Episode8 誰彼考察Ⅰ
『怪異』とは隠蔽された魔術干渉のことだ。
故意に誰かが仕組んだものであり、目的は謀反のためだったり、犯罪のためだったり、趣味、芸術、悪戯、等々……術者により様々だ。
それらは大概、一度きりで自壊するが、時折、反復性をもたせた面倒な『怪異』もある。
そんな傍迷惑な魔術トラップは、さっさと消し去るのが一般人のため。魔術界では作成した術者以外が『怪異』を見つけた際、そっと消去しておくのがマナーみたいにもなっている。
その処理を、『滅却』と云う。
汚れを見つけたら拭く。
ゴミが落ちていたら拾う。
部屋が散らかっていたら片付ける。
『滅却』とは、その程度のことだ。
――問題は大掛かりな怪異に直面したとき。
七つ夜の怪異は、その規模も、反復性も、そして他者を呑み込む危険性も、大掛かりを通り越して『神の御業』級だ。
誰が仕組んだ現象魔法か。
これを並の魔術師が消すのは至難の業だろう。
「滅却に協力するとは言ったものの……」
リンピアは口元に手を当て、考え込んだ。
ロアの表情は物憂げな様子だ。
「このまま七つの夜を体験するだけじゃ、当然なにも変わらないよね?」
「うーむ……。そうさな」
「解決する策はあるの? 第一夜のときは、ロアくんも早めに終わらせようとしたみたいだったけど」
第一夜の終了条件が何だったか知りたいのも勿論だが、それより先に方向性を擦り合わせていないと頓珍漢なことを言ってしまいそうだと、リンピアは思った。
「第一夜は、観測者全員が探し物を見つければ終了だった」
「……観測者って?」
「あの場で怪異に取り込まれていない者。――俺とリンピアを除けば、リルガ・メイリー、カレル・ロッシ、君の幼馴染というあの岩男、それと怪しい風貌の女もいたな」
合計で6人いた。
怪しい風貌の女とはシグネ・トイリだ。
そういえば、と思い出した。
"――私も探し物を見つけたわ"
シグネは静かに現れ、ただそれだけ言い残して消えていった。あの女にとって探し物は何だったかはさておき、オットやカレル、リルガも探し物を見つけた、ということだろうか。
そして条件が揃い、第一夜は夜明けを迎えた。
カレルの探し物は明白だ。師匠の仇。
オットは、見つけたのだろうか?
家を探していたと言ったが、あの不安定な世界で生家が見つけられたとは到底思えない。
それにリンピア自身も思い当たる節はない。
「わたしは別に、何も……」
「探し物か?」
「だって怖い思いしただけよ」
「潜在的に求めていた何かを発見したのだろう。何であれ、第一夜が終わったのだから、リンピアも何かを見つけたはずだ」
首を傾げた。
そう逆説的に言われても納得できない。
リンピアは無欲で、人生の目標もそれなり。
求めている物など意識してなければその程度なのか――。
「第一夜はともかく、問題はここからだ」
「これから起こる第二夜ね?」
「……二夜に限らず、全体を通してだが、これから怪異に魅入られた者同士で、探し物を手に入れるための殺し合いが始まる」
「え、また……?」
頭が重くなった。
第一夜が既に戦いだったではないか。
そもそも探し物はそれぞれ違うのに、何故殺し合う必要がある。同じものを奪い合うならまだ理解できるが。
「第一夜に行われた『探し物の認知』は、あくまで観測者を動かすためのエサというやつだ。一度それに魅入られれば、あの空間ではそれに渇望するだけの狂人と化す」
「……」
まるで意思を持った"祟り"。
戦いは避けて通れなさそうだ。
「それで様子が変だったんだ……」
「カレル・ロッシか? 岩男の方か?」
「どっちも! というか岩男じゃなくてオット・ファガーって名前があるからねっ」
「なるほど。覚えた」
頼れる相方はご覧の通り機械的で、未だに本性は不明。
「……はぁ、ロアくんも変わってるよね」
「よく言われるが、気にしたことはない」
「"気のせい"だから?」
