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Episode13 第二夜 - 青は藍より出で


 孤児院の裏手には確か、野菜畑があった。

 リンピアは庭で駆け回る子どもの隙間を縫って、幼いオットの影を追いかけた。


「待って……! オット!」


 建物の脇に入ると嬌声が遠くなった。

 小さい頃のオットは一人ぼっちで何をしていたのだろう。


 裏庭は建物から北側のため、昼も日陰になることが多く、リンピアも昔、何故こんな日当たりの悪いところに畑があるのか、とひねくれた子どものように考えたのを覚えている。

 物陰からその裏庭を眺めると、まだ10歳にも満たない男子が一心不乱に(くわ)を地面に打ちつけていた。

 あまりに一生懸命なものだから、リンピアも声をかけることができなかった。



 ――どすっ、どすっ、どすっ。


 休むことなく、鍬の音は続いていく。


 少しして孤児院の裏口から誰かが出てきた。

 勉強を教えてくれるベルタ先生だった。ふっくらした包容力のあるおばさんで、傍から見ても子ども好きそうな雰囲気を感じる。

 裏戸に手をかけたまま、オットに問いかけた。


「オット君、みんなと遊ばなくていいの?」

「……」

「きっとみんなも遊びたがってるわよ」

「……」

「ほら、イルマちゃんも、リンピアちゃんも、もう他の子と打ち解けて遊んでる」

「……いいんです」

「え?」


 ベルタ先生は驚いていた。

 返事があったこと自体が意外だったようで意味まで理解できなかったようだ。

 オットは鍬を止めて裏戸に振り返った。


「いいんです。それより畑を……」

「畑? 畑がどうしたの?」

「あいつの畑、つくってやらないと」

「あいつってイルマちゃんのこと? お料理好きだから?」

「……」


 オットは首を振り、そっぽを向いた。

 その視線の先には四人の子どもが林の近くで虫取りをして遊んでいる――。


「嫌ぁ……!!」


 一人の女の子が悲鳴を上げた。

 どうやら男の子の一人が昆虫を捕まえて、嫌がる女の子に面白がって近づけているようだった。


 あ――。リンピアは気づいた。

 女の子は幼い自分自身だった。こんな嫌がらせを受けていた記憶も綺麗さっぱり忘れていた。

 嫌がるリンピアに、ついに男の子は昆虫を投げつけた。


「きゃぁぁあああ! 嫌ぁあああ!」


 悲鳴を聞きつけたオットは、鍬を投げ捨てて凄まじい速さで駆けつけた。

 そしてリンピアの肩に付いた大きなバッタを掴み、男の子に投げ返した。


「うわっ、なんだよこいつっ」

「出たぁ、石像男のオットだぁ!」


 悪ガキの3人は避けるように逃げ出した。

 オットは息を荒くしたまま、睨み続けている。


「フー……フー……」

「あ、ありがと、オットくん」


 オットは不愛想な顔で、ふんと鼻を鳴らし、また畑に戻っていった。



「そうか。昔から守ってくれてたんだ」


 一連の光景を物陰から眺めていた大人リンピアは懐かしむように、うんうんと頷いた。一つ思い出すと連鎖反応で次々と思い出が甦る。


 体の小さいリンピアはよくからかわれていた。

 嫌がる反応が面白いのか、男の子は大抵、リンピアを標的に嫌がらせをした。

 それを物ともしなかったのはオットが機転を利かせて守ってくれたからだ。


 夏の肝試しの件も、誰かが挑発してリンピア一人で墓地に行くことになったのが発端だった。しかも正規ルートから外れるように、悪戯で案内の立て札も外されていた。


「そうだ。そうだった……。オットには感謝してもし尽せないくらい助けてもらってた。わたしの自覚がなかっただけで――」


 不義理な自分を呪った。

 もっと恩返ししていればよかった。

 後悔しても遅い。



 "俺が孤児院(ここ)でやってきた事は……"



 "魔術オタクのお前には、わからないよな!"



 あの言葉は、ひと続きの言葉だった。

 戦いの最中だったから聞き逃してしまっていたけれど、それでも彼は何かを――孤児院の頃の出来事を根に持っていたのだと今なら分かる。

 それと畑を耕すことと、何か関係が?

