第01話 - 新入りがやってくる
春。
それは出会いと別れの季節である。
ある者は新しい門を潜り、ある者は何かに打ちひしがれ門から去っていく。それが「春」という季節に当たる。
そんな春に、新たな土地に希望を見出し、日本の首都「東京」からある島の門を叩いた者が居た。その名を川崎 俊一という。
彼は東京で働いていた27歳だった。毎日が仕事と隣り合わせな生活を送っていたが、仕事に疲れたのか、その働いていた会社を辞めて、単身この島にやって来た。
稼働時間、つまり労働時間は9時から19時だったが、残業時間は毎日3時間が当たり前。家に帰り着くのが日付が変わることもしばしばあった。給料はいい、土日は休みの完全週休二日制だったが、労働時間が長くて自分の時間を作れないというジレンマに陥っていた。自分の時間が取れない故に貯金はどんどんと貯まっていく。使う暇がないからだ。
仕事をしていて、そのままだと身体を壊すぞ、という両親の説得を受け入れ、退職届を提出。退職することが受理された。退職届を提出し、それを受理せずに放置し使い続けるということがなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。
その休みの日、休みの間に島の人間と連絡を取り合っていた。もうじきそっちに移住する、と。
この島には、こういう経緯を持つ移住民が多い。背に腹は変えられない。経験者だから手を差し伸べようとするのは、人の性かもしれなかった。
このように事前に連絡を取り合っていたこともあり、待ち合わせ場所を指定されていたのでそこに向かう彼。そしてその待ち合わせ場所に待っている人物が居た。
「ようこそいらっしゃいました。川崎 俊一様ですね。お待ちしておりました。私はこの島の村長を務めております安心院 薫と申します。以後お見知りおきを」
この安心院 薫という人間は、この島には珍しく移住してきた女性だ。彼女も壮絶な人生を送っていた。安住の地を求めこの島に訪れた彼女は、この土地の空気が合ったらしく、苦しい生活から一転して自由を手に入れた人間だ。
「ご丁寧にありがとうございます。先日から連絡させて頂いておりました川崎 俊一と申します。こちらこそよろしくお願いします」
彼らはお互いに頭を下げる。
「さて、堅苦しいのはやめますかね」
「そうですね」
彼女、安心院 薫は元々とある大型企業の社長令嬢だった。この「だった」というのは、複雑な事情が絡む為である。
安心院家の長女として産まれた彼女は、ただ彼女は親がお金持ちなだけで幼少期は何処にでも普通に居る子どもだった。
小学校・中学校と、俗に言うお嬢様学校には通わず、ごくごく普通の、公立の中学・高校へと進学した。その公立高校で進学校と有名な学校へと進学したのがきっかけだった。
その進学校はほとんどが専門知識に近いもので、レベルも高い。そのカリキュラムに経理・会計の授業があった。それがきっかけで初めてその内容に触れた。それが彼女に合っていたのだろう。基礎問題をあっという間に解き明かし、すでに応用問題へと手を伸ばしていた。
その授業内容を見ていた彼女の父親、つまり社長は彼女を採用することを決定した。彼女が学校を卒業後すぐに父親が社長を務める会社へと就職。いわゆる縁故就職というやつだ。すぐに頭角を現し、彼女は会社の専属となった。
周りの人間はそれが許せなかったのだろう。彼女は何もしていないが、彼女が粉飾決算を行ったとでっち上げ、強制解雇させたのである。彼女の実力は本物だったが、周りがでっち上げた粉飾決算の影響で、会社は社長を辞任させ、彼の娘は強制解雇という処置を取った。それからの彼女は荒れに荒れた。それこそ周りが手を付けられないほどに。
そこで見つけたのがこの島だった。
この島は何もない。喧騒もない。電車も走っていない。人口が少ないからだ。島だから周りを海に囲まれている。本州に行くためには定期的に運行しているフェリーか飛行機しかない。彼女にとってそれは夢の国だった。
その荒れに荒れていた彼女がこの島を訪れた際、当時の村長に
「お主。疲れきった顔をしておるの。なんならこの島で住むかい? 街の喧騒は聞こえめこぬぞ。静かに自由に過ごしてもバチなんて当たらんわい」
と告げられた。荒れに荒れていた彼女はこの島に惹かれすぐに引っ越してきた。
「ついつい、昔の癖が出てしまいますね」
「それもそうですね」
「「今後ともよろしくお願いします」」
同じタイミングで同じことを言い、同じタイミングで礼をする。しばらくの間お互いを見つめ合う。
「ぷっ」
「ふっ」
「「はっはっはっは」」
笑いがこみ上げてくる。
ひとしきり笑い合ったあと、彼女が手を差し伸べた。その意図がわかった彼は手を伸ばして握手する。
2人とも厚い握手を交わしていた。まるで2人の心を洗うかのように、心地いい風が吹く。
「こちらにどうぞ」
この島の村長を務める彼女、安心院 薫が、島を案内しようと右足を1歩下がり斜め横を向いて、右手を下げてガイドをしようと歩みを進める。それに続いて川崎 俊一も進む。
前以て連絡を取り合っていたとは言え、島を歩くのは初めてな彼は右も左を分からない、所謂新人だ。彼女に案内されるのは川崎 俊一は新人研修を思い出していた。
【初版】 2017/10/27
なお作者には経理・会計の知識はありません
【追記】 2017/11/09
少し加筆しました