第6章 約束-1
「遅かったな。待ちくたびれたぞ」
竹で作った縁台に寝転がっていた勇さんが大きなあくびをしながら半身を起こす。
何だか緊張感に欠けるなぁ。
『僕としては月が昇った頃を見計らって来たつもりなんですけど。夜になったら来いって言われただけで、何時に来いって言われなかったし』
「そういえば、そうだったな」
僕の口パクをちゃんと読み取って、返事を返してくれた。やはり勇さんも麗鈴同様読唇術を心得ているみたいだ。
僕は紫と千里眼さんと共に一文字山の麓にある竹林にやってきた。
まさかこんな形で紫といっしょに一文字山にやってくるとは思わなかった。山頂じゃないから今にも手が届きそうな満天の星空とまではいかないけど、澄んだ闇に眩い光の星座が映し出されていた。
《渾沌》の再封印じゃなければ、最高の天体観測ショーだったのに。
『次来る時は最高の星空を紫に見せるから』
僕は無意識に紫にも口パクで話かけていた。
『紫?』
どこか顔色が悪かった。そういえば、千里眼さんも何だか大人しい。
「結界のせいだろう?」
『結界?』
「真悟が来てからすぐに用心のためにここいら周辺に結界を張ったからな」
そういえば、竹林に足を踏み入れた瞬間、清浄な空気の中にいるような気がした。まるで空気清浄器で部屋の空気を一気にキレイにした感じだ。
『紫、大丈夫かい?』
「はい、大丈夫です」
「儂も平気じゃ」
紫の言葉で僕は身を案じていることを察した千里眼さんも威厳を見せた。
「よし、じゃあ始めるとするか」
『え? もう?』
気持ちの整理はしてきたつもりだったけど、いざとなると怖気づいてしまう。
「当たり前だ。日本には善は急げということわざもあるだろう? それに邪魔が入る前にさっさと終わらせたいからな」
「邪魔とは私のことですか?」
いきなり麗鈴が勇さんの背後に現れた。
麗鈴は夕べ僕の部屋を出て行ったきり姿を消していた。仲直りして勇さんの手伝いでもしているのかと思っていたけど、どうやらそれは僕の願望にすぎなかったらしい。って、ちょっと待った。今、麗鈴はいきなり出現した。まるで瞬間移動してきたみたいだった。
「麗鈴、空間転移の術が使えるようになったことをオレに見せつけたい気持ちはわかるが、霊力の無駄使いはするな」
「歩くのが面倒だっただけです」
麗鈴はぷいっと顔を背けた。
『空間転移?』
「その名の通りだ。瞬間移動と言った方がわかりやすいか?」
『すごい。どれくらいの距離を移動できるんですか?』
「個々の能力にもよるが、オレは一回の瞬間移動で日本まで来たな」
『飛行機か船で来日したんじゃないんですか?』
「そんな金のかかることするかよ。あー、でも、東京からこの島に来る時はちゃんと公共の交通機関を使ってやってきたぞ。たまには旅気分ってのも味わいたかったからな」
悪びれた様子も見せず、大胆発言する勇さん。
まさか麗鈴も?
