Episode11 第二夜 - 木鶏に似たり
それからはあっという間の出来事だった。
素手のロアは正体不明の魔力に頼るでもなく、肉弾戦のみでオット・ファガーを圧倒した。
迫り来る尖った岩の砲弾を裏拳や正拳突きのコンポで砕き割ると、獣のように低姿勢になって俊足で駆け、膝蹴りやアッパーカット、それに続く連打をオットに打ち付け、気絶させた。
第一夜のように魔力で剣を生成しなかった。
それはロアの気配りだ。
後から飛び込んだ戦場でも、彼は瞬時の洞察で、どんな決着が望ましいかを判断できる男だった。
鮮やかな格闘術にリンピアは惚れ惚れした。
「ふむ……。ありがと」
息を呑む。なぜだか彼の口癖を真似るように戦果を吟味していた。
『守護者』とは何かの好奇心も再燃だ。
ロアは気絶したオットを担ぎ、孤児院の壁に寄りかからせるように下ろす。
「さて――」
終えると、事も無げにリンピアに振り返った。
「二夜からはこのような白兵戦を余儀なくされる。夜明けの条件は遭遇した相手に"勝利"することだ」
80年前から七つ夜の怪異を知るロアは、今や迷い込んだ不可思議な世界から抜け出すアドバイザーのようになっていた。
それ故、すべて知っている風な彼の言葉に欲をかいて追撃を挟んでしまう。
「まるでわたしとオットが1対1で戦うように仕向けられたみたいね」
「その通りだ」
「それだと人為的に聞こえるわ」
「人為的……。ううむ、そうか」
ロアは悩ましげに目を細めた。
「人為的といえば、そうなのだろう。
……そもそも【怪異】は何処かの誰かが残した魔術実験の残滓のようなものだ。
実験の設計次第で巻き込まれた人間がどんな現象に見舞われるかが決まる」
「でも七つ夜の怪異は周期性はあっても、現象自体は不定形よね。巻き込まれる人の数だって、その年々で変わるんでしょ?
この景色――孤児院が再現されたのも、わたしとオットの思い出から炙り出した幻想風景だと思うけど、人為的に他人の心象を現界させるなんて冠位級の魔術師にも不可能だわ」
「それはそうだが……」
リンピアもまだ戦いの熱が冷めきってない。
争論する気はないのに、どこか責め立てるような言葉遣いだったと反省し、気まずく頬を掻いた。
「ごめん……。わたし、まだ混乱してるね」
「いや、君は冷静だし、頭も切れる。普通はもっと取り乱す。過去にはそんな人間ばかりだった」
リンピアは気絶した幼馴染を一瞥した。
オットの変わり様を見れば、それもこれも怪異が原因だと分かっている。ロアとリンピアが平常通りなのはロアの魔力の恩恵なのだ。
「そういえばロアくんはこれが何回目?」
「5回目だ。メトミス以来、5回参戦している」
「5回……」
20年周期でそれなら毎回関わってるのか。
これまで様々な戦いがあっただろう。
肉体的にも、精神的にも。
いい加減、どうかしたいと彼は言った。
5回の『滅却』への挑戦の中、苦悶や葛藤の末に今こうして助言ができるのだとしたら、彼には従った方がいいことは間違いない。
ロアは続けて語った。
「俺が初めて怪異に接触した【メトミスの怪】では既に第五夜に至っていた」
「え……そうだったの?」
「その時には村の住民の大多数は死に、残る数名と何とかしようと踏み入ったが、結果は散々だ」
ロアは自嘲気味に笑い、言葉を濁した。
リンピアは口を噤んだ。詮索は野暮だ。
「じゃあ、遺された手帳は……?」
「村人から聴き取った一夜から五夜までの出来事をメモに書き綴っただけだったのだが……七夜の終わりに思いつきで外界に放り出した」
「外界に放り出した?」
「俺の魔力に包み、時が経つのを待った」
「そうか。魔性を弾くから――」
ロアの魔力は他の魔力を無効化する。
七つ夜の怪異が魔力干渉に因るなら痕跡を残せると閃いたのだろう。
結果として村人のピンチに駆けつけたロアは、村を救うことはできなかったものの、外部へ怪異の痕跡を残すことが出来た。
「以来、俺はこの怪異に80年も囚われたままだ。第一夜で出会った屍と同じだよ」
屍同然とは単なる形容だろう。
80年……。
リンビアはその3分の1も生きてないため、どれほどの年月か想像できない。
だからこそ彼が――こんな堅物な性格の彼が律儀に己が使命を果たそうとする姿に心打たれる。
「それは守護者としての使命で、なの?」
