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彼は今日も猫かぶり  作者: 灰かぶり
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一、ファンタジー初日

 ――小柄な体は宙に投げ出された。

 重力に従い、落下する――その意識が覚醒したのは、顔から水面に落ちる直前だった。



「はっ、げほっ、うぐ……」

 水面に顔を出した明希葉は胸をおさえ、苦しげに息を吸う。ボタボタと滴る雫はわずらわしく、ぬれそぼる髪をかき上げる。

 足は地につかず、立ち泳ぎの格好だ。

 ブレザーの制服は水を吸って重たく、泳ぐにも厳しい。ズボンとシャツは肌に貼りつき、体温を奪う。

 顔を上げ、視線を巡らせる。水を掻き、体の向きを変えて周囲の把握をする。

 湖の真ん中――そのほとりには草花が茂り、木々が乱立している。

 チチッ、クークー、ギュロロ……

 鳥の鳴き声らしきものが聞こえる。

 森の奥地だろうか。遠くに視線を向けても樹木ばかりだ。

 思考の海に浸かりたいところだが、とりあえず湖畔を目指して泳ぎ出した。衣服に足を取られながら、気ばかりはやる。

 ――何かいる。

 明希葉は先程から鳴りやまぬ警報に従い、その場を離れることにした。勘というものは馬鹿に出来ない。年に二度三度誘拐の憂き目に遭い、武術の腕を磨いた今となっては気配を読むスキルが自然と身についている。

 異常事態に回らなかった思考が戻ってくる。

 持っていたはずの鞄が行方不明だと気づいたが、探すほどの余裕はない。防犯グッズと鈍器は惜しいのだが。

 明希葉が湖畔に体を引き上げたとき、それは現れた。

 湖の中から飛び上がる巨体。銀色の鱗は鈍く光り、尾びれは水面を叩く。飛沫を撒き散らしながり、そのバケモノは湖の底に戻った。

「……」

 明希葉の顔は引きつる。

 魚と蛇を混ぜたような、二度と遭いたくないバケモノである。大型バスくらいの規模だろうか。明希葉の身長より大きい牙も見え、どう見ても肉食な生き物だ。

「……日本じゃない」

 呆然と呟いた。

 どこぞの都市伝説のように、あんな生き物の棲息は現代日本に認められていないだろう。武術の師範に無人島生活を一ヶ月強いられた頃を思い出すくらいに、衝撃的だ。

 ただ、いつまでも呆けていられない。少しの判断が生死を分けるサバイバル、早まる鼓動を落ち着けて冷静でなければならない。

「ぐしゅっ」

 くしゃみを一つ。

 寒気がする――濡れ鼠な現状は体調を崩しかねない。手始めに上着を脱いだが、その下に着た白いシャツを見て眉をひそめる。

 水分を含んだシャツは透けていた。服の上から分からない引き締まった肉体美――しなやかな筋肉の造形が浮かび上がり、艶めいてみえる。

 人気ひとけはないと知りながら、思わず辺りを見回す。

 ショタコンの変態が潜んでいないか、いつもの癖で探してしまう。貞操の危機しか感じない。

 上着を絞り、もう一度袖を通す。靴を脱ぎ、中の水を捨てて履く。

「最悪」

 真冬ではないから、風邪を引かないことを願うしかない。

 拠点となる洞窟でも見つけたら本格的に乾かすことにして、明希葉は移動を開始した。



 非科学的なことに、ここは地球ではない可能性が浮上した。湖のバケモノしかり、学校からの突発的な移動しかり――ファンタジーな展開だと頭は理解しているので、単なる悪あがきである。


「ギギ、ギャギャ」

「ギー」

 木の陰に身を潜めながら、小柄な生き物二匹を観察する。

 人間の子どもくらいの身の丈、緑色の肌、腰には布、手には剣。

 ゴブリンだ。

 一時期美羽がファンタジー怪物集を描いていたときがあり、それなりに知識はある。気まぐれ屋で変人な自称大親友に感謝しつつ、 考える。

 ファンタジー世界におけるゴブリンは、女性を苗床にしている設定が多い。『強姦魔死すべし』のスローガンを持ち、男女問わず襲われた経験がある明希葉はその手の輩が嫌いだ。社会的に抹殺したくなる程度に。

 相手は人型。攻撃手段は人間に似ているだろう。

 初戦闘には手頃ではなかろうか。

 そう脳内で結論づけると、明希葉は飛び出した。

 一匹の背を蹴り飛ばし、もう一匹の剣を握る手を蹴り上げる。

 手放した剣を掴み、眼下のゴブリンの首を掻ききる。

 先程吹き飛ばし、木にぶつかったゴブリンは動く前に頭を一突きして始末する。

「ふぅ……」

 鮮やかにゴブリン二匹を殺した明希葉は武器を入手した幸運だけを噛みしめ、その場を後にした。



 剣はあまり手入れをされていないのか、所々錆びていた。とんだ粗悪品だが、丸腰よりいい。

 明希葉は木々の間から見える空を仰ぎ、高いところにある太陽を確認する。地球は夕方だったが、こちらは昼である――時差ボケしそうだ。

 早めに休む場所を探そう。

 警戒を保ったまま、先を急ぐ。途中に胡桃と似た木の実を拾い、青い桃を枝葉からもぎ取る。

 木の実は硬い殻を握り潰し、中身を口に放り込む。

 栗の味だった。

「……なんでだ」

 食べられることを喜ぶべきかもしれないが、妙にがっかりする。

 こりこりと歯ごたえのある栗。栗味の胡桃だろうか。

「……スナック菓子だと思おう」

 そう結論づけ、もう一品。

 こちらの桃は食欲の失せる見た目をしている。本当に真っ青なのだ。有毒性が心配になる。

「……」

 爪で皮を傷つけ、汁がにじみ出す。毒があるならば、皮膚に異常を感じるだろう。指に汁をつけて待つこと数分、特に痺れたりしない。

 皮ごと、かじる

「……」

 梨の味だった。

 果肉は淡いピンク色をしていて、甘そうな見た目なのだが。

 この世界の食べ物に不安しかない。おにぎりが出て来て、パンの味だったら泣く自信がある――明希葉は無言で果物を食べる。



 それから黙々と森を探索し、無事に洞窟を見つけたときには疲れ果てていた。なるべく戦闘を避け、気配を潜めて――制服は生乾き程度に落ち着いたが、草や泥で汚れている。

 川などがあれば洗いたいところだが、着替えがない。女以上に身の危険を考える明希葉である――恐ろしくて、素っ裸になれない。

 切実に成長期が欲しい。体質的に、強面にはなれそうもないが。


 明希葉は洞窟に入り、傍に剣を置いて睡眠を取った。すぐに動けるように、座ったまま。

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