僕は麗鈴に視線を向けた。
「わ、私だって一回で日本には来た」
いや、回数の問題じゃないんだけど。
どちらにせよ、二人とも不法入国者ってわけだ。
「こんなこともできるぞ」
さりげなく話題を切り替えた勇さんは懐から笹の葉を一枚取り出し、唇に押し当てると投げ放った。そして、術を繰り出す忍者みたいに左手の人差し指と中指を立てた。
次の瞬間。
竹林に旋風が巻き起こり、笹の葉が舞い、幾重にも重なって勇さんの失われた右腕を形作った。
「これはオレのオリジナルだ。両手が使えないと何かと不便だからな」
勇さんはしたり顔で手を閉じたり開いたりして右腕の感覚を確認する。
すごすぎて言葉も出てこない。
僕はぽかーんとマヌケな顔をしていたんだと思う。
麗鈴が鼻で笑っていた。
「さて、準備もできたことだし、取り掛かるとするか。っと、その前に。悪いがやっぱりお前らは外で待っててくれ」
お前らというのは、紫と千里眼さん。外というのは、結界の外。
つまり、紫と千里眼さんに結界の外に出てほしいと、勇さんは言っているのだ。
「なぜですか?」
紫は不服をあらわにする。
「お前らは妖怪だ。《渾沌》の影響を一番受けやすい。結界の外にいる方がいい。それでなくても、この結界は妖怪には辛いはずだ」
「いやです。私は真悟様のそばを離れません」
「低級妖怪がいると邪魔だと言っているのがわからないのか? さっさと出て行け!」
頑なに拒否する紫を、麗鈴が力づくで追い出そうとする。
そんな麗鈴を勇さんは笹の葉で作った右腕で制した。
「どうなっても知らんぞ」
「死は覚悟の上です」
勇さんが真摯の眼差しを紫に向けると、紫は凛とした声で見返した。
僕は紫の手を握った。
『紫、死ぬことは考えちゃダメだ』
「そうでしたね。申し訳ございません」
紫は僕の手を強く握り返してくれた。
「妖怪とじゃれ合って何が楽しいのか」
麗鈴は面白くなさそうな表情で毒づいた。
「麗鈴、妬いているのか? 何ならオレが手を握ってやってやろうか?」
「からかわないでください!」
麗鈴は頬を朱色に染めて、差し出された勇さんの左手を払いのけた。
何だかずいぶんと屈折してるなぁ。
そんなことを思っていると、麗鈴と目が合った。
「お前、今私のことをバカにしただろう?」
『してないよ』
「いや、してた!」
『してないって』
「いや、私のことを子供だと嘲笑したはずだ!」
『だから、してないって!』
麗鈴がムキになるから僕もついついムキになって否定してしまう。
これじゃ堂々巡りで話が先に進まない。
「年相応の会話をしてくれるのは兄として喜ばしいことだが、今はそこまでにしといてくれ。始めるぞ」
勇さんが仲裁に入った。
僕は顔を強張らせてうなずいた。
「そんなに緊張するな。すぐ終わるから」
勇さんは歯医者を怖がる子供をなだめるみたいに、優しい口調で僕の頭を撫でてくれた。
「勇兄さん、勝手に話を進めないでください。再封印は私が行うと」
「もう縛られるな」
勇さんのいつもと違う低い声に麗鈴はビクつくと、口をへの字に曲げて押し黙る。何かを言い返したいけど、言葉が見つからないといった感じだ。
「真悟、あの中に入れ」
勇さんが指差した先を見て、僕は驚きを隠せなかった。
『あの中に入るんですか?』
「そうだ」
勇さんがしたり顔で答える。
何やら術式が書かれた八角形図の中央には青竹で作った格子があった。つまり、檻だ。大人二人が入れるサイズの。
『僕、あの中に入るんですか?』
再確認する僕に勇さんは、さっさと入れ、と目で促す。
この折の中に封印を解いた《渾沌》といっしょに閉じ込められるなんてことはないと思いたくない。
「心配するな。オレもいっしょに入るから」
そう言って、勇さんは僕の後に続いた。
すると、檻の出入り口がいきなり消失した。もう逃げられない。かごの中の鳥、じゃなくて、檻の中の僕。
にしても、男二人で檻の中に入っている姿はかなり滑稽なんだろうな。紫が不安そうな顔をしながらも何だか笑いを必死に堪えているように見えた。千里眼さんが場の空気もおかまいなしに哄笑しているから余計そう見えるのかもしてないけど。
肝心なところで緊張感に欠けるなぁ。
「リラックスできていいだろう?」
『そういう問題ですか?』
「硬いこと言うなよ。真面目な奴だな。そんなだと女にモテないぞ」
『いや、今はそんな話をしている場合じゃないでしょう』
「おっと、そうだったな。始めるとするか」
勇さんは咳払いすると、胸の前で両手を合わせると目を閉じた。そして、再び目を開けた。
「真悟、右手を差し出せ」
僕は勇さんに言われたとおりにした。
僕の右手と勇さんの右手が重なり合った。本当の手の感触と何も変わらない。勇さんの温もりを感じる。
「心を落ち着けて、目を閉じろ」
僕はゆっくりと目を閉じた。もう何も見えない。
静寂がこの空間を支配する中で、聞こえてくるのは再封印の術式の呪文を唱える勇さんの声だけ。
「解」
凛とした声が響いた。
闇のみだった視界に真っ白な光が差してきた。




