Episode10 第二夜 - 郷里に病臥し
始めに仕掛けたのはオット・ファガー。
彼の足場から無数の突起が伸びた。『喫茶・月光亭』の床は脆くも崩れ去り、地中からの岩尖がフローリングを木端微塵に粉砕していく。
「きゃっ……!」
悲鳴はリンピア一人だけ。
彼女は目を覆い、木くずの飛来を防いだ。
他には誰もいない。イルマも、客も。
ここは第二夜の怪異が創り上げた異空間。
喫茶店を象っただけの模造部屋だった。
「なんで……っ!? やめてよ、オット!」
理不尽な攻撃。
リンピアは幼馴染の不意打ちにショックを受けていた。
「……」
だが、オットはその追及には応えない。
いつも通りの冷めた目で、口も紡いだまま。
床から突如生えた岩を手振りだけで操り、リンピアへと放つ。明確な攻撃行為だった。
迫り来る岩尖の弾丸――。
もはや問答無用なのだとリンピアは悟った。
七つ夜の怪異がオットの思考を侵し、狂わせ、攻撃性が増したせい……なのかもしれない。
そういう理屈があるのかもしれない。
でもそれにしたって、
「もうっ……わかったよ!」
我慢の限界もある。
リンピアも大人になりきれない半人前だ。
「ラグズの加護よ、此処に集え!」
クールに冷静に、なんて、ロアのような300年も生きる年長者のようには振舞えない。理不尽な攻撃に遭えば反撃するし、頭に血が昇れば激高する。
リンピアは魔術師として応戦した。
――ばん、と風船が膨れるような弾力感ある音が喫茶店に炸裂した。
それはリンピアが紡ぐ水魔術の音だった。
ぶ厚い水の球体が彼女を包み、護った。
岩の弾丸は水の膜に堰き止められる。――どころか、弾き返す勢いで破裂した。
その頑丈さはゲルのよう。
普段の術との調子の違いにリンピアも困惑した。
「あれ……? ま、まぁいっか。
天恵のラグズは信仰なき者の驕りを海神へと還し輪廻の鎖――」
青の魔力がリンピアの胸元へ凝集した。
彼女の詠唱が発動した証だ。
その気迫にオットの息が止まる。
「む……」
「万象を恒久の天水へ! スーリ・アルト!」
大波の音が轟き、特大砲が飛び出した。
「……!?」
リンピアが伸ばした手の平から、鉄砲水の勢いで濁流が飛び出す。それは術を紡いだリンピア自身が驚くほどの威力でオットを呑んだ。
そのまま壁を突き破り、彼を外へ押し流す。
「えぇ!? なにこれ!?」
リンピアは狼狽し、両手で頭を抱えた。
詠唱した『スーリ・アルト』は大波を呼び寄せる水魔術。
水量は術者の魔力放出量に比例して増大する。
リンピアがイメージしたのは川の流れ。
それを利用して体勢を崩してやろうという程度に考えていたが、結果はこれ。波を作るだけの中級魔術が魔道具の力も借りず、どうしてこうなった。
今の濁流で圧死させてしまったのでは……。
そう思わせるほどの威力はあった。
ぽたり、ぽたり、と手先から垂れる魔術の残滓をぼんやり眺め、リンピアは考えた。
「魔術の腕が上がってる……?」
"――この契約が生きている限り、君の頬の傷は消えないが、一方で俺からの恩恵で、魔力の放出量が飛躍的に伸びるだろう"
暖炉小屋でのロアの言葉が甦った。
これがロアの恩恵なら恐れ入る。
瞬間放出力も然ることながら、一度の術でこの魔力消費。
その消耗を微塵も感じない魔力貯蔵量。
「やっぱりロアくんは化け物だ……」
感想が漏れたところで我に返る。
目の前の狂人を対処することが先決だった。
リンピアは突き抜けた喫茶店の壁を――現実なら店主への謝罪モノだが、そうでなくて良かったと安心しながら掻い潜り、外へ出た。
外は太陽が燦々と照る草原。
――のようで何処か懐かしい景色だった。
「ここは……」
なにかを感じ、リンピアは振り返った。
そこにあったのは『喫茶・月光亭』ではなく、リンピアたちが幼少期を過ごした孤児院だった。
時刻も夕暮れ時から昼間へと姿を変えている。
第二"夜"のはずが、そこは白昼。
これが七つ夜の怪異が見せる幻影。
リンピアも第一夜で多少は慣れた。
「う……くっ……、リンピア……!」
