20話「いや、そうではなく」
河上家地下。そこには河上家の人間と一部の使用人しか知らない秘密の部屋がある。
当然ながら窓はなく、華美な装飾が施されたランプの光は部屋の全てを照らし出そうとはしない。木製のテーブルやソファの存在がわかる程度の明るさである。家具たちの細かい部分にまで掘り込まれたバラの模様や所々に埋め込まれた宝石は舞台袖でハンカチをくわえて泣いているような状態だった。
「おい」
そんな立派な家具たちに囲まれて、2人の男が椅子に縛り付けられている。黒髪リーゼントの男とひょろりと痩せ細った青年だ。目の前のソファに腰掛ける少女をリーゼント男悪井はぎろっと睨み付けた。
「俺たちをこんなところに連れてきてどうする気だ」
「少し、聞きたいことがある」
自身の赤茶色の長い髪をいじりながら、少女――河上神子はちらりと悪井に目線を送った。遊園地では少し恐ろしいと感じてしまったが、こうして見ればただの若い男たちである。神子は自分が今この2人よりも優位に立てていることに安堵していた。
「なぜ、私を誘拐しようとした? いや――誰から頼まれた?」
問題はそこである。自分がカワカミグループトップ河上正也の娘であることは十分わかっているつもりだ。誘拐などされれば、父親は犯人が望むままお金を差し出すだろう。そう、愛されていることは理解しているのだ。そんな神子をさらって、もし目的がお金ではなかったら?
「どこの組織の人間から金をもらった? 復讐か? 脅しか?」
「ちょと待って待って待って下さいっす!!」
急に割り込んできたのは、ずっと黙っていた青年山田だった。
「何で裏に悪の組織がいるみたいな感じになってるんっすか!?」
「いやだって」
「悪井先輩が率いる自分たちこそ、悪の組織なのに!」
「は?」
しばらくバカみたいに口を開けていたと思う。こっちのことなどお構いなしに、山田は喋り続けていた。
「知らないんすか『恐怖☆ピーマン地獄』を!? 中卒のメンバーを集めた恐怖の集団っすよ!? 子どもが聞くだけで泣き叫ぶ名前にしようってことでピーマン地獄っす! どうだ怖いだろう!」
「おい」
「はっはっは、それにこんなところに悪井先輩を閉じ込めたって無駄っすよ。先輩は強いんすから。それに仲間たちがすぐにやってきてお前たちなんかめちゃくちゃに」
「おい、山田」
「はい? なんっすか悪井先輩?」
「黙ってろ」
「すみません」
リーダーのお言葉によってようやく山田は静かになった。これで話も進むだろうか。神子は後ろに控えているメイド服を着用した少女に紅茶を持ってくるように頼んだ。もちろん4人分だ。神子、悪井、山田、そしてメイドと同じように背後に控えていた柚木彩の分である。
「私は少し勘違いをしていたようだ。すまないな」
「わかればいいんだ。俺たちはワルの集まり、ほかの奴の指図は受けねぇ。お前を誘拐しようと思ったのはただ金が欲しかっただけだ!」
「いや、そうではなく」
「あん?」
「お前たちが売れないお笑い芸人集団だったとは気が付かなかった。全くセンスの欠片もない名前だが私は好きだぞ。これからもせいぜい頑張ってくれ」
「ちょっとまてゴラァ!! ふざけてんのか河上神子!?」
「は? 私はいつだって真剣だ。 もう騒ぐのはよせ。ゆっくり茶でも飲んで落ち着くといい……彩」
声をかけられた彩は悪井と山田の座っている椅子の背のほうへ回り込み、男たちを拘束していた縄をぷちりぷちりと切り落とした。解放された悪井は怒りに任せて立ち上がろうとしたが、冷たい何かが後頭部にきつめに押し付けられその動きを止める。その隣にいる山田は冷たい何かの正体を知って、さっと青ざめた。
「動かないでください。ぶち抜きますよ」
平坦な彩の発言に、悪井も押し当てられた物がわかったらしい。2人がそろって青というか腐りかけのナスみたいな顔色に変わっていく様子に神子は思わずニヤリとしてしまった。石鹸水入りの水鉄砲だと彼らに真実を教える必要はない。
いつのまにか戻ってきたメイドが無言のままカップに紅茶を注ぎ、それぞれの目の前にティーカップが置かれる。
「どうぞ飲んでくれ」
無言のままティーカップを見つめ、動かない男たち。
「彩、その頭の後ろに突き付けている物をどけてやれ」
それに従った彩が悪井たちから少し離れると、ほっとしたように2人は体の力を抜いた。けれど紅茶には手を出すつもりはないらしい。琥珀色の液面を瞳に映すだけで飲もうとはしなかった。
「別に毒なんて入ってないぞ? ……うん、うまい」
想像していたより熱かったが、どうせおっちょこちょいのあのメイドが用意したのだろうと特には気にならなかった。
