Episode9 喫茶店にて
二日目。リンピアは遠征調査を休んだ。
……というより、正しくは縁を切った。
あと三泊はする予定だったトヤオ町の宿を急遽チェックアウトし、荷を引っ提げて外へ出た。
長旅は一泊で終わり。
トヤオ町からアールグリッジ市へ引き返す。
市街へ入ると、昨日の事が嘘のように日常に溢れていた。
「はぁ、何やってんだろ、わたし……」
怪物たちが犇めく世界。
そんな異界を彷徨うのが今回の仕事。
もはや仕事どころではないだろう。
なにか、尤もらしい理由をつけて、辞退すべき状況だった。――後々、事情を聴いてくれる誰かがいれば、そうだねそうだね、と同情さえしてくれるかもしれない。
だったら、こうして市街に引き返すことを億劫に感じる必要はなかろう。
リンピアは背にはバックパック、脇には画材を挟んで、アールグリッジ市街の公共バス(屋根がなく、エンジン可動型の二階建てのもの)を乗り合わせながら住み慣れた我が家を目指した。
帰還が億劫な理由はまた別にある。
「にしても、無茶言うなぁ、ロアくんは」
曇り空を見上げ、ロアの影を思い出す。
象牙色の肌に、青い髪。
童顔で月のように金の双眸。
気づけば似顔絵など描いていた。
画材を出し、鉛筆を走らせ、線を引いていく。
人とは思えない――実際、人でなく【不死魔族】だと彼は言ったが、均整の取れた顔立ちは絵におこすのに苦労はなかった。
鉛筆で影をつけ、とりあえず完成。
色は……まぁいいか。と筆をしまった。
その容貌を眺める。
やっぱり美形だった。
「――ふむ。スキルワードが?」
昨夜、晴れて彼の疑念が晴れたのに加え、推定年齢300歳余りという事実を突きつけられ、動揺していたリンピアは、後半のロアの提案に何一つ反論できないでいた。
「ああ、あの家とは昔から腐れ縁でね」
ロアの言う、昔とはいつ頃だろうか。
何代前のスキルワードだろうか。
そんな目算ばかりに気を取られた。
スキルワードは隣国では古くから神事を司っていた神官一族だ。彼らの信じる神の布教のため、田舎町まで一族の誰かを出向かせるらしい。
悠久の時を生きるロアなら、古い家柄とは付き合いもありそうだ。
「アレが怪異滅却の方法を考えていたとは。
では最初から調査隊も? だが――。
ふーむ。考えるほどに妙だな」
眉を顰めるロア。
それを眺め、リンピアはご満悦だった。
ロアにも分からないことがある。
「リンピア。やはり君は調査隊から外れろ」
惚けていたら、そんな提案が急に。
不意を突かれ、間の抜けた声で返答したことは一晩経った今でも後悔している。
外れる理由は二つあって、
一つは、『第一夜の怪異』のことをリンピアが知らぬ存ぜぬで通せるか怪しいから。
――それについては「そもそも誰も知らないんだから話すようなことにはならないし、話しても信じてもらえずに終わるんじゃない?」と言い返したリンピアだ。
しかし、そうとは限らなくなった。
七つ夜の怪異の秘密を知る第三者が他にいる可能性が出てきた。リンピアの言動がおかしいと気づかれれば、始末される危険性もある。
理由のもう一つは、アールグリッジに戻り、確認するべきことが出来たから――。
日常に戻っても気分は優れない。
今も心模様を表すように曇り空が続く。
バスを降り、ひとまず集合住宅の自室に荷物を下ろして一息ついた。
ベッドに体を投げ出して天井を眺める。
「ソフィアさん、何て言うかな……」
リンピアは魔術相談所に顔を出さねばならなくなった。
帰還が億劫なのは、これが理由。