水浸しのオットが孤児院の庭から睨んでいる。
平穏な景色に不釣り合いな血走った形相。
リンピアはそんな風に変わり果てたオットは見たくなかった。目を反らしたかったが、それでも真っ直ぐ彼を見た。
恐怖心はない。
あるのは少しの苛立ちと、もどかしさ。
「オット、そんなにここが嫌いだったの?」
「ぐっ…………黙れ。黙れ黙れ黙れ!」
狂人に理屈など無用。
是非を問えば、破綻するのがその信条だ。
「ギィ……ギギ……ギィ……」
歯軋りの音さえ届きそう。
悲痛の表情は彼の"隙"だった。
このまま問い詰めれば、いずれ彼自身も自分がなぜこんなことに執着しているのか、思い改めるかもしれない。
正常な思考であればだが。
「お前が俺をここへ追いやった! 俺をこんな監獄に! 囚人のような毎日に!」
「これは七つ夜の怪異が創った幻よ」
「違うッ!」
草原の一部が隆起した。
オットの異能が発動しているのだ。
また泥人形を喚ぶつもりだとリンピアは判断し、いつでも頭に詠唱フレーズを準備しておく。
「違う違う違うッ!!」
ビリ、と地面が痺れた気がした。
オットの激情にリンクして土を操る魔術が作動している。詠唱もなく、よくもまぁそんな器用な術が編めるものだとリンピアは悔しさすら感じた。
「俺が孤児院でやってきた事は……!」
言葉に一貫性はない。彼は狂っている。
オットが一歩前に踏み出した。
とてもスローモーションな動きに見えた。それは命を散らす刹那の走馬燈のように緩やかな動き。
「え――」
オットが突進してきた。俊足で。
隆起した土に押し出され、地を滑るように移動している。
まるで熟練した魔術師だ。
第一夜では岩を操る程度しかできなかった彼にはありえない進歩だった。オット・ファガーも短期間で数倍も魔術の精度が上がっている。
――それだけじゃない。
両腕に岩石がびっしり張り付き、オット自身が魔術そのものを纏っている。
「魔力纏着……!」
「魔術オタクのお前には、わからないよな!」
「イースの盾!」
右ストレートの鉄拳が腹部に炸裂しかけた。
リンピアは咄嗟に氷魔術の壁で防ぐ。
だが、衝撃までは殺せず、反動で後方の花壇まで吹き飛ばされた。
「きゃあ!」
肩を強く打ち、痛みに堪えるリンピア。
初めて人に殴られた気がする。
大きく息を吸って吐き、まだ呼吸ができる事を確認した。
これだけ暴力を受けても意外とダメージがなく、恐怖心より闘争心が湧くことが不思議だった。
「お前は恵まれ過ぎた。人の気持ちが分からないのもそのせいだ」
「はっ……はっ……あ、ぐっ……」
「お前の"親父さん"のせいだ。そうだろ?」
突然に名指しされた父親。
父親との思い出は、畑の虫探しに夢中になった3歳の記憶だけ。だから分からない。
度重なる糾弾がリンピアは一つも理解できない。
オットの言葉は支離滅裂だ。。
だから余計にリンピアも腹が立った。
「頭きたっ。わたしももう手加減しないわ」
「そうか! そうやってワガママを通すか!」
オットの周囲で巨岩が蠢いた。
荒らされた草原の土くれが盛り上がり、握り拳のような形状となってリンピアに殴りかかる。
「っ……イースの煌めきよ!」
咄嗟の詠唱で氷の壁を作った。
氷壁で土の拳を防ぐが、一瞬でヒビが入り、粉々に砕かれる。魔力が押し負けたようだ。
続けざまにオットの土魔術が襲いかかった。
土壌が盛り上がり、大波のように差し迫る。
「潰れてしまえ、リンピア!」
「ラグズの潺よ……!」
リンピアは足元に水流を呼び、滑って回避した。
土の衝撃波は回避できたリンピアだが、繰り返される魔力酷使で酩酊状態となり、移動中に大きく体勢を崩して転んだ。
「あぅっ! 痛っ……」
急激に魔力が減ると貧血症状を引き起こす。
飛躍的に向上した魔力放出量に、まだリンピアは慣れていない。魔力を垂れ流しすぎたと反省した。
しかも、不幸にも足を挫いたようだ。
リンピアは逃げるように草原を這った。
「これはわたしの面目丸つぶれだ……」
「逃げるな。此処でケリをつけて俺は前に進む」
