Prologue1-1 絵描き仕事
それは20年周期で起こるとされる怪異――。
ラウダ大陸の西方に位置する乾燥地帯では、とある町が無作為に選別され、20年に一度、厄災が訪れると云う。
厄災の内容はその年によって異なる。
例えば、町の住民が集団自殺をしたり、殺し合いを始めたり、砂嵐の後に大量の血痕だけを残して住民が消え去ったり……大抵の場合はそういった類いの、よくある血生臭いものだ。
しかし、この怪異の問題は人の死だけではない。
問題は実に"際限がない"ことだ。
20年周期で必ず起こる、それそのことが極めて異常だった。
さらには近年までその怪異は社会に明るみにならず、ひっそりと起きていた。
およそ怪異に直面したその年々の当事者たちは、外部へ向けて記録を残そうとしたはずだ。――その痕跡も僅かながら発見されている。
だが、なぜか一つもその怪異についての詳細な記録は抹消されていた。
元々、存在しなかったかのように。
所謂、神隠しにも似たこの事象に対して、『守護者』なる存在が解決に向けて動いている。今回、この秘匿性の高い怪異を観測できたのも彼らのおかげだった。
〇
「うーん……」
リンピア・コッコは手紙を訝しげに何度も読み直し、仕舞いには理解することを放棄して背もたれに体を投げ出した。
弾みで、ぎぃ、とロッキングチェアが軋んだ。
零れた長いブロンドヘアが床を撫でる。
「もう少し喜んだらどうだ。助手」
「ソフィアさん……これ、本当にお仕事ですか?」
「先方が仕事として依頼してきたなら我々はそれを引き受けて金をもらうまでさ」
「でも――」
リンピアは今一度、手紙に目を通した。
何度も読んだ文面だ。内容はすぐ頭に入るのに、ちっとも意味はわからない。
「あの……わたしは魔術の才能を買われてこの事務所に雇われたんですよね?」
「そうだが?」
「じゃあ、なんで初めての仕事が"お絵描き"なんですかっ!」
椅子から降りて立ち上がり、不満を漏らした。
リンピアは魔術師だ。魔力を消耗して魔術を行使し、概ね、超常的な力を示す存在。――とはいうものの、決して魔術は珍しくなく、魔力さえあれば誰でも使える。
得手不得手で、そういった職業を専門に扱うかどうかが変わるだけである。
リンピアも学生時代は多少なりしも同級生から注目されるだけの魔力があり、魔術もそれなりに使うことができた。
しかし、それは秀才の域を出ず、数多の天才には敵わなかった。
中途半端な才能を当てに生きたことが仇となり、何か特別な存在にも成れなかった。そんな中、働き口として見つけたのは街の小さな魔術相談所。
――それが『エスス魔術相談所』だった。
相談所のメンバーは2名。
リンピア・コッコを除けば、所長のソフィア・ユリネのみだ。
ソフィアは癖のあるブルネットの髪をした、大人の色香漂うセクシーな女性だが、交友関係は不明。一人でやっていた魔術相談所に突然、リンピアを雇い入れた理由も不明。
問い詰めても「キミは綺麗な手をしている」というよく分からない返答だ。
魔術相談所の名がなぜ「エスス」なのか問うと、饒舌に歴史の話をし始め、大昔に一国一城のお姫様が云々かんぬんと語り出すものだから、リンピアも面倒になり、所長のことを詮索するのは止めた。
そんなわけで花も恥じらう乙女(?)二人。
魔術相談所の依頼も殺到している。
ほとんどが同年代の女性からの恋愛相談、浮気調査、はては結婚占いなどなど。ここを何か別の相談所と勘違いしてないかとリンピアも不安になっていたところで今回、ご指名での依頼がきた。
「遺物スケッチの依頼なら君に適役だと思うよ」
「確かに絵は得意ですけど……」
リンピアは魔術以外に一つだけ特技がある。
絵を描くことだった。
写実的で精確。筆も速い。
どこからか噂が広まったのだろう。
依頼主は市街から離れた町の住民からだった。
「それでもこの手紙は謎だらけです! 文面には"コッコ氏の魔術師としての知恵をお借りしたく"と書いてるくせに最後は"尚、スケッチに魔術は使わず、手書きでの描写をお願いします"って……意味不明です!」
今のご時世、絵に芸術以外の価値は減った。
魔術の力を借りれば、念写のような芸当もできるし、情景を紙に写し取る魔道具も普及した。実況検分の資料を集めたいなら魔術師に念写を依頼すればいいのだ。
あえて手書きにこだわる意味は何か。
しかも専業の絵師ではなく魔術師に――。
「ああ――」
ソフィアは机に寄りかかり、ティーカップを口元に寄せた。その仕草だけでも世の男たちは魅了されるに違いない。
紅茶を一口啜り、窓越しに夕焼けを眺めるソフィアは、同じ女であるリンピアでも見惚れるほどだ。
「その依頼、想像以上に危険な匂いがする」
「え、えぇぇ〜!」
「心配するな。遺跡調査は君以外に何人か護衛も雇われるようだし、君はスケッチに専念すればいい。――まあ、私が言いたいのは"お絵描き"などと言って、ナメてかかるなということだ」
リンピアへ鋭い視線が刺さった。
今回は初めてのちゃんとした仕事だ。
今までこの魔術相談所で、街の女の子から彼氏の愚痴ばかり聞かされてきたリンピア・コッコにとって初めての。
指名は光栄なことで、誠心誠意引き受けるのがプロだろう。
だが――、
「危険な匂いってなんですか……?」
