二、悪童の枷
夢じゃなかった――目が覚めた直後、諦めと共にそう思った。固まった体を伸ばしつつ立ち上がり、剣を拾う。
窮屈な体勢のわりに、よく眠れた。
獣の十匹や二十匹は斬り捨てられるテンションだ、と明希葉は力の有り余った体で洞窟を出る。
昨日は色々衝撃的な出来事が続き、森を見回る気力はなかった。その分、今日は探索の範囲を広げるつもりだ。
何より、人の目がない。
無自覚に人間不信な明希葉は、森へ永住することを視野に入れて行動を開始した。
「キャィンッ」
悲鳴を上げ、獣は地に叩きつけられる。
血潮を噴き、咆哮は轟き、砂塵が舞う。
十数匹の黒い狼が、徒党を組んで明希葉に群がる。額にある一本のツノは剣とぶつかり、甲高い音を立てる。右手は剣を振るい、左手は拳や肘を駆使する。足運びは軽やかに、時として蹴りを放つ。
まるで踊っているようだ。
ひたすら無慈悲に、命を刈り取る。
黒い狼は牙を剥き、鋭い爪を振りかざす。
避け損なった返り血を浴びながら、明希葉は迸る力に困惑していた。
蹴り飛ばした獣は木の幹にぶつかり、その衝撃で表皮が裂けて木片が散る。
左足に噛みついた獣をそのままに、別の個体とぶつけて一緒に始末する。足は多少痛んだが、大事はない。
「……」
身体能力向上、さらに防御力付与だろうか。
「何だろうな……これは」
昨日から分からないことばかりだ。
頭を悩ませながらも、明希葉は確実にその体の使い方を馴染ませていく。
その力に耐えられなかったのか、剣は折れる。
「はっ、くくっ!」
自然と笑いがこみ上げる。
素の笑顔――嘲笑だろう。悪役にしか見えない、どう見ても大魔王の顔である。
「はっ、邪魔だ!」
明希葉の攻撃は鋭さを増し、その速度は上がる。
獣染みた動きになるのは必然だろう。
彼の本性は獰猛――小柄な体を補って余りある力を手に入れたのならば、もっと自由に生きられる。
ここが地球外だと知って絶望したが、思うままにいられるならば帰れなくてもいいかもしれない。
性格が悪い自覚のある明希葉は外面は猫かぶり、容姿を逆手に取って色々と――楽しめるかもしれない、と浮き足立つ。無理に媚を売る必要はない、もしもの時には強引な手段を取れるのだ。日本と違うならば、人を殺しても――罪にならないのだろうか。その辺は早急に確認しなければ。
ある種の開き直りである。
最後の一匹を殴り殺し、明希葉は爽快な気持ちで微笑む。
濃厚な血の臭い。
四肢を八つ裂きにされたモノ。
殴打されて内臓や頭の破裂したモノ。
血を浴びながら笑う美少女。
まさに惨劇、狂気を感じるおぞましさ――現代日本で生きていたと思えないほどに。この背景がえるだけで、変態に襲われることはないだろう。
どう見ても、危険人物だ。
明希葉は折れた剣の代わりに、黒い狼のツノをもぎ取った。力を入れて引っ張れば簡単に外れ、振り回してみると中々悪くない。
血の臭いに惹かれて獣が来る前に、急いでその場を離れる
強化された脚力で、森の中を走る。調子に乗って木の枝へ飛びつき、別の枝へ――忍者のようだ。枝から枝へ跳躍、危なげなく走る。
楽しげに跳ね回りながら、明希葉は意識の網を広げる。気配を読み、警戒は常に持ち続けている――その能力も、進化していないだろうか。
ぼんやりと、気配を読み取れる。その範囲が広くなっている。半径五〇〇メートル以内ならば、およそ把握出来るほどに。
「んー……?」
何やら、おかしな気配がある。
「……人、か?」
弱々しい気配が三つ、化け物共とは違う――感覚的なものだが、禍々しさに欠けるのだ。
対面するか別にして、明希葉はその場所へ向かうことにした。
「くそがっ!」
切羽詰まった声が聞こえる。
木の上に潜み、見下ろした現場は酷いものだった。
横転した馬車、血まみれの死体、打ち捨てられた剣。
「お嬢、お嬢が……」
黒いローブを着た青年はうわ言のように呟き、蹲っている。震える手にを伸ばし、前のめりになった体は倒れる。
地に横たわる男は頭から血を流しているが、明希葉はの感覚によれば生きている。
悪態をつく軽装鎧の男は一番元気そうだが、虚勢だろう。左肩と腹部は赤く染まり、剣を支えに立っている。
青年が這いつくばって馬車の方へ進路を取っている姿を不思議そうに眺め、遅々として進まない動きは芋虫のようだと思う。
明希葉は観察に飽きて、下肢に力を入れて跳んだ。後方で枝が折れる音が派手に鳴り、空中で回転して馬車の上に着地した。
軽装鎧の男は即座に戦闘体勢に移り、剣先を明希葉に向けた。先程までぐったりしていた男とは思えない。そのギラギラした眼差しが嬉しくて、明希葉は微笑む。
「こんにちは」
渾身の笑顔だというのに、肌がピリピリする緊張感は解けない。
血や泥にまみれた子どもを、警戒しないわけはないのだ。
「てめぇ、何者だ!?」
「ふふふふっ」
怒鳴る男に、明希葉は笑みがこぼれる。
「何がおかしい!?」
顔を真っ赤にして怒る男の態度が面白い。
この男は明希葉を組み敷こうとする輩じゃない。ただ敵対するか否かしか興味はないのだ。
「気が変わった」
愛らしい笑みを引っ込め、獰猛な本性を表す。
重苦しい殺気を纏う明希葉に、相対する男の喉は鳴る。
「お困りかい? 助けてあげようか」
親切な言葉を選びながら、その気配は抜き身の剣のように鋭かった。
論理は彼の枷だったのです。