「逃げても、まだ降参してないからねっ」
草を掻き分け、這いずって逃げるリンピア。
オットはゆったり歩み寄っていた。その影は近づく毎に大きくなり、体躯が肥大化して見えた。
陽炎のように。
否、影は彼が造った泥人形だ。
オットは本気だった。
「俺は家を、帰るべき場所を探しに行く」
「はぁ、はぁっ……知らないよ、そんなの! 家が家が、ってホームシックなだけじゃん!」
――大の男が恥ずかしい。
悪態つきながら草原を這って逃げた。
だが、天を覆いつくすほど巨大な泥人形にリンピアはすぐ追いつかれた。人形は拳を振り上げ、彼女を押し潰そうと振り下ろす。
「くっ……本気なの、オット!?」
冗談じゃない。
こんな所で幼馴染に殺されるなんて、日頃の行いが悪すぎるか、神に見放されたか、あるいはその両方だ。
挫いた足を庇い、ぐるりと仰向けに。
巨人の拳が迫る恐怖心を振り払い、叫ぶ。
「カノの焔よ、灰燼と化せーーっ!」
両手を空へ向け、炎の弾丸魔術を放った。
炎の弾丸は特大の火炎弾となって泥人形の全身を業火に包んだ。
ゴーレムを火だるまになった。
黒く焼けた泥人形は土器のように硬くなり、やがて拳を振り下ろしたままの姿勢で静止した。
「はぁ……はぁ……」
強襲が止まった。
リンピアの魔力はまだ余力はある。
すべてロアの恩恵だが、それでも連続した魔術合戦にリンピアも息が上がる程には疲弊した。
所詮、怪異の影響で覚醒した単一属性の土魔術。
リンピアのように多様な属性の魔力を使えないオットに勝機はなかった。
「ウ……ウウ……ギギ……」
「う……?」
「動け……! 動けェェエ!」
されど彼の執念はその実力をも凌駕する。
土器と化した泥人形は表面の焼け焦げた部分からぼろぼろ剥がれ、動きを再開し始めた。
土の握り拳が再びリンピアに迫る。
「ちょっと待って待って!?」
もう駄目だ、とリンピアは目を瞑った。
打つ手はない。焼いても駄目なら、ここで土の巨人を破壊しても土塊に埋もれて窒息死する。
窮地を脱する方法が思いつかない。
育った孤児院の庭先で叩き潰されて死ぬなど、なかなかに嫌な死に方だった。
死ぬなら一瞬がいい。痛いのは嫌だ。
いっそのこと頭から叩き潰してほしい。
リンピアはそう考え、自棄になって仰向けのままに全身の力を抜いた。
「――やれ、戦場で潔いのは感心しない」
刹那、低い声がリンピアの耳元で響く。
目を開けると黒い影が視界を覆っていた。
神に見放されても、彼は見放してなかった。
「ロアくん!」
黒衣の青年が片手で巨人の拳を受け止めた。
特段、力を入れている様子もない。
「ああ~、来てくれたんだ」
「遅れて申し訳ない」
「もう駄目かと思ったよ……」
「駄目どころか、よくやり抜いた方だ。君が無暗矢鱈と魔力を使い続けたおかげで位置が特定できた」
「褒められた……。わたし、褒められたの?」
この偏屈な不死魔族に?
リンピアは上体を起こして期待の目を向けた。
「……撤回だ。君は意外と図に乗る性格だな」
「ロアくんも意外と天邪鬼だよね」
「よく言われる。性格は直せないものだ」
熟年者に言われたら黙るしかない。
リンピアはふらつく体に鞭打って起き上がった。
ロアが駆けつけたなら怖いものなしだ。
苦悶に満ちた表情を浮かべるオットを見据え、不敵に笑ってみせた。
「またお前か……!」
「さぁ、オット。お仕置きの時間だからね」
ロアの剣術を前にオットも……と想像を膨らませた途端、リンピアは血の気が引いた。
剣を振り回されれば幼馴染が死ぬ。
それは望まない。
「あ、ロアくん。なるべく彼を傷つけ――」
刹那、杭打ち機も真っ青な粉砕音が轟いた。
ロアが片手で受け止めていた泥人形の拳を殴り、木端微塵に砕いていた。
徒手空拳だった。
「なにか言ったか?」
「いえ、何でも……。格闘術も嗜むのね?」
「武術はすべて父と姉から習った」
「ふ、ふーん、そうなの」
知れば知るほど彼の家族は謎だらけだった。
※ 登場した詠唱フレーズ
【カノ】 炎
【ラグズ】 水
【イース】 氷