リンピアは少し怯えていた。
「うーむ。その依頼状に書かれてないことを色々調べたんだが、どうもきな臭い」
「依頼状に書かれていないこと……?」
リンピアはこれまでも、これからも、それなりの人生でいいと思っている。
それなりの魔術の才能。それなりの収入。
時が経てば、普通に恋愛して、普通に結婚して、何事もなく老後を迎えるのではと達観的なことまで考えていた。
だから、なるべく危険な仕事は受けたくない。
「しっかりしろ。顧客の依頼を受ける前に、その客自身の情報を洗い出すのがこの仕事の基本だ。まさか依頼状だけで応諾を判断するつもりじゃなかろうね?」
「うっ……」
嫋やかに笑われ、リンピアは目を反らした。
その心を見透かすようなソフィアの視線は未だ慣れない。
「まぁいい。初めてだし、私が代わりに調べた」
「ソフィアさ〜ん……」
「ええい、引っつくな。助手の面倒を見るのも私の役目だ」
「ありがとうございます」
なんだかんだ、この人は優しい。
そう噛み締めるリンピアだった。
「君は【メトミスの怪】という事件を知ってるか」
「メトミス……なんですか?」
「メトミスは知名度の低い渓谷の名だから知らなくても無理はない。でも、今回の遺跡調査とその怪異は関係あるかもしれないな――」
メトミス。
大陸西部の乾燥地帯の中でも北レナンサイル山脈に挟まれた渓谷の名称だ。
赤い大地、低い植生が確認される地域。
そこにあった一つの街で起きた怪異。
それが【メトミスの怪】。
七つ夜にかけ、住民が精神に異常をきたし、殺し合いを始め、最終的に生き残った者はいなかったとされる事件だ。
第一夜から第六夜までに起こったことを記録した手帳だけが発見され、実際に殺し合った住民の遺体や血痕などは一切発見されなかった。
一夜、数名の住民が悪寒や頭痛、嘔気の訴え
二夜、大多数の住民が錯乱。暴力事件発生
三夜、初期症状を呈した住民が失踪。殺人発生
四夜、生存者で結託するも夜には瓦解。暴動
五夜、阿鼻叫喚。地獄絵図。外部から応援あり
六夜、地底にて七ツ夜の滅却儀式に挑む――
聞き終えたリンピアは体の震えを感じた。
大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせる。
「なんだかおぞましい話ですね」
残されていた手帳の情報が断片的で、逆に恐怖心を煽る。
都市伝説の類いだろうか。
「……そんな不思議な事件があったら私も覚えてていいと思うんですけど。いつ頃の話です?」
「実に80年ほど前らしい」
「は、80年!?」
知らなくて当然だった。
そんな大昔の事件なら歴史好きでもなければ耳に触れる機会もない。
「それで、そんな大昔の事件と今回の遺跡調査にどんな関係があるんでしょうか……? 遺跡の場所は渓谷ではなさそうですよ」
「うむ。調査対象のガロア遺跡だが、メトミス渓谷からは距離がある。しかし、そこの石碑に同様の七つ夜の怪異が記されていたことが最近わかったようだぞ」
「え……」
「もしかしたら依頼主は【メトミスの怪】との関連を調べようとしてるのかね」
仮にそうなら依頼主は80年前の事件を何故、今になって掘り返すのだろうか。不思議に思うリンピアだったが、それ以上に恐怖心が勝った。
――触らぬ神に祟りなし。
そもそも、その怪異は魔術でも解明できない。
呪術含め、闇の魔術による精神汚染は即効性が高く、即時、対象を錯乱させることはできるが、夜限定で効果を発揮する時限式の術などは聞かない。
それに、たいていの呪術は重ねて使えば効果が減弱することが知られている。
体が慣れてしまうからだ。
逆に、日を追うごとに効果が高まるというのは、脳の器質的破壊が要因としか思えないが、町一つ巻き込むとなると相当の労力が必要だろう。
まさに"祟り"のような現象である。
さらに今回の依頼。依頼状の「スケッチに魔力を使うな」という注意書きから、何かを隠している節を感じた。
あまり深入りしない方がよさそうである。
「で、どうする? 引き受けるかい?」
「辞退します!」
「なんだと。それでも我が魔術相談所の一員かっ」
「だって意味不明ですし。怖いです」
「ふーむ……」
ソフィアは両手を腰に添え、難しい顔をした。
初任務にしては荷が重いとはソフィアも思う。
調べ上げた周辺資料を机を投げ出し、小さく溜息をついた。
「せっかくの高額謝礼だったのだが……仕方ない。私じゃ"お絵描き"はてんでダメだしな」
吐き捨てるように言い放った。
ソフィアも踏ん切りをつけるためだろう。
「お断りの返信は自分で送るんだぞ」
「はーい……」
リンピアは席につき、早速、返信用お手紙を書き始めた。
だが、名残惜しさを感じる。
せっかく指名のあった初仕事だからだろうか。それとも心の奥底で【メトミスの怪】が気になっているからだろうか――。
リンピア・コッコは筆を一旦置き、冷静に一日考えることにした。その日はいつも駆けこんでくる街の女の子――半ば友達のような存在だが、その子の相手をして無難に一日が終わってしまった。
こんな日々は充実感がない。
だが、それも一つの生き方ではないか。
敢えて危険なことに首を突っ込む必要はないのではないか。
そんな自問自答を繰り返すきっかけになった。