03話「記入しろ」
恐怖で三原を黙らせ、青いファイルを隣の少女に渡しながら、神子はこちらを向いた。
「浩太」
嫌な予感がする。このままの流れだと次に何が起こるのか、安易に想像できてしまう。
心の中で、『帰りたい』『ここを出たい』と叫びながら、引きつった顔で返事をした。
「何ですか?」
「座れ」
入口近くの椅子を指差して、神子はスカートのポケットから一枚の紙を取り出す。折ってあったそれを丁寧に広げて、机の上に置いた。
「入部届けだ。今すぐ記入しろ」
うわーやっぱりそうなるのか。
座れと言われても動けないまま、浩太は壊れたロボットのようにギチギチと首を動かして、遊戯部部長を見た。
「わおー、神子ちゃんってば強引ー」と、小桃の楽しそうな声が耳に入る。楽しくない。言われている本人は何も楽しくない。
椅子にも座らず、入部届けに記入もしようとしない浩太を見て、神子は首を傾げた。
「どうした?早くしろ」
「いや、あの…」
どうしても入らないといけないんですか?と、尋ねたい。聞いたとしても、おそらく答えはイエスだろう。
「分かっていると思うが」
中々動かない浩太にしびれを切らしたのか、神子は真っ直ぐな瞳で告げた。
「お前のファイルもあるんだぞ」
瞬間、浩太は椅子に座って、入部届けにペンを走らせる。
どうにでもなれ、そう思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おい、審判」
『今日はもう帰ります』と言って、入部届けを書いた後、ふらふらしながら少年が部室から出て行ったの確認して神子は口を開いた。
「どうだ?浩太は誰に惚れた?私だろう。私に決まっている」
「いやいやちょっと待てよ」
三原は呆れた顔をしながら、近くの椅子に腰を下ろす。
「早すぎるだろ。今までの会話の中で、沢村が誰かに惚れる要素なんて一つでもあったか?」
好きだと告白してみたし、手だって握った。少しは自分にドキッとしたはずだ。
冷静に話す三原に、神子はムッとした。
「うるさい、喋るな犬」
「お前がオレに、聞いてきたんだろうがぁぁぁぁ!!!」
ぎゃんぎゃん吠える犬は無視することにして、小さな少女に話しかける。
「小桃先輩、先輩はどう思います?」
「なにがー?」
手元のゲームに集中する小桃は、「おりゃっ」とか「うがーっ」とか言いながら、ボタンを必死に連打していた。画面の中で、チャイナ服を着た女と着物姿の老人が戦っている。
「あの、小桃先輩?」
集中している時に邪魔するべきではないと考えたが、どうしても年上の彼女の意見が聞きたかった。待とうか、そう思ってから1分後。決着がついたようで、老人が勝利のポーズを決めているのが見えた。
「ふっふっふ、若者よ。急いではいけないよ」
芝居がかった笑い方をして、桃子はゲーム機をテーブルに置く。
「戦いも、恋も、焦った者が負けるんだよー」
「焦った者が負ける…」
なんとなく、同じ言葉を繰り返した。うんそうそう、と少女は頷いて、愛らしい茶色の瞳に神子を映す。
「神子ちゃん、ギャルゲーも乙女ゲーもやったんでしょ?」
「はい、やりました」
「主人公と攻略キャラが出会って、一日目にお互い好きになる。…そんなことってゲームの中でもないよね?」
「無いですね」
別にお互い好きになる必要はない。浩太が誰かに惚れればゲーム終了だ。
「まぁ、浩太くんが誰かを好きになれば終わりだけど、やっぱり一日目では無理だよね」
「そうですか」
現実の時間で1時間でも、ゲームの中では何日も経過していたりする。やはり、それぐらい日にちを重ねなければだめなのか。どうやら考えていたよりも、このゲームは難しそうだ。
「今日は自己紹介だけだったけど、次からはあたしも本気でやるねー」
にやりと桃子が笑って、そういえばこの人はライバルだったと思いだす。
「負けませんから」
神子もにやりと笑って小さな先輩を見つめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、登校した浩太を待っていたのは、友人たちの理不尽な暴力だった。
「さーわーむーらぁぁ!!!」
と、叫びながらチョークを投げてくるクラスメイトA。
「このやろぉぉ!!」と、叫びながら机を投げてくるクラスメイトB。
「なんでお前なんだぁぁ!!」
と、叫びながら花瓶を投げてくるクラスメイトC。
その他にも、携帯電話、弁当箱、カッタ―、体操服、国語辞典など様々なものがこちらへ向かって飛んでくる。当たれば大怪我をしそうなものをギリギリで避けると、残りの危険度の低そうな物品が降ってきた。
弁当の梅干し、チョークの粉、汗臭い体操服、花瓶の水。机や国語辞典よりは危なくはないだろうが、当たるのは嫌に決まっている。しかし、ベチャッ、バシャッの音とともに、真っ白だったシャツは汚れていた。
(あぁ、母さんに怒られる…)
自身の母親の怒り狂う姿を想像して、浩太の顔が青ざめる。気持ち悪い色に染まったシャツを見て何と言うだろうか。
だが、今さらどうしようもない。制服の汚れについては諦めて、この状況を整理することにした。
「…えーと、どうした?」
「どうした?じゃねぇよ!!」
机をバンッと叩いて、クラスメイトの一人が眉間に皺を寄せる。よく見ると、浩太を囲んでいる男子たちは、怒っているような泣いているような不思議な表情をしていた。
「何でお前なんだ…」
「お…俺だって神子さんと一緒に部活してぇよ…」
「…うぐぅ、絹代さんと一緒に部活動がしたいのに」
「同じ部活で、彩先輩をずっと見つめていたい…」
「小桃先輩萌えー」
理解した。おそらく、自分への嫉妬だろう。
昨日会った彼女たちは、全員が美人もしくは可愛い部類の人間だ。密かに憧れていた少女たちの傍に、突然現れた浩太のことが気に入らない。だから物投げちゃえーってことか。
「って、何でそうなる…」
理不尽だ。部活に入部させて下さい、と一回も頼んだ覚えはない。それなのに巻き込まれた浩太のことを憐れむのではなく、「ずるい」と考え、責めるのはおかしい。
ガラッ
騒がしい教室へ、一人の少女が入ってくる。
「あら?」
困惑した表情でクラスメイトたちを見てから、その真ん中で汚れた制服のまま立っているこちらに視線をやった。
「どうしたのですか?」絹代は鈴のような愛らしい声で、疑問を口にする。
(どうしたもんかなぁ)
余計にややこしい事態になりそうな気がして、浩太は泣きたくなった。