第6章 約束-3
「真悟様!」
紫の呼ぶ声で現実に引き戻された僕は目を開けた。
さっきまで呼吸してなかったんじゃないかって思うくらい息苦しかった。肺に酸素を送り込むため大きく息をする。
今のは夢?
そもそもどこまでが現実で、どこからが夢だったんだ?
僕は周囲に視線を走らせた。
視界が広かった。
一陣の風が吹き、笹の葉がざわめく。
僕を囲っていた青竹の檻がなくなっていた。青竹の檻は鋭利な刃物で切り刻まれて散らばっていた。
視線を眼前に戻した僕は驚愕した。
八角形図の中にいつの間にか麗鈴がいて、勇さんの背中を短刀で刺していた。
一体何があったっていうんだ?
「わかりません。気が付いたら勇様が刺されていました」
「まさに電光石火の早業じゃった」
紫と千里眼さんも唖然としていた。
勇さんは口から血を流し、片膝をついた。
「勇様、大丈夫ですか?」
「来るな!」
心配して駆け寄ろうとする紫を左手で制する勇さん。
「真悟、お前も動くな。術の途中だ。そこでじっとしてろ」
じっとしてろ、って言われても。
麗鈴、どうしちゃったんだ? 再封印を勇さんに取られたからって背後から不意打ちするような真似をする子には見えなかったんだけど。
苦悶に顔を歪める兄を冷淡な眼差しで見下ろす妹。凍てつくような冷たい表情は初めて会った時の麗鈴を思い出させる。
「どこまでオレの邪魔をすれば気が済むってんだ」
勇さんは肩越しに麗鈴を振り返り、懐から取り出した笹の葉を投げ放った。
まさか勇さん、麗鈴に仕返しを?
だが、それは僕の早とちりだった。笹の葉は麗鈴の頬を紙一重ですり抜けて、数メートル後ろの一本の竹に突き刺さった。
それはまるでマジックでも見ているような光景だった。
細い竹から白いチャイナドレスを着た白髪まじりのシニヨンヘアの女性が姿を現したのだ。
チャイナドレスの刺繍で、白家の人間だということは容易に見て取れた。つまり、白家の生き残り三人のうちの一人、大叔母さんということだ。コハルさんとは全く対照的で、細い双眸からは威嚇するようなビームが出ていて肉薄な唇が冷酷な雰囲気を漂わせている。とても近寄りがたいオーラが出ている。
「白啓晶……。何しに来た?」
勇さんは恨めしそうにその名を口にした。
「相変わらず目上の人間に対する口の利き方を知らない子だね。私は麗鈴が《渾沌》を再封印するのを見届けにきただけだというのに。まさかここでお前に会うとは思ってもみなかったけどね。息災で何より。一族の生き残りはもう私と麗鈴の二人だけだと思っていたからね」
啓晶さんは微動だにしないに麗鈴を一瞥する。血に染まった短刀を握りしめているというのに、顔色一つ変えない。
「麗鈴に何をした?」
「私は《渾沌》を再封印できるよう修行をつけただけのこと。お前が麗鈴に刺されたのは自業自得ではないのかい? さあ、麗鈴。不甲斐ない兄に代わって《渾沌》を封印しなさい」
「はい、おばあさま」
麗鈴は眉一つ動かすことなく勇さんの背中から短刀を抜いた。
苦痛の声を漏らす勇さん。笹の葉で形成された右腕が四散していく。
鮮血が麗鈴に飛び散る。
どくん。
さっきまで無表情だった麗鈴の顔が恐怖という感情で強張っていく。
「私は何を……?」
勇さんの血で染まった右手から短刀がこぼれ落ちる。
自分が犯してしまった行為に愕然とする麗鈴。勇さんを刺したことを憶えていないみたいだった。勇さんが言ったように啓晶さんが何かの術を麗鈴にかけたのだろうか?
例えば、勇さんが《渾沌》の再封印を始めたら殺してでも妨害しろ、とか。
もしそれが事実だとしたら、僕は啓晶さんを許せない。
麗鈴に兄殺しの重荷を背負わせようとするなんて。
そんな非道なこと考えたくなかったけど、啓晶さんの次の言動で僕の疑念は確信へと変わった。
「三年間も修行してやったというのに使えない子だね、お前は」
啓晶さんは麗鈴に優しい言葉をかけるどころか冷たく罵り、チャイナドレスの左袖から鞭を取り出したのだ。鞭が空を切り、地面を叩きつける。
その音を聞いて、麗鈴が萎縮する。
あの鞭は麗鈴のトラウマだ。啓晶さんにあの鞭でしごかれていたに違いない。
「ごめんなさい、おばあさま! 私、もう失敗しないから、今度はちゃんと成功してみせるから……もう叩かないで!」
小さくうずくまり泣きながら大叔母に許しを請う麗鈴。
どくんどくん。
「茶番はそこまでにしろ、ばばあ。あんたには麗鈴に《渾沌》を再封印する霊力がないことはわかっていたはずだ。目的は何だ? これ以上、麗鈴を苦しめるな!」
勇さんが号泣する麗鈴を左腕で抱きしめる。
僕はそんな勇さんの背中を見ていた。
血が止め処なく溢れている。このまま放置していたら勇さんは出血多量で死んでしまう。
死ぬ?
どくんどくんどくん。
鼓動がどんどん速くなる。
胸が痛い。
苦しくて今にも張り裂けそうだ。
手足が痺れる。
似ているけど、過呼吸とは違う感覚だ。
僕は胸を押さえて獣の雄叫びを上げた。
それが三年ぶりの僕の声だった。