「そうだ」
リンピアは背もたれに身を委ね、天井を仰いだ。
頭がまいった時にはよくこんな素振りをする。
大きく息を吐き出し、頭を切り替えてからまたロアへ向き直った。
「よし。わたしはこれからどうすれば?」
「夜を越える条件は分かっている。それとは別に、七つ夜の怪異を滅却する作業も同時に進めなければならない」
「それは何ていうか……すごく面倒そうだわ」
平静を装うために紅茶を一口啜ったが、既に中身が空だと気づき、リンピアは赤面した。仕草で察したロアはすぐポットからおかわりを注ぎ足した。
何処かのご令嬢と召使いのような状況。
悪くはない。
リンピアは照れながら小さく、ありがと、と言葉を添えて改めて一口啜った。
ロアは構わず続ける。
「――滅却の手段だが、七つ夜の怪異は20年周期で必ず起きなければならないという条件がある。それそのものが前提なら、周期性を乱してしまえば自壊するものだと俺は考えた」
「ふーん……。だったら」
既に周期性は崩壊したのでは?
周期の持続には関係者の記憶改ざんが必須。
幸いにも、ロアの特殊な魔力の恩恵で、リンピアは第一夜の出来事を正確に覚えている。
二人も第一夜の伝承者がいれば、秘匿性は崩壊し、20年周期での怪異発生が困難になるのではないだろうか。
ロアがリンピアの閃いた表情に苦言を入れた。
「それは違うな」
「まだ何も言ってないんですけど……」
「目は口ほどに物を言うものだ」
「あぁそう」
なぜか悔しさが込み上げてくる。
リンピアは一度でいいから、この朴念仁に一泡吹かせてみたいと思った。
「確かに俺と君は記憶を残したまま、夜を越えた。
だが、それはそれだけのことだ。
事実が"峡谷では何も起きず、誰も死んでおらず、調査隊も元より10数名だけ"という事実に擦り替わった以上、何か言ったところで俺たちの方が嘘つきになるだろうな」
「あぁ……うーん、それもそうか」
カレルとの会話を思い出した。
多勢が真実となるなら少数の証言は無意味。
いくら彼に師匠がいたとしても、いないことになった時点で負けなのだ。
「つまり、大事なのは記録すること」
「記録? レポートアップするってこと?」
「字だけでは頼りない。絵などはどうだろう」
「あ……」
「君もそれ相応の装備が持つなら、スケッチ程度は出来るのだろう?」
「……うん」
リンピアは生返事をした。
何故かモヤモヤした気分になる。
以前にも味わった、正体不明の心の泥濘。
それは彼の次の言葉で明るみになった。
「記録対象が怪異そのものだ。なるべく魔力を使わず、手描きが望ましいだろう」
「え……?」
それは、あの依頼状の文面そのもの。
リンピアが七つ夜の怪異を知るきっかけになった手紙だ。
「今、なんて……?」
「……魔力を使わず、手描きの記録が望ましい。七つ夜の怪異の特性はその改竄能力だ。転写魔術などで写し取れば、容易に抹消されてしまうぞ」
ご丁寧に、手描きにする理由まで語った。
耳を疑ったのはそこではない。ロアが提示する七つ夜の怪異の滅却法は、元よりリンピアが遺跡調査にて依頼されていた仕事そのままだからだ。
「どういうこと……?」
「どうした?」
「待って。ちょっと整理する」
「……いいだろう。ごゆっくり」
ロアは怪訝そうな様子で席を外した。
七つ夜の怪異を滅却する為には記録が必要。
その方法を以前から知っていた人物がいる。
遺跡調査で人を集めていた依頼主本人だ。
――トヤオ町の神父、スキルワード氏。
スキルワードは怪異を迎える前、リッチの襲撃に敗れ、死んでしまった。
だから真意を確かめる方法はない。
そもそもスキルワードは遺跡調査中も、やたらと団体行動を強いる節があった。リンピアが余すことなく遺物らしき物をスケッチしている際、そこは不要だと口出ししてきたのもあの神父である。
ならば、スキルワードは先んじて七つ夜の怪異を滅却しようとしていた?