 オットはなぜ孤児院で畑をつくったのか。

 その答えにこそ、現実のオットが家に執着する理由がある気がした。


「オットくん、一人でなにやってるの?」


 幼いリンピアが畑の傍までやってきた。

 しゃがんで、鍬を打ち込む幼馴染に声かけた。


「畑だよ」

「畑? んぅ?」

「お前が欲しがってた畑だ。親父さんにも頼まれたもの……だったはずだ。よく覚えてないけど」


 リンピアは不思議そうに首を傾げた。


「とにかくっ、お前は泣き虫だからな! 泣かないように俺がリンピア専用の畑をつくってやる」


 オットは小恥ずかしそうに頬をかいた。

 耕された地面が畑と云うには不出来すぎて自信がないのかもしれない。


 その想いをわたしは――。



「何のことか、わたしにはわからないよ」



 えへへ、とリンピアははにかんで答えた。

 素直に知らないことは知らないと伝えただけ。

 それで、その想いを踏み躙ってしまった。


「覚えてないのかっ? あんなに泣いてただろ」

「……?」

「お前がパパと別れるとき、畑がないのは嫌だってお前が騒ぐから、俺とつくるって約束した! だから俺はこの施設に……!」

「し、知らないよっ」


 リンピアは怯えたように後ずさりした。

 オットの気迫が怖くなったようだ。


「わたし、あっちで遊んでくるねっ」


 幼いリンピアは立ち去った。

 取り残されたオットは微動だにしなかった。

 少しして鍬を握る手がぶるぶると震え、制御できなくなったように畑に向かって叩きつけた。

 怒っている。


「くっ……くそっ」


 オットは悪態をついて跪き、地面を殴った。

 何度も何度も殴りつけた。

 傍から見ると、単なる子どものすれ違いの光景だが、オットの悔しがる様子は病的だった。

 それだけ大事なことだったのだ。

 だんだん彼の拳が赤く腫れていった。


「オット!」


 眺めていた大人リンピアは堪えられず、その小さな背中を後ろから包み込んだ。


「ごめんねっ! 何も覚えてなくて。オットを傷つけたかもしれないけど悪気はなかったのっ」


 謝るのも遅すぎた。


 こうなってしまった原因はなんだろう。

 リンピアは考えた。思い当たる節はある。

 この記憶の齟齬には既視感があった。


 ――『七つ夜の怪異』だ。


 故郷にいた親たちは失踪前に七つ夜の怪異に巻き込まれていた。その結果、遺された子たちの間で覚えていることと覚えていないことが滅茶苦茶に掻き乱され、すれ違いが起きた。

 そんなところだろうか。



「お姉さん、誰?」


「ん……?」

 

 夢を見せられていた気分だったが、リンピアが接触したことに、幼いオットはしっかり反応した。


「離してよっ」

「あれ? ご、ごめん」

「で、誰なの?」

「えーっとお姉さんは通りすがり……というか、この孤児院の関係者で……。うんまぁ、君のことが心配で声をかけただけ。気にしないでっ」


 幼いオットは怪訝そうにリンピアを眺め、彼の中で怪しい人でない基準をクリアしたのか何なのか、騒いだりせず大人しくなった。リンピアは、しめた、とばかりに隣に座り込み、背中を摩りながらオットに問いかけた。


