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第5章 最後の夜-4

『夕食の残り物だけど』

 そう言って皿に盛ったとんかつを差し出すと、麗鈴は一瞥しただけで手をつけなかった。

 だけど。

『再封印って体力も必要なんだろう? 腹が減っては軍はできぬ、っていうことわざが日本にはあるんだ。食べておいた方がいいと思うよ』

「確かにお前の言うことは一理あるな」

 麗鈴は渋々といった感じでとんかつを頬張り始めた。

 こういうのを敵に塩を送るっていうのかな。

「情けないな」

 残っていたとんかつをすべて平らげてから、麗鈴は自嘲した。

『困っている時はお互い様だよ』

「お前、変な奴だな。私はお前を殺そうとしたのだぞ」

『そうだけど……、実際は僕も紫も生きているわけだし。それに本当は殺す気なんてなかったんじゃない? 紫に致命傷となる傷はなかったって母さんが言ってたし、《渾沌》の再封印だって明日の方が成功率は高いみたいだし』

「バカか、お前は」

 激昂するかと思ったら、あからさまに大きなため息をつかれた。

 呆れられてしまったようだ。

「いや、バカなのは私だ。あの日、本来ならば《渾沌》を封印している宿主を確認するだけだった。しかし、《渾沌》の力が目覚め始めているのを見て、つい衝動に駆られて愚かな行為にでてしまった」

 あの時、僕は意識を失い、麗鈴にケガを負わせてしまった。

『あの時はごめん』

「封印が弱まってきている。そもそも白家ではない人間に《渾沌》を封印し続けるのは不可能なのだ。十五夜など待ってはいられないと思った」

 僕の謝罪は完全に無視された。もしかして自尊心を傷つけてしまったのかな? となると、もうこのことに関しては触れないほうがいいな。

『もし封印が自然に解けたらどうなるの?』

「《渾沌》はお前の肉体と同化し、取り込まれたお前の存在は無と化す。つまり、それは死を意味しているということだ」

『…………』

 僕は絶句した。

「安心しろ。お前は死なない」

『私が殺す、とか言わない?』

「殺してほしいのか?」

 僕はぶんぶんと首を振った。

「言っただろう? 再封印を確実に成功させるためにお前に手は出さない。そして、再封印は私が必ず成し遂げてみせる」

 もしかして僕を勇気付けてくれている?

「ありがとう。優しいんだね」

「やっぱりバカはお前だ!」

 狼狽して視線を彷徨わせる麗鈴を見ていると、自然と笑みがこぼれた。

「何が可笑しい?」

『麗鈴とこうして話をすることができて嬉しいんだ』

「私の名を気安く呼ぶな」

『麗鈴ちゃん?』

「気持ち悪い。麗鈴でいい」

 ぷいっと顔を背ける。

 女の子の気持ちは理解できない。

 麗鈴は窓の桟に頬杖をついて月を見上げる。物思いにふけった横顔は十四歳とは思えない落ち着きを感じさせる。

『麗鈴は明日が来なければいいって思ったことはある?』

「ない」

 背を向けたまま、麗鈴は即答した。

『僕はあるよ。いじめに遭っていた頃は毎日思ってた。明日なんて来なければ学校に行かなくてすむ。いじめられることもない。ってね』

「くだらないな」

 一蹴されてしまった。

 僕は鼻の頭をかいて苦笑した。

『実を言うと、今思ってるんだ。明日なんて来なければいい、って』

 怖くてたまらない。

 封印なんて解いてくれなくてもいい。

 僕は今のままがいいんだ。

 母さんがいて、紫がいて、萬島のみんなと楽しく暮らしていく。

 そんな小さな幸せが僕の願いなんだ。

「ウソだ」

『?』

「私も明日が来なければいいと思ったことは何度もある。おばあさまの修行はとても厳しかった。毎日が地獄のようだった。なぜ私がこのような目に遭わなければならないのか、と勇兄さんを恨んだこともあった」

 麗鈴が肩越しに振り返り、やるせなく笑った。

 みんなそれぞれに忘れたい過去を背負っているんだな。

「今は明日が待ち遠しくて仕方がないがな」

 不敵な笑みを浮かべる麗鈴。

 ここは頼もしいと言うべきなのかな。女の子にそこまで言われて、僕が怖気づくわけにはいかないな。

『勇さんと麗鈴がいれば何も心配することはなさそうだね。僕は逃げたりしないから、麗鈴も明日に備えて眠るといいよ』

「勇兄さんは余計だ」

『あ、ごめん。頼りにしてるよ、麗鈴』

「お前に頼りにされる筋合いはない」

 天邪鬼だなぁ。どうやらおだてが効くタイプではないみたいだ。千里眼さんみたいな性格だったら楽だったのにな。

「だが、もうここにいる意味はないようだし、寝床に戻るか」

 麗鈴は窓から出て行こうとする。この子はどうしてわざわざ窓から出入りするかな?

