第4章 再会-2
「聞いてくださいよ、杏樹先生。母さんったらひどいんですよ。おじいちゃんが危篤だってウソついて私を東京に戻らせて、いきなりお見合いさせたんですよ! これってだまし討ちですよね? 私、めっちゃ腹立ったからその場で速攻断ってやりました。だから、その日のうちに萬島にとんぼ返りしてやろうと思ったのに、おじいちゃんが急性虫垂炎で緊急手術。七十歳すぎて虫垂炎ってありえなくないですか? ワシは生まれてこの方医者の世話になったことは一度もない、って自慢してたくせに。で、今朝おじいちゃんが退院したんで、新幹線に飛び乗って帰ってきました。母さんには私に結婚の意志がないことをちゃんと説明して納得させてきましたのでご安心ください。男なんてみんな石ころよ。あ、真悟くんは別よ。だって、杏樹先生の遺伝子を受け継いでるんですもんね。はい、これお土産」
安楽イスに腰掛けた母さんは茅結さんの話を聞きながらおざなりに相槌を打っていた。
茅結さんはしゃべりだしたら止まらない。だから、しゃべるだけしゃべらせてさっさと帰らせようという魂胆なのだろう。
母さんは茅結さんが診察室兼処置室に入ってきた瞬間、チャイナ少女をくくりつけているベッドをカーテンで囲い、紫と千里眼さんといっしょに隠匿した。カーテンの中ではチャイナ少女が声をあげないよう紫が必死で口を封じているはずだ。
隠す必要はなかったかもしれないけど、茅結さんに知られると事が大げさになってしまう。母さんはそれを避けたかったのだろう。
僕は茅結さんに押しつけられたお土産を呆然と見ていた。
なぜ、京都銘菓生八ツ橋?
場違いな土産にも驚かされたが、一番驚かされたのは茅結さんの髪型だった。ベリーショートになっていた。しかも、赤茶色に染めている。ロングヘアだったタカラジェンヌ娘役の頃の面影はどこにもない。服装も普段着ているのを見たことがないパンツスーツ。まるで男役に転向してみたいだ。
「あ、それ新幹線の中で買ったの。東京に住んでた真悟くんが東京土産もらっても嬉しくないでしょう? 生八ツ橋、食べたことある? 黒ゴマ、私の一押し。それと、この格好はイメチェンよ、イメチェン。けっこう似合ってるでしょう?」
心が読めるわけでもないのに、茅結さんは僕の疑問に即答した。
「似合ってるよね? ね? ね?」
茅結さんがどういう心境の変化でイメチェンしたのかは僕にはわからかったけど、本人も似合っているかどうか自信がなかったようで何度も念押ししてくる。
小顔で細身だから似合ってなくはない。個人的には前の方が好きだったけど、ここは茅結さんの自尊心を傷つけないためにも素直にうなずいておこう。
「だよね。やっぱり真悟くんは女を見る目があるわ。さすが杏樹先生の息子だよね。はい、これ。自分用に買ってきたんだけど、もう一個あげちゃう。あ、気にしないで。まだたくさんあるから」
そう言って、茅結さんはスーツケースからまた生八ツ橋を取り出して僕に押しつけた。いったい何個生八ツ橋を買ったんだろうか?
