から選別した"特別な存在"を仲間に引き込み、力を与えた。
同士討ちを狙ったのだ。
その特別な存在こそが【女神の眷属】。
のちに『神の代行者』と刻まれる世界大戦の元凶だった。
「俺たちは、そいつの……子孫だ」
ロストは憎々しげに言った。
まるで遠い血縁である先祖を実際に見てきたかのように。
幼いロアには父親の言葉をすべては理解できなかったが、感覚的に、特別の力の根源は忌々しいものであると悟った。
リンピアにもその厭な気持ちが伝わった。
――そうか。ロアくん、嫌だったんだ。
まるで見知らぬ祖先の罪滅ぼしをさせられるような、そんな不満がぽつりと心の奥底に湧いた。
その為の『守護者』なのか?
ロアにはその不満を言葉で表現することもできなかったし、不満に思う理由も幼い思考ではまとめられなかった。
「それでお父さんは――」
◆
大事な夢を見ていた気がする。
「う、うーん……」
だが、息苦しさが襲っていた。
腕は痺れる。おでこも痛い。最悪の目覚め。
テーブルに突っ伏していたようだ。
リンピアは顔をずらし、横を向いた。
「…………」
「…………」
至近距離で女の子と見つめ合った。
「わぁああ!?」
「ひやああああ!?」
驚いた拍子に体を仰け反らせ、体勢を崩してそのまま椅子から転げ落ちた。
「いてて……」
「だ、大丈夫ですかぁ?」
覗き込まれ、声をかけられた。
そこに居たのはリルガ・メイリーだ。
トヤオ町の、ガロア遺跡案内役の子。
「え、此処は!?」
「寝惚けてるんですか? 変な寝言を言ってましたよ」
一抹の不安を覚え、体を起こすとカウンター越しにイルマ・マユリが頭を抱えていた。
ここは喫茶・月光亭らしい。
イルマが居るなら少なくとも現実。
リンピアは胸を撫でおろした。
「ねぇ、大丈夫? 相当疲れてるのね」
「イルマ……。えっと、わたしは……?」
何をしていたのだろうか。
直前まで夢を見ていた。ロアの過去だ。
その前は夢ではなく、確かに何かを成し遂げたはず。
「食べるもん食べたら急に寝たのよ」
「あ――」
席を見ると食べかけのケーキが置かれたまま。
そこで頭がようやく冴え渡ってきた。
第二夜の怪異に迷い込んでいる間、現実では喫茶店で寝ていたことになった?
窓辺を見やると、すっかり夜更けだ。
辻褄合わせの現象魔法が働いたのか。
それはともかく、なぜ月光亭にリルガがいるのだろう。
「まったく、逃げ出すなんて駄目ですよー」
不満げに睨むリルガに妙な違和感を覚えた。
彼女と最後に会ったのは昨日の事なのに、遠い過去のようで記憶が曖昧だ。