憲法とトンカツ定食
最初に口を開いたのは、専門家(?)
法学部のジュリー。
面倒なので、以下彼の言葉については、引用符を外す。
ざっくり言えば、憲法の根本は2つだと思う。
「これが無ければ憲法とは言えない」ってものが2つある。
――統治機構と、人権規定――
国のかたちを決めるのが「統治機構」。
国のかたちって言っても、「美しい国」だとか「戦争をしない国」っていうアレじゃなくて。
「日本の国には、こういう政府機関があります」ぐらいの意味だ。
これが絶対に必要。
「護憲派の人は『人権』ってよく言うけど。人権より先に、そっちなんだ?」
人権規定は、後発……とまで言って良いのか?
ともかく、まずは統治機構。それは絶対。
その上で、だ。
だいたい19世紀以降の近代憲法については、「人権規定」も必須とされているけども。
まあ同じっちゃあ同じなんだよ。
マグナカルタってあっただろ?国王(行政府)が「税金かけるぞー」って言った時に、貴族たちで構成された議会が「ふざけんな、俺たちに話を通せ」って言い出した。
憲法はそこから来ているらしい。
つまり憲法ってのはそのスタートが、「『統治機構』を法律に書き込んだもの」なんだよ。
そういうわけだから。あ、それといちおうイギリスは不文憲法な。
「統治機構」が書かれていない法律は、憲法とは言えない。
で、だ。
「我が国には議会がある」って憲法に書けば。
それだけで「我が国では、議会と行政府を分けている」って意味になるだろう?
それはそのまま「我が国には、独裁を防ぐチェック機能がある」って、そういう意味になるんだ。
さすがにそれだけじゃあシンプルすぎるから、予算のルールとか立法の仕組みとか、そういうとこまで憲法に書くけども。
「統治機構」の規定が存在するということは。
それだけで、「この国では権力の分担と権力機関の相互監視が成立しています」って意味になる。
日本では「三権分立」と言っている。
国会・内閣・裁判所がお互いに仕事を分担し、チェックしあう。集中させない。
何をどう言い繕おうが、ここは絶対なんだ。
「憲法は、国家権力を制約するもの」。
「それだけじゃない」部分もあるだろうけどさ。
「それだけじゃない」って議論が、「『国家権力の制約』という性格を薄めるべきだ」って意味だったら、これはもう聞く価値無し。まともな憲法論議じゃない。
で、もうひとつの柱、「人権規定」だけど。
これは、そういう「『統治機構論』は、何に基づいて正当化されているのか」って話。
なんで権力を制約しなくちゃいけないんだって話だ。
それを、少なくともだいたい19世紀以降は、「人権というものが存在し」、「統治機構は人権を守るためにある」っていう理由で正当化してる。
いろいろ議論はあると思うよ?
でもさ。
「国家権力を制約するのは、『人権』ってものを守るためだ」。
ここも絶対なんだ。
「憲法」という名前がついた法律である以上、ここは動かせないんだ。
少なくとも19世紀以降は、そういうことになってる。
だから「人権以外にも、世の中には大切なものがある」って議論があっても良いとは思うけどさ。
それが「人権以外のものを、人権の上に置く」って意味だったら、これも「憲法論議としては」聞く価値無し。「憲法論議としては」まともじゃない。
この2つ。
「憲法は、国家権力を制約するためにある」
「憲法は、人権を守るためにある」
その考え方を「立憲主義」って言う。
最近学者の先生が危機感持って一生懸命発言してくれてるから、けっこう有名だと思うけど。
「そういう考え方がある」っていうレベルじゃないからな?
憲法論議をする場合、これはもう「絶対の前提」。
立憲主義が守られていない法律は、憲法とは呼べない。
「人権以外も大切だ。家族愛とか郷土愛とか『それ以外の価値』も盛り込みましょう」ってのはさ。
やっちゃったら憲法とは言えなくなる。
――ユウタ、今お前が食べてるトンカツ定食と一緒だよ――
「エビフライやアジフライもおいしいから、トンカツ定食に乗せましょう」ってのと同じ話だ。
それをやったら、トンカツ定食を名乗れない。ミックスフライ定食だろう?
「おいしいからいいだろ?」って話じゃない。
こっちはトンカツ定食を作ってくれって頼んでるんだ。
店の大将が勝手にミックスフライ定食にしちゃダメでしょ。
まして店側が言い出す場合、それは大抵ろくなもんじゃない。
エビフライのぶんだけ、トンカツは小さくなってる。
そういうもんだと思わないか?
改悪……いや、それならまだマシだ。
「憲法とは言えないものを作ってしまう」ことになりかねない。
それと。
これはあくまで俺個人の意見だけど。
家族愛や郷土愛が「それ以外の価値」であって、「憲法に盛り込んではいけないもの」ならば。
博愛主義とか絶対平和主義とかも「それ以外の価値」であって、「憲法に盛り込んではいけないもの」なんじゃないかって。
そう思ってるんだけど……どうだろう。
――以上が、ジュリーの話だった――
「立憲主義」については、最近よく耳にしていた。
憲法とは、国家権力を縛るもの。
国民に義務を課すものでは「ない」。
「国民が、権力に対して、縛りをかけるもの」だって。
「あのさ、立憲主義ってのは俺もよく聞くよ?で、それが大切ってのも分かるけどさ」
でも。
「けっこう反発されてもいるよな。その理由が知りたいんだけど。ほんとうに、それ以外の憲法って、あり得ないのか?」
……ジュリー、現に説明しているお前も言ったじゃないか。
「人権は絶対なんだろう?少なくとも憲法論上は。じゃあなんで、『19世紀以降は』、『そういうもの』なんて言い方するんだよ。なんか絶対っぽくないんだけど」
以前から、俺にはひとつ疑問があった。
「いつだか中国政府?だか報道機関?だかがさ、『表現の自由は絶対のものではない』みたいなことを言ってたんだよ。中国にだって憲法はあるんだろ?なら『憲法上、人権は絶対である』とは言い切れないんじゃないか?」
そんな俺の問いに対し、ジュリーの答えは「立て板に水」だった。
……高校生の頃までは、あまり弁の立つほうじゃなかったんだけどな。
「まず、中国はいちおう共産主義国家だろ?社会主義憲法なんだわ。この辺はキーパーの方が詳しいだろうけど……『みんなが自由に行動したら、資本の集中と搾取が起こり、貧しい労働者が苦しむ』って。そう考えるわけだ。だから一部の人権を認めない。だけど、『労働者の権利』はある。そういう意味では、いちおう人権を認めてはいる」
そういうもんかと思ったけれど。
ジュリーのヤツ、返す刀で「それは建前だろうな」と言い出した。
「もうひとつ、まあ本音はこっちだと思うんだけど。『人権人権ってうるせえよ!お前らだって大概じゃねえか!こっちは金も核も持ってる大国だぞ!言うことを聞くと思ってんじゃねえよ!』ってことじゃないかなあ」
なんて言うか、つねに二つの答え、複数の論法を用意しているかのようで。
何をどう質問しても、ごまかされそうな気もしたけど。
でもさっきは「俺個人の意見」って言ってたし。
立憲主義のところは「嘘を言っていない」と見て良いのかな?
「立憲主義の理解についても、間違ってるかも知れないけどな?正確なところは、自信ない」
ダメじゃねえか!
注目していた俺たちが、ガクリと肩を落とす中。
ひとりだけ動いていないヤツがいた。
いつもどおり、うすらぼけっとした顔をして。