予想外の茅結さん帰還で、さっきまでのピリピリムードはいつの間にか霧散していた。良かったような悪かったような、僕としては複雑な心境だ。
「杏樹先生、さっきから気になっていたんですけど。どうして今日はドクターストップ、って言ってくれないんですか?」
千結さんが眉根を寄せた。
「いつもそんなこと言ってたかしら?」
母さんは平常心を保っていたけど、僕は動揺をあらわにしていた。茅結さんのマシンガントークが始まると、母さんは一分もしないうちに茅結さんにストップをかけていた。しゃべりすぎは疲弊を招くから、という理由で。強引すぎる気もするけど、放っておいたら茅結さんは延々としゃべり続ける。聞かされる方はたまったものではない。患者さんにも迷惑だ。
「もしかして放置プレイですか? 何だかよそよそしくて大学病院にいた頃の杏樹先生に戻ったみたい。あの頃の杏樹先生もクールでステキだったなぁ。あ、私としては母性愛に満ちた観音菩薩様みたいな今の杏樹先生が好きなんですけど」
なぜか頬を朱色に染める茅結さん。
と思ったら、急に双眸を潤ませた。
表情がコロコロと変わる。
女性の心理は理解できない。
「私、矢倉家の家族の一員になれたと信じていたのに、まさか隠し事されるとは思ってもみませんでした!」
茅結さんはまるで悲劇のヒロインのようなセリフ回しで蛍光灯という脚光を浴びながらくずおれた。
何のことを言っているのかと思って、茅結さんの視線の先をたどってみる。
カーテンに囲われたベッド。
あの中には、紫とチャイナ少女がいる。
女の勘は侮れない。
「私が矢倉家の秘密を暴いてみせます!」
茅結さんは支離滅裂なことを言って、鋭い眼光を放ったかと思ったら、いきなりクラウチングスタートでベッドに向かってダッシュした。
速い。
茅結さんを阻止するため、母さんが立ち上がる。
しかし、母さんというディフェンスを素早い身のこなしでかわして茅結さんはゴールテープカットを決めた。
つまりカーテンを開けた、ということだ。
紫、隠れて!
って、心の中で叫んでみたところで手遅れだ。
紫が隣のベッドからシーツを取って、チャイナ少女――いつの間にか猿ぐつわをかまされている――に被せようとしているところだった。
いきなりカーテンが開いて紫は引きつった笑顔で誤魔化しながら、チャイナ少女を隠そうと右往左往していた。
千里眼さんはベッドのヘッドパイプの上で静止していた。
「何なんですか、これ?」
茅結さんが驚愕の声を上げた。
見られた以上、もう隠し立てはできない。
何て説明したらいいんだろうか? やはりここは正直にすべてを話すべきなのだろうか? いや、話したところで信じてもらえるかどうか。
「きゃあ、ステキ!」
茅結さんは黄色い声を出したかと思うと、肩越しに恍惚とした顔をこちらに向けてきた。
「杏樹先生、セーラー服を着たあの美少女はいったい誰なんですか? まるで昭和時代の青春映画のスクリーンから抜け出てきたみたい」
僕は目が点になっていた。
どうやら今の茅結さんの視界には紫しか映っていないようだ。ベッドにくくりつけられたチャイナ少女がいるっていうのに、そのことに関しては一切触れてこない。
自分に必要ないものは視界に入れない。
何て自分の気持ちに従順な性格の持ち主なんだ。おかげで助かったけど。
「あ、もしかしてもしかしないでも彼女が東京から療養にやってきたっていう紫ちゃんですか? 板垣のエロ親父が言うことだから間に受けてなかったけど、ホントに可憐な乙女だわ。まあ杏樹先生よりは劣るけど。私、ここの看護師の角南茅結。よろしくね」
茅結さんは紫の顔をしげしげと見つめると、両手をぎゅっと握りしめてぶんぶん振った。萬島に戻ってきたばかりだというのに、すでに紫の情報が耳に入っているとは。千結さんがすごいのか、板垣のおじさんがすごいのか。ちなみに、茅結さんと板垣のおじさんはライバル関係にある。もちろん、母さんを巡って、の。
「って、よく見たら、あなた無銭乗船した子じゃないの? 雰囲気が違うから気付かなかったわよ。あの時は髪ももっと長くて着物着てたから」
「その節は大変お世話になりました」
紫は深々と頭を垂れた。
二人は顔見知り? っていうか、無銭乗船って?
