第二話 青柳綾子①
帰りのホームルームを終えた優菜と佳苗は、職員室へ向かっていたであろう青柳綾子を廊下で呼び止めた。
青柳は体育教師で、汗を流すことが多いからか、化粧はほとんどしていない。とはいえ、まつ毛が長くて目力が強く、肌はきめ細やかで、化粧などいらないほどの美人だ。さらには、すらっとしたモデルのような体型で、『バレー部の鬼コーチ』という肩書さえなければ、男女問わず多くの生徒から人気を集めていたことだろう。
青柳は優菜に渡された部活動新設申請書を見るや否や、眉間にしわを寄せた。
「占術研究部の顧問ねぇ……まるで興味ないんだが」
「ほら、やっぱり」
佳苗は優菜を肘で小突いたが、優菜が動じている気配はまったくない。
「しっかり活動しますので、お願いします」
優菜は媚びる様子もなく、にこやかに堂々と言って、青柳は呆れたようにため息をつく。
「大体占いなんて、あれだろう? 今日はどの星座の運がいいって、朝番組でやっているような。そんな適当なもの、認めるわけにはいかんよ」
「あら、先生がそんなことを仰るとは」優菜が驚いて言った。「占いは、古くから世界中の人々に愛されてきたんですよ。日本の古代にだって占いはあります。『魏志倭人伝』に『骨を灼きて以って吉凶を占う』と記述がありますし、邪馬台国の卑弥呼が占術で国を治めていたことは有名です。研究対象として、非常にやりがいがあると思うのですが」
「ふうむ」と感心した様子を見せる青柳。一方で佳苗は、「どうでもいいとか言ってたのに」とぼそりと呟き、優菜の肘打ちがみぞおちに入って、「ごふう」と背中を丸めている。
青柳は後ろ首を撫で、迷っているようだが、やがて首を横に振った。
「その積極性は素晴らしいと思うがな。わたしはバレー部の顧問だし、引き受けることはできんよ。他を当たってくれないか」
「でも、どうしても青柳先生にお願いしたいんです」
「そう言われてもなあ――」
優菜は思いついたようにパンッと手を叩いた。
「じゃあ、これからわたしが先生を占ってあげます! それが当たったら、ちょっと考えてもらえませんか?」
青柳は目を丸くした。
「占う? 何を占うっていうんだ」
優菜は周囲に聞こえないよう、声を小さくして言う。
「先生が好きな男性は誰か、とか」
「何を……そんなの、やる意味がない。いないんだから」
そう言った青柳の目は泳いでいて、青柳が動揺していると、佳苗にはわかった。どうやら、嘘はつけないタイプのようだ。
「先生は、占いなんて信じていないんですよね?」
優菜が挑発的に言った。
「も、もちろんだ」
「じゃあ、いいじゃないですか。それとも、実は信じちゃってるんですか? おすすめのカラ―のジャージを着てたりして?」
青柳が着ている上下赤いジャージを見ながら、クスクスと笑う優菜。
この優菜の態度は、教師としてのプライドに障ったようだ。青柳の怒気を伴った眼光が、優菜を鋭く射る。それを目の当たりにしている佳苗は、青ざめ震えあがった。
「いいだろう。だが、下手な話術でどうにかできると思うなよ。わたしはイエスかノー、一度しか答えない。外れたら、その時点で諦めろ」
――通じちゃってます、先生!
これでは、「わたしには好きな人がいます!」と言っているも同然である。
「では、左手を見せていただけますか? わたし、手相占いが得意なんです」
青柳は「ふん」と鼻を鳴らし、優菜に左手を差し出した。優菜はその手を両手で包み込むと、少し俯いて瞑目する。
「……ん? 手相を見るんじゃないのか?」
「もう、確認しましたから。あとは、感じ取るだけです」
やがて、優菜は「出ました」と言って、青柳にニヤリと笑いかけた。「うん?」と青柳が首を傾げると、突如、優菜は視線を青柳の後方へ向けて、大きく手を振り始めた。
「あ、大津せんせーい!」
青柳の体がビクッと跳ね上がった。慌てふためいた様子で振り返る青柳だが、そこに大津――国語教師の大津和馬――はいない。何があったのかと、屯していた生徒たちの視線があるばかりである。
「ビ・ン・ゴ! ですよね?」
優菜は青柳の横から顔をのぞかせて、ニカッと笑う。
青柳は耳まで赤くしてフルフルと震えていたが、突然優菜と佳苗の腕を掴んで走り出した。二階へ下り、連れて行かれた先は生徒指導室だ。
はぁはぁと息を切らせる優菜と佳苗。青柳は二人を生徒指導室に押し込み、バタンとドアを閉めた。
「ど、ど、ど、どどどどうし……」
優菜は呼吸を整え、動揺を隠せない青柳に微笑みかける。
「ですから、占いですってば」
「ふ、ふざけるな! 調べてあったんだろう!?」
「調べるって……どうやって調べるっていうんですか。誰か、青柳先生が大津先生のことを好きだって、知っているんですか?」
「そ、それは……ほら、風の噂とかいうやつだ!」
「入学したばかりなのにどうしてそんな――」
「とにかく! わたしは信じないぞ! 占術研究部は却下だ! 却下!」
捲し立てる青柳。優菜は呆れ交じりにため息をつく。
「往生際が悪いですねぇ」
「ダメなものはダメだ! ダメ! ダメ!」
その場を去ろうとして、青柳がドアノブに手をかけたその時。
「もし顧問になってくれるなら、わたしと佳苗が、青柳先生と大津先生を恋人同士にしてあげる……って言ったら、どうします?」
青柳がピタリと止まった――が、「余計なお世話だ!」と、優菜を睨みつける。
「そんな睨まないでくださいよぉ……そっかぁ。顧問になってくれないんだぁ。じゃあ、みんなにバラしちゃおうかなあ。青柳先生が大津先生のこと好きだって」
「な、な、な……」
わなわなと震える青柳。優菜の悪魔じみた笑みに、佳苗は「なんて外道!」と叫ばずにはいられない。
「ね? もう選択肢はないんですよ。安心してください、わたしが力になれば、青柳先生は百パーセント大津先生と結ばれます」
「……なんだって?」焦燥していた青柳の表情に期待が滲んだ。「絶対なのか?」
「はい、絶対です」
「嘘じゃないな?」
「嘘だったら、針千本飲んでもいいですよ」
青柳は腕組みをして「うーん」と唸る。そして、意を決したのか、優菜に駆け寄った。
「……ど、どうすればいい?」
もはや『バレー部の鬼コーチ』は見る影もなく、迷える独身女性がそこにいて、佳苗の胸に熱いものがこみ上げてくる。
「そうですね。青柳先生は、今日は部活ですか?」
「いや、今日は休みだ」
「帰りは何時ごろになります?」
「……五時半ぐらいかな」
「では、晩御飯はカレーを作ってください。材料は、学校の近くにある『はなまるマート』で買ってくださいね。これで、青柳先生の恋愛運は急上昇ですよ!」
「わ、わかった」
青柳は腑に落ちない様子で生徒指導室から出て行った。
「どうして青柳先生が大津先生のこと好きだってわかったの?」
聞いた佳苗に、優菜は「ナイショ」と微笑みかけた。次いで、「さあ、行くよ」と歩き出し、ドアノブに手をかける。
「行くって……どこへ?」
「決まってるでしょ? 大津先生のところよ」