第5章 最後の夜-2
数時間後。
竹林に勇さんを残して、僕は家に戻ってきた。
何だかいい匂いが玄関まで漂ってきていた。匂いに釣られて、ダイニングルームへと歩を進める。
すると、エプロン姿の紫と母さんが出迎えてくれた。しかも、何やら二人して料理をしている。これはなかなか見ることのできない光景だ。写真に撮って残しておきたいくらいだ。
「一人なの? 勇は?」
『いろいろと準備があるから帰って来れないって』
「そうなの? せっかくたくさん揚げたのに」
僕がホワイトボードに書いて答えると、母さんは残念そうにテーブルに目を落とした。
大皿にてんこ盛りのとんかつがあった。その横にはこれまた大皿に千切りキャベツがてんこ盛りだった。
とんかつ。
勝つ。
ずいぶんとベタな、というか王道な料理だな。
まるで受験生にでもなった気分だ。いや、受験生だった方がどんなに気が楽だったかもしれない。
口には出さないけど、母さんもそう思っているに違いない。
胸が締めつけられた。
だけど、僕は勇さんを信じると決めたんだ。
泣き言は言わない。
僕はテーブルに着いた。
『これって母さんと紫で作ったの? コハルさんじゃなくて?』
「失礼ね。とんかつくらい母さんにだって作れるわよ」
「私は杏樹様のお手伝いをほんの少しさせていただいただけです」
紫ははにかみながら、炊き立てのご飯を茶碗に注いでくれた。僕はそれを受け取る。
何だか新婚さんみたいだ。
「今から結婚生活の予行演習?」
母さんがニヤニヤした顔で冷やかしてくる。
紫は沸騰したやかんのように頭から蒸気を立ち上らせた。
「わ、私、千里眼様を探してきます」
そう言って、紫はそそくさとダイニングルームから出て行った。
『母さん、からかわないでよ。紫が困惑してただろう』
「あら、母さんは本気よ。紫ちゃんだったらいいお嫁さんになってくれると思うんだけど」
『母さん!』
「はいはい」
母さんは肩をすくめると、きびすを返してキッチンに向き直った。
「真悟、明日の晩ご飯は何が食べたい?」
僕は悩むことなくホワイトボードに書き綴った。
『鯛づくし』
鯛。
めでたい。
ここは王道で攻めよう。
って、僕に背を向けていたらホワイトボード読めないじゃないか。
僕は席を立つと、ホワイトボードを母さんの眼前に持っていった。
母さんは歯を食いしばって泣くのを必死で堪えていた。
「鯛? なら、明日板垣さんに大きな鯛を大量に釣ってこいってお願いしとかなきゃね」
『そうだね。でも、板垣のおじさんにじゃなくて本職に頼んだ方がいいと思うけど』
「それもそうね。坊主じゃシャレにもならないものね」
『だろう?』
僕と母さんは顔を見合わせて小さく笑った。
『ありがとう、母さん』
「礼を言う必要はないわよ。親として当たり前のことをしているだけ。って、三年前まではそれができてなかったんだけどね」
頃合いを見計らったように、紫が千里眼さんと共にダイニングルームに戻ってきた。
晩餐会が始まった。
とんかつを頬張ると、ほんの少ししょっぱい味がした。