「守護者の……まぁそういう事だ」
それにつけて『守護者』が救いようのないほど、お人好しだと気づかされた。
自分なら途中で投げ出す。
……とリンピアは思う。
「今回はわたしも協力するからね」
「ありがたい。魔術を知る人間なら話が早い」
ロアはリンピアを歓迎した。
では、と何かをねだるように手招きした。
意図が読めず、リンピアは首を傾げた。
「ん、どうしたの?」
「俺が頼んでいた依頼状はどうした」
「――あ、ああぁぁっ!」
リンピアは両手で顔を隠した。
直前の発言もあってか、過度に赤面したまま、己が恥を隠そうと躍起になった。
リンピアは『喫茶・月光亭』で油を売っている間に怪異に呑まれ、結果としてエスス魔術相談所に寄ることさえしなかった。
協力する、という発言は何だったのか。
リンピアは不甲斐なさで一杯になった。
「忘れ……いや、間に合わなかったのか」
「ごめんなさい。本当に」
忘れたのか、という追及を感じさせる言葉を使わなかったのはロアの優しさだ。
リンピアは謝るうち、もう一つ気づいた。
ロアの提案で、怪異の中では現場の様子をスケッチするという役目を仰せつかったのに、画材類は家に置いてきた。
これでは自分は魔術に詳しいだけの足手纏いだ。
「…………」
ロアはリンピアの装備を下から眺めた。
それですべて察したようだ。
怒っただろうか、と不安になった。
「第二夜は、乗り切ることに専念しよう」
「優しいのね」
「優しい? 違うな。この状況で最善策を提案したまでだ」
「む……」
なんだか可愛げがない。
機械的な性格なのは知ってるが、顔が童顔なのも相まって、素直じゃない子どもに見えてしまうから意地が悪い。
ところで、第二夜の解放条件は遭遇した相手に勝利することだった。オットを気絶して戦闘不能にした今、もう終わりでは――。
リンピアはオットをちらりと見た。
「二夜はもう終わるんじゃないかしら?」
「終わらない」
「なんで……?」
「まだオット・ファガーを倒してないからだ」
「倒してるよね?」
「気を失っているだけだ。君が最後にとどめを刺さなければならない」
ひぃ、と短く悲鳴を上げたリンピア。
それはつまり、幼馴染を殺せ、と。
「できるわけないでしょっ!」
「わかっている。そんな状況だが、別の方法で夜を超える」
「どうやって?」
「それは、これから考えよう……」
要するに手詰まり。リンピアは頭を抱えた。
同時に、ロアに頼りきりの自分が腹立たしくなった。
「そうね。わたしも自分で考えてみるよ」
孤児院の壁に寄りかかって座った。
オットと並ぶように。
昼下がりの草原に、鳶の鳴き声が響き渡りそうな、穏やかで爽快な晴れ模様。
ロアも少ししてリンピアとオットから離れた位置で、壁に寄りかかって座った。遠慮している――ではなく、自ら距離を置いているように見えた。
「……」
「……」
これだけの見晴らしなのに風一つなし。
動物の気配も、虫の存在もなし。
注意深く観察すると現実ではないことをありありと見せつけられているようだ。
「ここが君の故郷か?」
ロアが先に沈黙を破った。
作戦を考えていたと思ったが、多分何も思いつかなかったのだろう。それはリンピアも同じことなので、ロアが気を遣って会話を振ったようだ。
「そうだよ。わたし、孤児院育ちなの」
オットもね。とリンピアは付け加えた。
「親がいないのか?」
「うん。20年前から行方不明」
「20年前?」
「あ……正確にはいつからか分からないんだ。でも3歳から孤児院にいるから20年前で間違いない。顔も分からないし、名前も知らないよ」
「ほう。コッコという姓は珍しい気がするが? 君の母国でもなかなかにいまい」
なぜ身寄りや引取り手が他にいないのか。
暗にそう訊かれている気がした。
「コッコっていうのはね、自分で付けたの」
それはオット・ファガーもイルマ・マユリも。
ファガーは肉体鍛錬指南書の著者。
マユリは極東の読み物で登場した主人公。
そしてコッコは――。
「孤児院で呼んだ絵本に出てくる"鶏"」
「鶏から取るとは……。やはり変わってるな」
ロアに呆れられたように見返され、リンピアは笑顔で受け止めた。長命な人物から一本取れたことにご満悦だった。
「言われる。鶏って頭が悪いとか臆病者とか、悪い意味ばかりでしょ?
