第三話 青柳綾子②
優菜と佳苗は、職員室から出てきた教師をつかまえて大津の居場所を尋ね、校舎裏手にある学内の図書館にやって来た。
図書館の一階中央には、勉強や読書をするための机と椅子が配置されていて、その周りを囲うように、弧を描いて本棚が配置されている。吹き抜け式に、二階部分と三階部分もあって、蔵書数は八万冊を下らない。
「青柳先生が?」
突然の見知らぬ来訪者に、大津は戸惑いを見せた。
――本当に、青柳先生は大津先生のこと好きなのかなあ。
大津は温厚そうな印象だが、少しぽっちゃりとしていて、どこか頼りなさそうに見える。背は青柳よりも低く、佳苗には青柳と大津がつり合っているようには見えなかった。
優菜が愛想よく答える。
「はい、わたしは本が大好きでして。青柳先生にそのことを言ったら、大津先生と知り合いになるといいって聞いたんですよ。いろいろ教えてくれるって」
――うわぁ。
よくもまあ、こうも臆面なく口から出まかせを言えるものだと、佳苗の頬が引きつった。
「うん、僕に教えられることなら。でも、探したい本があるなら図書委員に聞くといいよ。端末で検索してくれるから。僕がいつもここにいるわけじゃないしね」
「わかりました! これからよろしくお願いしますね!」
そう言って、優菜は左手を差し出した。急に握手を求められて困った様子の大津だが、断る理由もないのか、結局それに応じる。
「……あら」
狐につままれたような顔をした優菜。「どうしたの?」と佳苗が尋ねると、優菜は「ううん、なんでも」と首を横に振り、大津に背を向けて言う。
「では、失礼しますね。そうそう……今日青柳先生は、仕事が五時半に終わり次第『はなまるマート』へ行くそうですよ。カレーの材料を買って帰るそうです」
そう言い残して、優菜はスタスタと歩き始めてしまった。キョトンとする大津を残し、佳苗もそれに続く。
「ちょ、ちょっと優菜ちゃん!」
佳苗が大きな声で呼び止めると、優菜は「しー」と唇に人差し指を当てた。
「……さっきの何だったの? 説明してよ」
佳苗は小声で聞いた。
「うーん……いろいろと段取りは考えてたんだけどね。なんていうか、ぬるゲー過ぎっていうか。キノコもコインもすっ飛ばして、Bダッシュでゴールしたくなっちゃった」
わけが分からず、首を傾げる佳苗。
図書館を出たところで、優菜は後ろを歩いていた佳苗の方へ振り返って言う。
「大津先生も、青柳先生のことが好きなのよ」
「ほ、本当に!?」佳苗は驚いて叫んだ。「どうしてわかるの!?」
「……突拍子もない話だけど、聞く?」
優菜はそう前置きして再度歩き始めた。
佳苗は急ぎ足で優菜と肩を並べて答える。
「うん。気になって、夜眠れそうにないよ」
「『探り術』っていうんだけどね。左手に触れると、その人の想い人と、想い人にまつわる記憶を探ることができるの」
「……まじっすか」
「まじっす」
佳苗の額から冷や汗が吹きだした。初めて会った時に握手をした手はどっちの手だったか――。
優菜は察したのか、笑って言う。
「安心して、あの時は右手だったでしょ。探ってないし、これからも探るつもりはないから」
安堵する佳苗。もちろん、佳苗は優菜が言ったことを鵜呑みにしたわけではないが、青柳の想い人を言い当てたのは事実で、嘘だと断じるにはいささか自信が無い。
――しばらく様子を見てみようかな……ん?
優菜が何か呟いたが、佳苗には聞き取れなかった。
「何?」
「ううん、なんでも。じゃ、五時半になるまで適当に時間つぶそっか」
* * * * *
夕方五時三十分。
優菜と佳苗が倉庫の影に隠れ、教職員の通用口が見える位置で様子を伺っていると、白ブラウスと紺のスカートに着替えた青柳が現れた。
「本当に大津先生来るのかなあ」
佳苗が疑ってそう言うと、優菜は「もちろん」と自信たっぷりに頷いた。
「どうして? 優菜ちゃんの言う通り大津先生が青柳先生のこと好きだとしても、来るとは限らないんじゃない? お仕事忙しいかもしれないし」
「偶然を装って、好きな人とプライベートで会えるチャンスなのよ? 多少無理してでも会いにくるに決まってるでしょ」
「そっか。まあ、狙ったキャラが行きそうなところに顔を出してお近づきになるのは基本だしね」
「……キャラ? 何の話?」
「え? 乙女ゲー」
「あ、そう」
そうこうしているうちに、やはりというか、青柳に続いて大津も現れた。
「後をつけるの?」
佳苗が聞くと、優菜は苦笑して言う。
「わたしたちプロじゃないんだから。ばれたら面倒でしょ? 行先はわかってるんだし、正門から出て先回りするよ」
「はーい」
場所は変わって、『はなまるマート』。
青柳が店に入り、その一分後にやってきた大津の後を、優菜と佳苗は物陰に隠れながら尾行していた。
「どれがいいかな……」
青柳はジャガイモを手に取り、物色している。そのおよそ三メートル後ろで、大津はうろうろしていた。どうやら、なかなか声をかける勇気が出ないようだ。
「さっさと声かけなさいよ……もうっ!」
キャベツの山の後ろに隠れ、トントンと指先でキャベツを叩きながら苛立つ優菜。佳苗はその後ろで、今か今かとワクワクしながら様子を伺っている。
「青柳先生!」
ついに大津が青柳に声をかけ、青柳はビクッと跳ね上がり、ジャガイモが手から零れ落ちた。慌ててそれを拾い上げ、恐る恐る振り返る。
「お、大津先生……!」
「いやあ、偶然ですね! 夕飯の買い出しですか?」
あまりのわざとらしさに、吹き出しそうになるのを堪えている優菜と佳苗。
「え、ええ。大津先生もですか?」
「はい、ちょっとカレーの材料をね。あまり料理はしないんですが、たまには」
「あら、わたしも今日はカレーにしようと思っていたんですよ!」
「そうなんですか! これまた偶然ですね。普段から料理はされるんですか?」
青柳はバツが悪そうに頬を掻いた。
「いえ、お恥ずかしい話ですが、あまり。一人暮らしだと、なかなか作る気になれないんですよ」
「わかります。結局、お弁当を買ったほうが安く済んだりするんですよね」
そこで会話が途切れ、二人気恥ずかしそうにジャガイモを物色し始めた。その後一分ほど経っても、何か進展するような様子はない。
「ちょっと……二人ともカレーなのよ? 惚れてんなら、次どうするか決まってるでしょ? 何やってんの?」
優菜は再び苛立ちを見せて呟いたが、その思いは青柳と大津には届かなかった。
「じゃ、じゃあ僕はこれで……」
「は、はい! また明日学校で!」
大津はその場から去ってしまった。佳苗が大津を目で追うと、「会えてラッキー!」とでも言いたげににやけている。
視線を戻して、青柳はどうかといえば、頬を少し赤らめ、同じく嬉しそうに笑っていた。
佳苗が乾いた笑いを漏らし、「これ、うまくいったの?」と聞くと、優菜は小刻みに体を震わせ、激しい怒りを押し殺すように言った。
「一体なんなのよ……この茶番は!」