「私が船に乗ってこの島に来た時に」
「私が東京に戻るためにフェリーに乗ろうとしたらこの美少女が無銭乗船してるって料金徴収のおっちゃんにどやされてたのよ。聞けばお金を持ってないって言うじゃない? あまりに美人だったから、私がフェリー代肩代わりしてあげたのよ」
紫の話を茅結さんが横取りした形となった。
紫が本土からどうやってこの萬島に来たかが気になっていたんだ。泳いできたようにも思えなかったし、空を飛んだり海の上を歩いてきたりしたとは思えなかったし。でも、これで謎が解明された。
人間と同じようにフェリーを利用して来たとは思いもしなかったけど。
「杏樹先生の縁者だって言ってくれれば案内してあげたのに。そういえば、涼しげな目元が杏樹先生によく似てるわよね」
思い込みって怖いな。
僕と母さんは顔を見合わせて苦笑した。
「で、彼女は何の病気なんですか?」
「神経性食欲不振症よ」
「あぁ、なるほど」
さすが母さん。ちゃんと病名まで設定してあった。一般的には、拒食症と言われている。
茅結さんは紫の容姿を見て納得していた。
「なら、萬島に来て正解ですね。この島は美味しい物がたくさんあるからすぐに完治しちゃいますね。私なんて萬島に来てから体重が」
「ストップ!」
ここで母さんのドクターストップが入った。
「紫ちゃんは人見知りが激しいの。しばらくはそっとしておいてあげてくれるかしら? それと、あなたも東京から戻ってきたばかりで疲れたでしょう? 早く家に戻って休みなさい」
母さんは茅結さんの両肩を持って百八十度方向転換させた。
「杏樹先生が私の心配してくれるなんて感激です! でも、安心してください。新幹線の中でぐっすりと仮眠をとって体力は温存してきましたから午後の診察から働けます」
「島のみんなは茅結がいないの知っているから遠慮して来こないのよ。だから、午後からも私一人で大丈夫よ。真悟だっているし」
母さんは茅結さんの背中を押して戸口へと追いやる。
「それなら心配無用です。ここに来る道中みんなに私が帰ってきたことはちゃんと報告しておきましたから。それにもう患者さん待ってますよ。って、私が案内したんですけどね。何とその患者さんは外国人なんですよ。ついに矢島診療所も国際化してきましたね。島民でもないのにフェリーに乗ってわざわざこの診療所に来るなんて。もしかして……」
茅結さんは声を潜めて意味深な間をあけた。
一同が思わず息を呑む。
「あの雑誌のおかげですね。凄腕美人女医、って紹介されましたし」
ひまわりのような明るい笑顔をパッと咲かせる茅結さん。
肩透かしを食らった気分だった。
そういえば、二週間ほど前にどこかの雑誌社が取材に来てたなぁ。その取材が掲載されている雑誌も後日郵送されてきた。東京の某大学病院で働いていた女医が離島での開業医を決意するまで、とか、それっぽい見出しがついた記事だった。茅結さんが言うには、三十代の働く女性をターゲットにした人気の情報誌らしい。
「でも、私言ったんですよ。杏樹先生が凄腕女医でも魔法使いじゃないんだから右腕を再生することはできないって。興味本位で来ただけならとっとと帰れ、って」
「茅結、今何て言った?」
「とっとと帰れ」
「違う。その前」
「凄腕美人女医、ですか?」
要領を得ない茅結さんは首を傾げた。
母さんも僕も苛立ちを覚えずにはいられなかった。
「もういいから。今待合室にいるっていう患者の容姿を詳しく教えなさい」
「実は同じフェリーだったんです。私、萬島に一刻も早く帰りたくてデッキでうずうずしていたら、その人が話しかけてきたんですよ。杏樹先生が載っている女性誌を手に持って、この女性は萬島にいるのか、って。男が女性誌を愛読してるってキモって思って無視してたんです。でも、しつこく話しかけてきて。大きめなチャイナ服で隠してますけど、よく見ると体躯のいいイケメンだったんですよ、これが。あ、勘違いしないでください。別に私は男になんか興味はありませんからね。私は杏樹先生一筋ですから」
何だか要点がずれてきているような気がする。
「もう説明しなくていいわ、茅結」
母さんの視線が茅結さんの背後に動いた。つられて僕も視線を動かした。
心臓が口から飛び出しそう、ってこういう時に使うんだろう。
戸口に大きめなチャイナ服を着た体躯のいい青年が立っていた。