神父としての善行で?
否――。
もっと深堀りする必要がある。
前提だ。七つ夜の怪異の前提条件。
――人の記憶にも、記録にも残らない。
20年周期を確保するため。
誰にも知られてはならない。
では何故、依頼主は知っていた。
リンピアも怪異の存在は知っていたが、それは一般人の知識として。七つ夜の怪異については80年前の『メトミスの怪』で遺された手帳の、断片的な記録しか情報源がないはずなのだ。
対処法まで知るはずは……。
それに、
「ねえ、ロアくん――」
ずっと胸に溜め込んでいた疑念がある。
部屋の隅で手持ち無沙汰に佇む彼に話しかけた。
「情報の整理は終わったか」
「うん。それより第一夜のときにリルガちゃんも訊いていたことだけど、わたしも聞いていい?」
「俺の知ることは何でも話そう」
「わかった」
なんだか一気に距離を詰める気分だ。
愛の告白をするでもないのに、ロアの心が不透明すぎて怖気づきそうになる。でも、
「この怪異のこと、なんでそんなに詳しいの?」
あの夜、傍で支えてくれたロアを信じたい。
リンピアは勇気を出して聞いてみた。
「――――」
彼の呼吸が止まった気がした。
それは虚を突かれた故か。
リンピアは急にロアが怖ろしくなった。
人間離れした容姿と身体能力。疑いだらけだ。
「……80年前の『メトミスの怪』で遺された手帳は有名な話よ。でもそれは起こった事実が淡々と綴られてるだけで、第一夜であんな風に奇妙な世界に連れてかれるとか、観測者がどうとか、夜明けが来る条件が何かとか、そんな話、わからない。でも、ロアくんはそれ以上のことを――」
捲し立てるように言葉を紡いだ。
リンピアは焦っていた。早く本心を聞きたい。
安堵を得たい。心に残る彼の疑いを晴らしたい。
ロアはまた理解したのかどうか分からないような虚ろな目で、「ああ」と相槌を打った。
リンピアは黙って続きを待った。
「それは当然だ。アレは俺が書いたのだからな」
アレとは何か。
リンピアは思考が停止した。
「手帳のことだ。俺が試しに残した。あれは初めて七つ夜の怪異の滅却に挑んだときの思考錯誤で生まれた副産物だよ」
「は……い……?」
メトミスの怪は実に80年前の出来事。
そのときにロア・オルドリッジは怪異に直面していた。
「え、あれ……ん……っと……」
「それ以来、俺はこの怪異に付きっきりだ。いい加減、どうにかしたい」
「待って待って。メトミスの怪って80年前の事件だよね!?」
「それがどうした」
あっけらかんと返された。
リンピアはまた整理が追い付かなくなった。
「ちなみにロアくんって何歳……?」
「少なくとも300歳は超えた気がする」
「え――」
あらためて、彼の語ることはいつも次元が超えていることを認識する必要がありそうだ。
人間に似ているけれど人間ではないのだ。
不老不死? 機械? ……いや、魔族?
「えぇぇえええぇぇええ!?」
思えば、これまでの落ち着き払った態度や年寄りのような語り口、古臭い作法、言動の一つ一つが物語っていた。
「"気のせい"じゃなくて?」
「これは違う」
「そ、そうか。わかっ……わかりました」
「なぜ急に敬語を」
「ううん、なんでもないわ」
努めて冷静に、とリンピアは己に言い聞かせた。
素性が分かってから態度を変えるのは無礼だ。
……一泡吹かせるなど、文字通り、300年早かったということか。
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