『そういえば、《渾沌》って以前にも再封印に失敗したことあるのかい?』

「いや、今回が初めてだ」

『おかしいな。千里眼さんの話だと二百年前にも《渾沌》は日本に来たことがあるみたいんだけど』

「そんな記録は残っていない。あの年寄り妖怪の勘違いではないのか?」

 ないと言い切れないところが辛い。

「誰が年寄り妖怪じゃ!」

「せ、千里眼様、声が大きいです。真悟様に聞こえてしまいます」

 ドアの向こうで千里眼さんと紫の声が聞こえた。

 僕はドアを開けた。

 階段を下りようとしている紫の後ろ姿が見えた。硬直した表情で肩越しにゆっくりと振り返り、僕と目が合うと慌ててその場で土下座した。

 千里眼さんは薄暗いロウカの天井で立ち往生していた。鳥目だから昼間のように俊敏に立ち去ることができなかったんだろう。

「申し訳ございません! 真悟様がとんかつを持って上がる姿をお見かけしたので、お腹が空いているのだと思いましておにぎりとお茶を持ってまいりましたのですが、大陸の娘の声がしたので、どうしようかと悩んでおりましたら千里眼様が参られて。その……話を盗み聞きするつもりなどなかったのです」

 紫はしどろもどろに謝罪すると、おにぎり二個とお茶の入ったグラスがのったトレイを差し出してきた。

 僕は怒ってないから、顔を上げてよ。千里眼さんも。

 紫を立たせると、千里眼さんが紫の右肩に止まった。

 ちょうどいいや。千里眼さんに二百年前に《渾沌》が日本にやってきたという事実を説明してもらおう。

『麗鈴、紫がおにぎり作って持ってきてくれたんだけど、食べるかい?』

 振り向いた時には、もう麗鈴の姿はなかった。その代わりに開け放たれた窓から光を求めてカブトムシが一匹乱入してきた。都会ではお金を出さないと手に入らないっていうのに、ここでは窓を開けておくだけで勝手に入ってきてくれるんだから、自然ってやっぱりすごいな。

 僕は網戸を閉めた。

 麗鈴、寝床に戻るって言っていたけど、どこに戻ったのかな? ちゃんと診療所のベッドに戻っていればいいんだけど。

 ごめん、麗鈴戻っちゃったみたいだ。でも、せっかくだから僕が食べるよ。

 僕は紫からトレイを受け取ると学習机の上に置いて、おにぎりを頬張る。

 そんな僕を紫は鬼の形相で見つめていた。

 思わずご飯粒が喉に詰まりそうになって、慌てて咳き込んだ。

 お茶を一気に飲み干す。

「大丈夫ですか、真悟様?」

 大丈夫。ただ紫がすごい顔で僕のことを睨んでたからビックリしただけ。

 紫が頬に両手を当てて赤くなったり青くなったりを繰り返した。

「私が真悟様を? 申し訳ございません! 睨んでいたわけではないのです。おにぎりが真悟様の口に合うかどうかが心配で」

 美味しいよ。具は入っていないけど、塩加減がちょうといい。シンプル・イズ・ザ・ベストだね。

「しんぷる……いず?」

 紫は首を傾げた。

 普通が一番、って意味だよ。紫も食べてごらんよ。

 もう一個のおにぎりを紫に渡すと、小さな口を開けてかじった。

「美味しいです」

 だろ?

「ところで、あの娘は一体何をしにやってきたんじゃ?」

 窓の外を見やりながら千里眼さんが訊いてきた。

 僕が逃げ出さないように見張りに来たって言ってたけど、本当は違うんじゃないかな? 僕の不安を取り除きに来てくれたような気がする。

「そのような気遣いのできる娘にはとても見えませんでしたが」

 紫にしては珍しくトゲのある言葉を吐いた。

 あ、そういえば千里眼さんに確認したいことがあったんだった。

 紫、通訳を頼むよ。

「もう先ほどからやっています」

 紫は唇を尖らせた。何だか不機嫌だ。さっきまでおにぎりが美味しいと幸せそうな顔をしていたのに。気になるけど、心に引っかかる疑問を解決する方を優先させよう。

 千里眼さんは以前に《渾沌》は二百年前にも日本に来たことがあるって言ってましたよね?

「確かに言った。じゃが、儂は今回も二百年前も実際に四凶の一人の姿を見たわけではない。あくまで妖怪たちのウワサだ。それがどうした?」

 麗鈴に訊いたら、そんな記録は残っていないって。

「二百年前の話じゃ。記録が抜け落ちていたのかもしれんぞ。人間にとって二百年という歳月は長いからのぅ。そこまで神経質になることでもなかろう?」

 そうかもしれないけど、火のないところに煙は立たぬ、っていうし。そんな一大事件の記録を紛失したとも思えないし。

「男がいつまでもウジウジ言うでない!」

 千里眼さんが嘴で僕の頭を突っついてくる。

 千里眼さんの優しさが痛いくらい伝わってきた。

 僕はみんなの優しさに支えられて生きていることを改めて実感した。

 僕は頭を下げた。

 ありがとうございます。そして、ごめんなさい。結果的に僕は千里眼さんの復讐の邪魔をしてしまいました。

「お主を見ていると人間への復讐などどうでもようなったわい」

 小声で呟くと、千里眼さんはベッドボードに止まって羽根を休めた。

「ほれ、とっとと寝んか!」

 まさか千里眼さん、そこで寝るつもりですか?

「当然じゃ。儂はお主の用心棒と言ったじゃろう」

「では、私は通訳として寝所を共にさせていただきます」

 と、紫はどこからか布団一式を持ってきて、僕のベッドの横に敷いた。

 あれ、機嫌が直ってる?

 ホント、女の気持ちは理解できない。

 けど、こうしてみんなで寝ると何だか修学旅行――いじめに遭っていたので僕は不参加だったけど――みたいで楽しい。

 僕は嬉しくて泣きそうになった。人間って嬉しくても泣けるってことを思い出した。けど、泣き顔を見られるのは恥ずかしくてすぐにベッドに潜りこんだ。

「おやすみなさいませ、真悟様」

「おやすみ」

 僕は目を閉じた。

 眠れない夜を過ごすことになると覚悟していたけど、僕はこの日の夜いつになく熟睡してしまっていた。




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