キリスト教~トンカツの衣と肉との間にある空間~
うすらぼけっとした顔をしていたヒロ。
おもむろに口を開いた。
「それだけじゃないと思う。俺たちのほとんどが、微妙に納得し切れていない。そう思わないか?」
その後ヒロが語ったことが正しいかどうかは、分からない。
ただ、ひとつの考え方じゃないかとは思った。
だからここに記す。
面倒なので、ヒロの言葉については、以下引用符を外す。
憲法ってのは「キリスト教の後継者」、そのひとつのかたちなんだと思う。
擬制ってヤツ。
唯一神が「いるものとして」、議論が成り立つキリスト教。
憲法はそれとパラレルなんじゃないか?
人権は「絶対として、認めなくちゃいけない」。
それを前提として、憲法は組み立てられてるんじゃないかって。
「擬制」って考え方を、間に挟んでると思うんだよ。
トンカツは、肉と衣でできてる。その間には、必ず隙間があるだろ?
隙間・空間は、ある意味では「無」だ。でもその存在は認めざるを得ない。
……ちと苦しいな。
ともかく。
「擬制に馴染めるかどうか」ってことじゃないか?
「天や神から与えられた」とか、そういう言葉への違和感だけじゃなくて。
「『絶対』を擬制する」・「それを認める」ことへの違和感。
「人権は絶対じゃない」って口にする人の感覚。
あるいは、「口で『人権は絶対だ』って言いながら、隙あらば他の価値を盛り込もうとする」人の感覚。
たぶん、そういうことなんだと思う。
……いや、他人事じゃない。
俺も含めて多くの人が、多かれ少なかれそう感じている。共感を覚えている。
違うか?
「何だよ人権って。おまえらヨーロッパ人の価値観だろう?勝手に言い出しただけじゃないか。大切ってことは分かるけどさ、『絶対と言い切れるもの』なんて、そもそもこの世に存在するわけ?『人権以外に、あるいは人権以上に大切な価値』だって、社会には存在するんじゃないのか?」って。
「少なくとも19世紀以降は、そういうことになっている」って言ってたジュリーの歯切れの悪さも、結局それだろ?
さらに言えばさ。
「個人の自由とか、そういうことばかり言ってるから、国が弱くなる。もっとまとまらないと、アレな国にやられてしまう。人権を制限して、国にフリーハンドでやらせようよ。そういう憲法があってもいいだろう?……いや、そもそも憲法いらなくね?」って意見もありうるだろうし。
「おい、じゃあヒロ。お前……」
いや?俺はそうは思わない。
ジュリーの言葉が正しいとするならば、だけど。
憲法は、「人権を絶対のものとする考えの上に」成り立っている。
で、憲法が無い国なんて、「19世紀以降は」国とは認められないのは、厳然たる事実だろう?
日本史で習ったじゃん。
大日本帝国憲法はなんのために作られたか。
「治外法権を撤廃させるため、関税自主権を得るため」だって。
「『憲法が無い国はまともじゃない。国と認めるわけにはいかない。そういう権利は与えられない』と言われたから」だって。
で、その憲法とは。
「憲法」という名前がついている以上は。
当然立憲主義を前提とするもの……なんだろう?
で、立憲主義ってのは、「人権は絶対のものだ」ってことを前提とする。
だったらさ。
「人権が本当に絶対かどうか」って、疑問に思っても仕方無い。
あるいは、「疑問に思うのは、かなり苦しい作業を伴う」んじゃないかって。
最近さ、こんな話出回ってたよな。
1+1=2
高校生まで習っている数学は、「それを前提としている」に過ぎないって。
1+1≠2
そういう数学も、存在するだろう。
数学という学問の世界には、そういうのもありうるよって話。
「どっちが正しいとか間違っているとかじゃない」、そのとおりだと思う。
でもさ。
実際にそういう数学を作りたかったら。
メチャクチャ勉強して、説得力ある世界を構築、擬制しなくちゃいけない。
立憲主義とか人権も、そこじゃないかな。
「『人権は絶対じゃない』。『立憲主義なんて無視だ』。我が国は、そういう思想に基づいた憲法を作る!これが新しい憲法の形だ!」とか。
「憲法が国民の統合を邪魔するなら、そもそも国に憲法なんてものはいらない!」とか。
そんな憲法や国家を作れたら、あれだ。
世界の思想を一歩進める業績なんじゃないか?
キリストやルソー、ナポレオンにマルクス並の偉人になれる。
世界史の教科書に太字で載って、まるまる1ページ割いてもらえるって。
でもそれってさ、無理だろ。
人権が絶対かどうかなんて、俺には分からない。
だけど、「人権は絶対だ」って言って、国際社会は成り立ってるんだろう?
それを否定する憲法を作ったら、「価値観共有」なんてできないと思う。
まともな国扱いをしてもらえない。国際社会から村八分だ。
それでも貫きたいと思えるほどに魅力的な新思想、聞いたこと無い。
新しい思想を、(統治機構的な意味じゃなくて、「美しい国」とか「戦争しない国」的な意味で)「国のかたち」にする覚悟なんて、俺には無いよ。
極論だったかもね。
でもさ、少なくとも。
今の俺たちの中に、俺たちの周りに。
「立憲主義を否定できるだけの説得力と体系を持った思想」を構築できている哲学者がいるのか、そういう思想体系があるのかって話だ。
ないんなら、キリスト教から……擬制から離れるのは無理じゃないかな。
「人権は絶対」。
個人としてどう思うかは別だよ。まさに「自由」だ。
ただ、「憲法を論ずる場面では」、それを……「人権は絶対だ」ってことを、前提としなくちゃいけない。
否定したり、他の価値を盛り込んだりは、しちゃいけない。
そういうことだと思うんだ。