相談所にはリンピアが七つ夜の怪異に触れる発端となった"依頼状"が保管されている。その差出人を確認しろ、とロアが指示してきたのだ。
なるほど、と思った。
スキルワード氏は怪異に殺された。
では、現実では誰が依頼主にすり替わったか。そしてその依頼主が特定できれば、七つ夜の怪異の秘密を知る人物にも辿り着けるだろう。
相談所に寄るならソフィアと顔を合わせる。
仕事を投げ出したことをどう弁明するか。
……それで気後れしてしまっていた。
勿論、依頼された"お絵描き"は続ける。
そういう大義が出来た。
遺跡調査という当初の仕事を放棄したのだ。
いっその事、すべて報告してしまおうか。
――ソフィアさん、七つ夜の怪異は現象魔法の一つでした。異界に連れられて死神やゾンビ、ゴーレムなどの怪物に遭いました。あ、ゴーレムはわたしの幼馴染が作り出したんですけどね。わたしはロア・オルドリッジという齢300歳は超える不死魔族に助けられて無事に帰ってきましたが、たくさんの人が亡くなりました。でも亡くなった方々は元からいなかったことになっているので誰にも認識されていません。え、何故わたしだけそれを知っているかって? それはロアくんの魔力の恩恵で……。
却下。収拾がつかない。
所長がその話を信じるかどうかは別にして、リンピア一人で経緯を話すものではない。
――慌てる必要はない。頭を冷やそう。
リンピアは頷き、体を起こした。
仕事で悩んだら何処かで吐き出す。
そんな場所があって良かった。
〇
まだ午後の明るい時間だ。
『喫茶・月光亭』の扉をくぐる。
中途半端な時間のため、人は少ない。
リンピアはカウンターに座り、難しい顔をしたまま、珈琲だけ頼んだ。
「それで……」
「うん?」
「どうして此処にいるのよ?」
イルマ・マユリが心配そうに尋ねた。
長らく街を離れると伝えていたから、急に帰ってきて驚いたようだ。
仕事がうまくいかなかったのは明白。
「あはは……。色々あって……」
「当ててあげよっか?」
「うん?」
どうぞ、という意味で続きを促す。
当てられるわけがない。
「わかった。その顔は男ね?」
「え?」
「変な男に捕まってセクハラされたんでしょ。それで逃げ出してきた。どう?」
凄い。リンピアは唖然とした。
何が凄いって、変な男に契約ったことは間違っていないし、別の男にセクハラめいたことを言われたのも間違ってない。
「半分、正解かな?」
「ほほう。ま、仕事で外に出るってそういうこともあるわよね。これ、サービスしとくわ」
出されたのは1ピースのケーキ。
用意するには早すぎる。余り物か。
だが、無償で出されたものは素直に感謝し、すぐさま平らげた。親友の食べっぷりに安心したのか、イルマは手を動かし、皿洗いや調理を再開した。
――油を売っていると思われるだろうか。
ロアに頼まれたのは依頼状の送り主を確認してくること。それを無視して、馴染みある喫茶店でケーキを頬張って満足する自分に違和感を覚える。
ケーキ一つで気持ちが前向きになった。
……と言えば、聞こえはいい。
だが、そういうことではないだろう。
ここに寄った一番の理由は他にある。
それは――。
"邪魔する奴は消えろ……あいつも、孤児院も……全部……全部……嫌いだ……"
それはまるで呪詛のようだ。
頭で反芻されるオットの言葉。
あの日の晩に見聞きしたことは狂気に満ちていたとしても、真実に違いないのだ。
これを相談できるのは同じ境遇の親友だけ。
だから無意識にここへ足を運んだ。
「イルマは孤児院のこと……」
自覚した途端、言葉が決壊した。
そんなことを尋ねてどうする?