でも絵本に出てきたのは違ったの。
コッコは弱虫だけど、好奇心旺盛で世界中を冒険する。
他の動物たちは力は強いけど、別の土地に出たときに自分の実力の限界を知るのが怖くて、どこにも冒険に出ないんだ。コッコは弱虫なのを知ってるから世界のどこまでも冒険できる。いろんな世界を知ることが出来る。
……わたし、コッコみたいな人生がいい。
そう願って孤児院を出るときに名付けたの」
苗字の由来を詳しく語るのは初めてだ。
リンピアは懐かしむように庭の芝生を撫でた。
自らがそういう子だったと思い出した。
最近は過去を振り返ることすら忘れていた。
その意味ではオットを少しは見習いたい。
「なるほど。良い由来だ」
「ありがと」
「絵本は俺も幼少期にはよく読んでいた」
「そうなの? コッコを知ってる?」
「さて……時代が違うからな」
リンピアは狐につままれた表情をした。
確かに数百年前と現代の絵本が同じはずない。
ロアは覚えのある絵本を語ったが、リンピアは知らない内容だった。古代の魔術師が五人の賢者に封印される王道の勧善懲悪モノだった。
「……ところで君は親の風貌を覚えているか?」
ロアは突然、そんな話題を吹っ掛けた。
リンピアは3歳の頃の幽かな記憶で、畑の虫探しに夢中になっていたときに父親らしき人物から言われた言葉を語った。
"世界には秘密がある。探せば幾らでもな"
その声色も表情も覚えていない。
ただ落ち着き払った声だった。
「変な思い出よね。でもそれしか覚えてないよ」
「……」
「どうかした?」
「いや、気にするな」
ロアは言葉を失っていた。
なぜそんなことを尋ねたか気になったが、リンピアも察し始めていた。そもそも七つ夜の怪異に巻き込まれる切っ掛けとなったガロア遺跡調査も、オットを始め、リンピアもそう感づいたからだ。
――七つ夜の怪異に消されたのでは?
始めに言い出したのはオット・ファガー。
リンピアもそれに同意で参加した。
名前も顔も覚えてない存在に未練はないけれど、それが気になった。ロアも同じ発想に至って尋ねただけだろう。
何せ、20年前に失踪したのだ。
怪異との周期性を照らし合わせてもすぐ気づく。
「わたしも実はそれが気になって――」
リンピアは自分の意思表示も兼ねて、内情を打ち明けようとした。ロアは80年前から毎回この怪異に参戦して『滅却』に取り組んでいる。
親とも接触した可能性が高かった。
しかし、
「ハーーッハッハッハッハッ!」
半狂乱で笑う誰かの声に阻まれた。
聞き覚えがあった。
立ち上がり、周囲を見渡すも誰もいない。
「また別の観測者だな。カレル・ロッシか?」
「どこから!?」
「この舞台にはいないが……。どうやら境界が曖昧になっているようだ。他のマッチングでの戦いが、この心象風景を浸食している」
「他のマッチング!? それって――」
第二夜を終える条件は"相手に勝利する"こと。
オットとリンピアの組み合わせ以外にも誰かと誰かが遭遇して戦いに発展しているのだ。
「殺し合いが始まっている」
「やだ。なんで気づかなかったんだろうっ」
「君たち二人の戦意がなくなり、この舞台は崩壊し始めたらしい。これは他に介入する好機だな。俺は行くが、リンピアはどうする」
人類の守護者として。
ロアは当然助けに――本人は否定するが、救いに行く意気だ。
「もちろん付き合うに決まってるわ」
「わかった。ナビゲートしよう」
ロアは眠り続けるオットを軽々担ぎ、こちらだと駆け足で草原を走った。
リンピアも後に続いた。