第02話 - かつての勢い
−−− 3年前の春
就職活動を幾度となく繰り返し、内定をもらうための面接の練習も数をこなして来た。給料がいいのと、家から近いというのもあって内定の通知を受け取ったときは天にも昇る気分になったものだ。これで張り詰めた空気から解放される、と。
当然のことだけど、初めて出社するのに遅刻することは絶対にあってはならない。
家からこれから勤めることになる会社へ行くためのルートを前もって検索しておく。家から比較的近いところに入社することが出来たのは大きいと思う。それでも、電車通勤になるのは変わらないし、都心ということもあってかなり混むのだけど。
正式に出社する前に検索したルートが正しいのか、行き方があっているかどうかを確かめるために、自費で1度向かってみる。山手線に乗り、数駅乗って降りて、改札口を出て携帯のルート通りに歩いてみる。道順は覚えておかないといけないし、それこそ迷ってしまうと後が怖い。今のうちにやっておこう。
携帯で検索したルートを歩いていくうちに目的地付近に着いた。
「なるほど、この道順ね」
今日はこのまま外に出たんだからこのまま家に帰るのももったいないし、何かリフレッシュ出来るところを探してみるか。それからはハメを外さない程度にリラックスして過ごしてリフレッシュした。
もしかしたらこれがいけなかったかもしれない。
−−−
いざ正式な出社日当日。
気持ちを新たに背広に袖を通す。何か忘れ物がないかしっかりとチェックして家を出る。高揚する気分を抑えて電車に乗り込む。前もって行動していたのがここで活きてくる。これから勤めることになる会社の玄関口を抜けて、受け付け口付近に新入社員のために分かりやすく臨時で用意されたであろう案内表示を頼りに進んでいく。
「あれかな?」
目の前には大きな観音開きの扉があった。不思議と「ゴクリ」と喉がなる。
観音開きの扉を開けた瞬間、講義室に出た。
「なんてすごいところに入社出来たんだ」と。
座れる範囲が決められているようだけど「ご自由にお座りください」と臨時で用意された案内表示に従って空いている席に座った。
すでに座っている人が居るのか、あちこちで聞こえてくる歓声を後目に、静かに待つ。俺が見た中では、男女含めて同期が60人くらい居た。男女比率は半々くらいだ。30分程度座って待っていると、舞台袖から人が出てきた。
「それでは、これより入社式を始めます」
マイクを通して発声されたのを聞いた瞬間、賑やかだったのが静かになる。
比較的落ち着いた状態で入社式に臨むことが出来た。
それが終わると余韻に浸ることもなく2人の男が入ってくる。
1人はいかにもサラリーマンって感じの灰色が混じった白と黒のスーツをばっちり決めている30代のダンディな男性と、20代半ばだろうか。少しやつれているようにも見えるが、スーツを着こなしている男性が入ってきた。
「まずは入社してくれてありがとう。私はこの会社の教育担当の雑賀という。よろしく頼む」
雑賀と名乗った男性が、いかにもサラリーマンって感じのスーツをばっちり決めている30代のダンディが教育担当らしい。少しばかり会釈した。
「そして、私の隣に立っているのは岡田だ」
「岡田と言います。よろしくお願いします」
もう1人のやつれているようにも見える方が岡田、ね。彼も同じように会釈した。
「では早速」
雑賀はそう言うと、この室内の前方に隠されてあるスクリーンを下ろした。
スクリーンの前に用意されてあるノートパソコンからコードが伸びてプロジェクターに接続されていた。部屋の電気が消され、プロジェクターからスクリーンに投影されたのは、今まで散々やってきた『実力テスト』という文字。
「まず君たちに謝らなければならないことがある。我が社は、研修期間を終え正式に配属された暁には、それぞれの部署で各々が手となり足となり、業務を行わなければならない。そのためにはまず、君たちにはあるテストを数回受けてもらう。今回のこのテストは君たち個人個人の能力を見極める重要なテストだ」
落ち着いた気分から一気に落とされた気分になる。
もしかしたら今居るこの会社はいわゆるブラック企業なのではないか、と。
「このテストで、ある一定のラインを超えなければ、すぐに辞めてもらう。このテストで振るいに掛けられリタイアした人間は過去に少なからず居る。研修期間中は、リタイアが決まった人間でも給料は正規の金額が支給されるからそこは安心してくれ。これは規定に記されている。例え今はダメでも、日が経てば化ける者は少なからず居る。現に私の隣に立っているこいつは、研修期間の最後の方で目まぐるしい成長を遂げた。この研修期間の1年間で、君たちがどのように成長していくか、私たちに示してくれ」
それって要するに首切りってことじゃ……。
「私のようになる人間も少なからず居ます。気を張らず、焦らずに、自分のペースを掴んで臨んで行ってください」
やっと解放されたと思っていた壁を再度突きつけられて、その壁を超えなければ次に進めないという恐怖を覚えた。暗にそれは諦めなければ越えられる壁だと示してくれた。これが飴と鞭というのだろうか。
その話と一緒に、前の席から筆記用具とテスト用紙が配られていた。
雑賀と岡田は、筆記用具とテスト用紙が正しく配られているのを確認する。
「本年度の新入社員の中には、名前の画数が多いものが居ます。今配られたテストの問題を解く時間に差が出るので、公平性を保つため、名前を書く時間を設けます。回答用紙の右上にスペースを設けてありますので、そこに名前を書いてください。名前を書き終えたら、えんぴつを机の上に置いて、手を膝の上に置いてください」
と岡田は発言した。
「全員が名前を書き、手を膝の上に置ければ号令を掛けます」
岡田が雑賀に「全ての条件が揃いました」と報告すると
「では始めてください」
と号令を掛けた。
−−− 1時間後
「時間です。ではえんぴつを置いて紙を裏に向けて手を膝の上に置いてください。繰り返します。えんぴつを置いて紙を裏に向けて手を膝の上に置いてください」
「何も出来なかった……」
やっとの思いで解放されてリフレッシュ期間にあてていたために全く対策出来ていなかった。今さら後悔しても仕方ないし後の祭り。今後どうやって過ごしていくかどうかを決めて生活していこう。
【初版】 2022/05/14
私事ではありますが、少なくとも会社の敷地内に講義室があるような企業を私は知りません。
因みに、講義室のモデルは「朝日大学 6号館 6201講義室」を参考にしています。