「で、お前たちが売れないお笑い芸人集団で、金が欲しかった、というのは理解した」
裏にいる人間を探る予定だったのだがそんな者はいないようだ。もしいたとしたなら手がかりとなるこの2人を手放す気はない。
「というわけで、芸人活動を休止して私の家で働かないか?」
「はぁ!?」
一拍おいて、悪井は素頓狂な声を上げた。そんなことは微塵も考えていなかったのだろう。
「なめてんのか!? 俺たちはさっさとこんなところ出ていきたいんだよ! 山田も言っていたが仲間たちがすぐにこの家を特定して助けにくるからな、覚悟しろ!」
「お前たちの仲間なら帰ったぞ」
「……え?」
「捕まえて、名前と住所と電話番号を書かせて、それが本当か確認して、帰らせた。……そういえば泣いていた気がするな全員」
「……え?」
「つまり、断るなんて選択肢は最初からないということだ。―――さて、ここに面白いファイルがある。内容はとある人物が生まれてからのあれやこれ。えーとまず悪井? お前から」
神子がファイルの中身を読み始めると、悪井の顔は真っ赤になり奇声を発することでそれを阻止しようとした。内容は山田の笑いのツボに入ってしまったらしく、「中学卒業するまでお母さんと……ぶふっははは」とやせ気味の青年は床を転げまわった。そんな彼を殴って黙らせ、悪井はようやく逆らえないと気が付いたらしい。
「もうやめろ……働けばいいんだろ」
さんざん顔色を変えてきた彼だが、今はげっそりと疲れ切った顔をしていた。神子は少し可哀そうになって、もう一つのファイルを取り出す。
「心配するな。こいつも一緒だ」
指差したのは、頭を押さえてうずくまっていた山田だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日の遊戯部部室は非常に静かだった。在室しているのは、浩太・小桃・絹代の3人。会話はなく全員がノートに向かって何かを書いている。
「うーむ……」
諦めたように小桃は天井を見上げ、シャープペンシルを放り出す。そして、すぅっと息を吸い込むと思いっきり叫んだ。
「勉強なんて大っ嫌いだぁぁぁ!!!」
慌てて浩太は耳を押さえたが間に合わなかった。小桃の悲痛な声は浩太の心にも突き刺さり穴を開け、勉強しようと溜めたはずの意欲がそこからしゅーしゅーと漏れ出してしまう。
「俺も……嫌いですよ、勉強」
素直に認めてしまえば楽になれた。正直こんなことやりたくないのだ。嫌で嫌でたまらない。
「まあ、お2人とも、そんなことをおっしゃらないでください。このテストを乗り切れば夏休みはすぐそこですよ?」
いつものように絹代は和やかな微笑みを浮かべている。その手元には綺麗な文字が並んだ英語のノートがあった。まるで教科書に書いてあるような見事なアルファベットである。
「そうだよねー夏休みだよね。楽しみだなー」
後輩の「夏休み」発言によって小桃の勉強モードはあっさり終了してしまった。最初から勉強する気がなかったともいえる。この空気では続かない。浩太も机に並べていたノートや参考書を片付けだした。
「それにしても、勉強会をやろうって言い出したのは神子先輩なのに遅いですよね」
なかなか現れない2年生たち。遊園地に行ったとき神子がいなくなってしまったこともあり少し心配になる。といってもここは自分たちの学園なのだし、また失踪なんてありえないだろうが。
「あー、なんかね、スペシャルゲストを呼んでくるって言ってたよー」
「スペシャル、ゲスト?」
それははたして勉強会に必要なモノなのか。
噂をすれば影がさす。勢いよく開かれた遊戯部部室のドアのむこうには何かに満足したような顔をして神子が立っていた。その後ろには彩と三原。いつもの2年3人組である。
「さあ、入るといい。委員長!」
そしてもう1人。
彼女が入ってきた瞬間、ひやりとした風を感じた。まだ夏は始まったばかりだというのに、10月が終わりかけのある日の晩に墓場へ行ったらこんな空気だったみたいな冷たい何かを感じる。
だらりと伸ばされた黒髪。そして目元が全く見えない長い前髪。口と鼻しか彼女の顔のパーツは確認できなかった。
「……遊戯部のみなさんはじめまして」
声も井戸の底から聞こえてくるような暗いもので、突然魔導書を取り出して悪魔を召喚しそうな雰囲気すら感じる。いや、しかし和物のホラーのほうが似合っている気がするので、白い着物を着て柳の木の下で佇んでいれば完璧かもしれない。夜中にそんなもの見たら失神しそうだが。
「うふふ……勉強を教えにきたの。ふふっ」
生きて帰れるだろうか、そんなことを考えてしまうほど彼女の笑みは凶悪だった。