21話「遠いな」
放課後の遊戯部部室にやってきた恐怖の『委員長』(神子たちがそうとしか呼ばないので名前は不明)。暗く重い印象を与える彼女がなぜスペシャルゲストとしてやってきたのか、勉強を再開すると理由はすぐにわかった。とんでもなく教え方が上手いのである。まず、どの教科のどこがわからないのかをはっきりさせたあと、例を交えつつ丁寧に説明してくれるのだ。時々「うふふふ……ふふふ」と背後で笑うのはやめてほしかったが、目の前のノートに集中することで気にしないよう努めた。
「あら、あたしもう帰らないと。家に帰って録画してあるドラマを見るのよ。ふふ、うふふふ」
耳元の息があたる距離でそんなことを言われ、全身に鳥肌が立った。平常心、平常心、彼女は勉強を教えてくれた女神様、と自身に言い聞かせ浩太は無理やり笑顔を作る。
「今日は本当にありがとうございました。助かりました」
「あら、そぉう? そう言ってくれると嬉しいふふふふ」
じゃあね、と手を振りながら委員長は遊戯部部室を出て行った。こちらを向いて後ろ歩きで。足音は一切しなかった。
「ふー、委員長といると肩凝るんだよな。オレも帰る。またな」
「あたしもそろそろ失礼するよー。ばいばーいみんな」
「あ、ではわたしも帰ります。神子さん、帰り道気を付けてくださいね」
体を解すように伸びをしながら三原が出ていき、それに小桃も続いた。絹代が最後に一礼をしてゆっくり部室のドアを閉める。勉強中騒がしかった空間があっという間に静かになった。
「うん、思ったよりも勉強が進んだな。さすが委員長だ」
この数時間でびっしりと文字で埋まったノートをぺらぺらと神子がめくる。それを何度か繰り返し満足したらしい彼女は勉強道具を鞄に詰め始めた。
ぐっと静かになってしまった部室で。
「なんだか――……」
なんだか寂しい。そう言いかけてはっとした。いつからそんな風に感じていたのだろうか。拒否もできず入部させられ、だから浩太はここに来ていた。それなのに。自分は嫌々ここにいるのだと思っていたのに。
「私たちも帰るか。寄りたい店があるんだ。だから車じゃなくて歩いて帰るつもりなんだが、浩太も来るか?」
なぜだか神子の笑顔から目をそらしてしまう。素直な気持ちで彼女を見ることができなかった。夕日が眩しかったせいだ、そんなふうに自分のことを誤魔化す。
「……はい、行きます」
浩太の声はいつもより弱々しく、何だか消えてしまいそうだった。
「え、寄りたい店ってここですか?」
部室に鍵をかけ神子と彩、浩太の3人でやってきたのは小さなベーカリーショップ。半笑いのリスとウサギをたして2で割ったような珍妙な動物が、『営業中』と書かれたプレートを持っている。目につくのはそれぐらいで、全体的に茶色い店は地味としかいいようがない。何かとやることが無茶苦茶な神子が来そうな場所ではなかった。
「ここのメロンパンがおいしいんだ。そろそろ焼きあがる時間で――」
「神子様」
今まで一言も喋らなかった彩が真剣な顔をして部長の名を呼んだ。様子がおかしい。遊園地で神子がいなくなったときも確かこんな顔をしていた。何か、あったらしい。
「尾行、されているようです。申し訳ありませんがメロンパンは諦めてください」
「はぁ、仕方ないな」
真実を知っても神子は落ち着いていた。メロンパンは売り切れました、そう言われて帰るような雰囲気で、くるりと浩太に背を向ける。
「じゃあここでお別れだ、浩太。巻き込むわけにもいかないしな」
「連絡は済ませました。すぐに迎えの者が来るはずです。いつもとは違う人通りの多い道を行きますので、ついて来てください」
ついさっきまで傍にいたはずの2人の姿が遠ざかる。話して笑って勉強会をして、一緒に下校もして、彼女たちと距離が近づいたと思っていた。カワカミグループのお嬢様は別世界の人間ではなく、ただの面白い先輩で。けれど。
(遊園地のときも……何があったか聞けてない)
背中に抱き着いた神子は震えていた。理由は後で聞けばいいと先延ばしにしたが、今更この話を持ち出してどうなるのだろうか。
「遠いな」
何との遠さなのか、自分でもよくわからない。
少しでも近づければ、そう思ってメロンパンを買った。そんな自分がおかしくて、バカみたいで、笑ってしまう。一口かじったメロンパンはおいしかった。本当においしかった。