オットは恨んでいたけどイルマは違うよね、と言質でも取るつもりか。仲間を増やすつもりか。それでオットの気が変わるわけでもないのに。――リンピアは勝手に零れ落ちた言葉を恥じるように口元に手を当てた。
「孤児院? ああ、懐かしいわね」
聴こえてなければいいのにイルマは答えた。
「もう10年前か。楽しかったなー」
「……楽しかった、よね?」
「そうね。私の一番の思い出は12歳のときの肝試し大会かしら」
「なんだっけ、それ」
肝試し大会。
そんなような遊びをした記憶はある。
「覚えてないの? リンピア、怖がりのくせに強がっちゃってさ。墓地に置いた銀紙、一人で取りに行って、腰抜かして動けなくなったのをオットと私が――」
「ナンノコトダッケー」
「ふふっ、あのときのリンピアの顔ったら」
「オボエテナーイ!」
「はいはい。でもあの時はさすがの朴念仁も笑ってたわよ」
イルマは笑い堪えながら語った。
……朴念仁。オットのことだろう。
孤児院では三人いつも一緒だった。
他にも同世代は何人かいたが、入所時期が一緒で仲良くなりやすかったのだ。だから、オット・ファガーの孤児院の思い出も共通のものの筈だ。
それが、嫌だったのか?
リンピアはそれを確かめたかった。
「オット、昔から笑わなかったよね」
「そう? わりと楽しそうにしてたわ」
「んー、どうだろ……」
リンピアもそう思っていた。以前まで。
「まぁ最近色々と悩んでるみたいよね」
「なにか聞いたの?」
「なにも? でもほら、そういう時期ってあるじゃない。私たちも孤児院を卒業して数年は音沙汰なかったけど、再会してまた集まるようになった」
オットとイルマは先に15歳になって卒業。
それから3年は何もなかったが、リンピアが卒業して2年ほどで街で偶然再会し、この店を知った。
「孤児院の思い出話に満足したら、お次はさらに前の思い出が恋しくなったんじゃないかしら」
「つまり……わたしたちの故郷の?」
「そう。意外と男って未練がましいものよ」
それなら、あの呪詛は思春期の迷い?
生家の思い出が孤児院のそれ以上に美化され、七つ夜の怪異に感情が増長され、あんな風になってしまったと――。
そう考えればしっくりくる。
リンピア自身も気負いせずに済む。
安堵して珈琲を飲み干せば、ちょうど背後でドアベルが鳴り、新しい客が入ってきた。
「ほら、噂をすればなんとやらね」
「え……」
カウンターから振り返り、ドアの方へ視線を投げると、そこには大柄な野暮天が立ち尽くしていた。
「……」
気づけば夕暮れが迫っていた。
あそこに立つのは普段通りのオットだ。
怪異に取り込まれたでもなく、土気色の瘴気を操る異能力者でもない。
普段通りのぶっきらぼうな幼馴染。
だから、変に気負わずに――。
暗転。夕陽の逆光が彼を照らす。
闇に呑まれ、輪郭ははっきり映らない。
「――リンピア」
ふと声をかけられた。
おかしい。何がおかしいって、オット以外の声が聞こえない。背後のカウンター越しにイルマがいたが、反応がない。
扉は開け放たれたまま、逆光が彼を覆った。
「なんでガロア遺跡に来た?」
「え……あ――」
彼は警告した。お前は来るなと。
なんで? 心配だったからだ。
でもオットは遺跡調査を突然休んだ。
その彼に言及される謂われはない。
「あいつと一緒に俺の邪魔をするのか」
「あいつ……って……」
まず此処は何処だろう。
オットの云う"あいつ"はロアのことだろう。それは第一夜の出来事であり、現実でオットは覚えていないはずだった。
「……」
突如、地面から岩が反り上がる。
逆光で眩んで確認できてなかったが、彼は今、魔術を行使している。土色の、岩を操るあの魔力を操っている。
もう怪異の中に居たのか。
リンピアは眩暈がした。
第二夜の始まりは突如としてやってきた。
遺跡調査から離れても、この虚構の世界からは逃れられないのだと悟った。