「ねぇ、オット君がこの畑をつくったの?」

「……そうだよ」

「すごいね! 囲いの石も綺麗だし、大人でもなかなか上手くつくれないよ」

「……」


 反応が薄いのは大人の彼と同じだ。

 だが、リンピアは魔術相談所で色んな人間の悩み相談を引き受けてきた。子どもの相手はしたことないが、話術くらいは通ずるものがあるはず。


「この畑はプレゼントだったのかな?」

「……」

「それともさっきの子と一緒に遊びたかった?」

「違う」


 反応があった。この調子だ。

 リンピアは幼いオットとの距離を詰めた。


「でもすごく熱心につくってたよね」

「これは、約束だったんだ」

「約束?」


 悩み事は一度吐けば、本人が勝手に打ち明ける。

 あとは邪魔しないように聞く側に回ればいい。


「俺とあいつは同じ村で生まれた。でも親たちは突然いなくなっちゃったんだ。そのとき、あいつのパパ……お父さんが確かに言った」

「なんて言ったの?」

「それは、思い出せない。でもそれを聞いたリンピアが、畑があるなら我慢するって泣き止んだ。そっちは覚えてる」


 オットは初めて顔を向けた。

 少し涙ぐんでいる様子だ。


「リンピアちゃんは畑が欲しかったの?」


 自分で自分のことを質問するというのも特殊な状況だな、とリンピアは思った。

 今のリンピアは正体不明のお姉さんだ。


「……わからない。世界中の地底には迷宮が眠ってて、石板とか巨大ミイラとか色んな物があって、畑は"世界の秘密"に繋がってるんだって」


 その単語は断片的には覚えていた。

 でもリンピア本人も、昔の自分がそんな荒唐無稽なことを言いふらかしていたのかと驚いた。


「俺は孤児院に行かなくても親戚に預けられる予定だった。でもリンピアもイルマも身寄りがなくて、リンピアは一番弱虫だったから、俺が畑をつくってやるって約束した」



 "お前が俺をここへ追いやった! 俺をこんな監獄に! 囚人のような毎日に!"



「それが――」


 オットは律儀に約束を果たした。

 無意識とはいえ、破ったのはリンピアだ。

 そんな事実をたった今、初めて知った。

 リンピアは自責の念に堪えかね、言葉を失った。


「リンピアは約束を覚えてなかった」

「オット君……」

「この畑も無駄だった。リンピアはあんなに嫌がってたくせに、孤児院では本にハマったみたいで寂しそうじゃない」


 どう謝ればいいのか分からない。

 ここにいるリンピアは幼いオットにとって通りすがりの他人なのだ。謝れない。

 彼に何か償えることは――。



 仮に、ここが七つ夜の怪異・第二夜が創り出した単なる幻影に過ぎないとしても、このオットを励ましてあげることが……いや、自分の償い(エゴ)でそうするのではなく、そうせずにはいられないのが人間の性なのだ。

 リンピアは人差し指を立てた。


「――この畑、無駄じゃないよ」

「無駄だったよ」

「ここはそのうち、皆で使う野菜畑になる」

「日当たり悪いし、野菜作りには向かないよ」


 一応そこは理解した上で耕していたのか。

 リンピアは苦笑いを浮かべた。子どもの力で耕せる土がこの湿った柔らかい土だけだったのだろう。

 気を取り直して人差し指に意識を向けた。


「それはどうかしら。見ててね。

 ――"野に咲く花々はこうかしら? 道ゆく御人さぁさ寄ってらっしゃい見てらっしゃい"」


 リンピアは人差し指に魔力を込めた。

 魔力(マナ)を可視化させる単純な凝集作業。

 絵師には常識の『転写魔術』の初期工程だ。


 これで宙に色鮮やかな絵を描くことができる。

 魔力には属性ごとの色相があるのだ。

 転写魔術は、この凝集した魔力を紙に貼り付ける"纏着"の工程を要するが、一時的に出すだけであれば、そんな作業は要らない。


 リンピアは畑から、にょきにょきと蔓を生やすように魔力の絵を描いて、ぱっと双葉を開かせた。


「わっ……お姉さん、魔術師なのか」

「"ほらほら出てこい。まだまだ実るぞ"」


 畑の至るところから蔓が生え、リンピアはもう一方の指から赤・青・黄色の魔力――それぞれ炎、水、電撃属性の魔力粒子の塊だが、それらで伸びた蔓から実を垂らし、花まで咲かせてみせた。


 なかなかここまで複雑な絵を転写せずに一気に虚空へ描くとなると相当な集中力を要するものだが、この怪異の中は特殊なのか、リンピアは何の苦もなく描くことが出来た。


 七つ夜の怪異はあらゆる証拠を隠滅するから、こんな風に魔力で簡単に絵を描いたとしても、夜明けを迎えた途端に消え去ってしまう。

 ロアと二人で痕跡残しのための手描きスケッチもそのために行う。

 しかし、今回は一時的でいいのだ。

 リンピアは自由気ままに畑へ野菜を描いた。


「わぁ、すげぇ!」

「でしょう。ほらこの畑でも野菜が採れました」

「本当だ。美味しそうなトマトだ」

「そうでしょうそうでしょう……って、ええ?」


 オットは畑に手を伸ばし、伸びた蔓から吊り下がる赤い実をもぎ取った。それは魔力の塊ではなく、本物のトマトだった。

 幼いオットは警戒もせずにトマトを齧った。


「え? ちょっと待って。え?」


 創ったリンピア自身が一番混乱していた。

 畑に手を伸ばし、野菜の絵をまじまじと見た。

 それはもはや絵ではなくなっていた。



 本物の野菜の数々が、畑を彩っていた。




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