第3話 前期の会議
翌週火曜日の四月二十六日、専門委員長会議が開かれた。特別棟二階にある理科講義室で生徒会長の箱田 和樹、書記の二人および11の委員長が集まった。そこで抱負とかを述べることになったが、そういうことが苦手だった。しかも、順番的に一番目だった。
専門委員会が開始され、平成二十八年(年度ではない)前期委員長である箱田が司会を務めていた。そのとき、清掃委員会委員長である小松達也が「部活の急用があり、すぐ行かなければならなくなった。そのため先に発表させてほしい」と言い出した。それで、僕は安心したが、それでどう発表すればいいかを理解した。
自分の番になり、年間予定と目標を話すことができた。終わってほっとしたが、また明日に中央委員会というのがある。まだまだ油断できないと思った。専門委員長会議終了後、田山先生のところに行き、今日のことを報告した。委員会のファイルを預かるかどうか聞かれたので、預かってもらうことにした。
翌日の二十七日の放課後、中央委員会が開催される。6時限目の授業終了後、本棟三階にあるPC教室に行き、田山先生から委員会のファイルを受け取った後、階段教室に向かった。階段教室は、理科講義室の隣。早速、何人か集まっていたが、まだ施錠されたままだ。みんなちょっとイライラしていたが、僕はこうゆうのに慣れていたからあまり何とも思わなかった。数分後、生徒会長の箱田が鍵を持ってきた。
入室後、僕はこう思った。「あぁ、階段教室ってこんななんだ。大学でもこんな感じなのかな…」と。実は、オープンキャンパスには一回も行ったことがなく、大学がどのような感じなのかが分からないのだ。それはさておき、席が指定され数分たったら全員集まったので、中央委員会が始まった。
そもそも、中央委員会とは各組織の長が集まる会議のことである。――つまり、各部・同好会の部長、各委員会の委員長、各クラスの学級委員長が集まり、今年の計画などの発表する会議なのだ。
中央委員会で各部長から発表が始まり、その次には各クラスの学級委員長の発表の順だった。その次は各委員長からだが、順番的に新聞委員会からである。しかし、発表することは前日の専門委員長会議と同様で良いということなので、あまり緊張せず発表した。でもちょっと、噛んじゃったりした。
中央委員会が終了した後、とりあえずひと段落したと安心した。ファイルは回収だったので、田山先生のところには行かなかった。今度は六月ぐらいに活動だな~と思いつつ、ちゃんとやってくれるか不安にも思った。