18話「それでいいだろ?」
小桃、絹代、浩太は効率を優先し、別れて神子を探すことになった。
パンフレットに描かれた園内の地図を3つに区切り、それぞれ走り出す。見つからないかもしれないという不安はある。それでも、自分たちにはそれぐらいしかできないのだ。
「……神子先輩! どこですか神子先輩!」
浩太は必死に叫びながら、気が強くてどこか憎めない年上の少女の姿を探す。振り返るのは遊園地に来ている客や従業員。そこに求める顔は無い。小さな地図で自身の居場所を確認しながら、とにかく浩太は走る。『誘拐』という不穏な言葉を頭から追い出そうと、必死だった。
ふと、立ち止まって見上げたのは緑の壁。
なんだこれは、と辺りを見渡して『巨大迷路』と赤と黄色で書かれた派手な看板を発見する。どうやらアトラクションのうちの一つのようだ。パンフレットで位置を確かめると、ちょうど巨大迷路の出口付近らしい。こんなところにはいないだろうと方向を変え、歩き出そうとした浩太は、突然背中にどんっという衝撃を感じた。
「……浩太っ!!」
なにかやわらかいものが、浩太の全身をぎゅうぎゅうと締め付ける。
ウエストに回された細くて白い腕や、例えようのない甘い匂いが、考える力を奪っていく。二つの膨らみが背中に押し当てられ、その名称を導き出す前にもっと肝心なことがあると気がついた。今、どういう状況なのか、理解しなければならない。
そっと振り返ると、赤茶色の頭髪が目に入った。
急に抱きついてきた少女は浩太の背中に顔を埋め、その表情を窺うことはできない。だが、彼女が何者なのか、すぐにわかった。
「………神子、せん、ぱい?」
呼びかければ声に答えるように、ぎゅっと抱きしめる力が強くなる。
「無事、だったんですね……どこに行ってたんですか?」
「浩太、……浩太」
「はい、何ですか?」
「しばらくこのままでいさせてくれ」
それはこの抱きつかれたままの体勢で、周囲の視線も物ともせずに立っていろ、ということだろうか。恥ずかしさから、それは困ると断ろうとして、浩太は神子の身体がわずかに震えていることに気がついた。
「……わかりました」
何があったのかは、後で聞けばいい。
彼女は戻ってきたのだ。今はその事実に満足することにして、羞恥心をごまかすように浩太は目をつぶった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あー!! 神子ちゃんだ!!」
覚えのある声に顔を上げると、小柄で愛らしい少女がこちらに向かって駆けてくるところだった。その後ろには、絹代の姿も見える。
「よかったー! 見つかったんだね!」
近づいてきた小桃に頷こうとして、自分の格好を思い出す。そういえば、神子に抱きつかれたままだったのだ。言い訳をしようと口を開こうとしたとき、神子がすっと浩太から身体を離した。
「もう、せっかくいい雰囲気だったのに邪魔しないでくださいよ、先輩」
少し怒ったような表情で腕を組んだ彼女は、すっかりいつもの遊戯部部長に戻っていた。触れれば壊れてしまいそうな先程の雰囲気は微塵も感じられない。
「心配したのにーそれはないよ、神子ちゃん!」
「とにかく、ご無事でよかったです。神子さん」
目元の赤い絹代を、神子はそっと撫でた。真剣に心配してくれている彼女に対して、冗談でごまかすのはいけないと思ったのだろう。
「悪かったな、心配掛けて。私は大丈夫だから」
平気だと言うように神子はにっと笑うと、スカートのポケットから携帯電話を取り出した。
「彩にも元気だって伝えないとな。……それにしても、どうしてみんな電話しなかったんだ?探してくれてたなら、私の携帯に電話すれば……」
浩太が真実を伝える前に、神子は自力で気がついたらしい。携帯電話の画面をじっと見つめ、申し訳なさそうに謝った。
「そうか……電源が切れてたのか。……すまん」
「神子さん、もしよろしければどうぞ」
おずおずと絹代が差し出したのは、白く薄っぺらい携帯電話だった。文明の利器を手にする絹代にどこか違和感を覚える。なんというか似合っていないのだ。
ありがとう、と受け取った神子はさっそく電話をかけ、数分後に何故か巨大迷路の出口に彩は現れた。相変わらずの無表情だが、神子の前まで歩いて来ると、すっと彩は頭を下げた。
「お護りすることができず、本当に申し訳ありません」
「……」
無言のまま、神子は謝る彼女の肩をつかみ、顔を上げさせる。
「今回も完全に私のミスだ。お前が負い目を感じる必要はない」
「……ですが」
「私は無事だったんだ。それでいいだろ?」
だから何も気にするな、と、神子は声のトーンを上げた。
自分がいなくなったことで生じた暗い空気を霧散させるように、笑顔を浮かべる。本当にもう心配しなくてもいいようだ。
「巨大迷路から出てきたってことは、状況は把握しているな?動けなくしたか?」
「はい、すでに終わらせてあります」
浩太には何のことだかさっぱりだが、神子にはそれで十分だったらしい。満足そうに頷いている。
「警察には連絡しなくていい……少し聞きたいことがあるからな」
「かしこまりました」
「さて、――――遊ぶか」
『警察』というあまり遊園地とはそぐわない単語が聞こえた気がした。しかし、それよりも神子の「遊ぶ」という発言にぎくりとしてしまう。そういえば午後からは彼女とデートする予定だったのだ。
「浩太と私でデートをするつもりだったが、……まあいい、みんなで回るか」
予想外の提案に浩太が驚いていると、何故か小桃にがっと手を掴まれた。
「じゃあみんなで楽しもー! いくぞー!」
元気よく駆け出す小桃に引きずられ、浩太もその後を追う。神子たちを振り返り、絹代もそれに続いた。
雲ひとつない午後の空。その下で、浩太は走る。
何故、神子がいなくなったのか。それについては神子が「大丈夫」と口にしていたせいで、あまり深く考えなかった。再会したとき悲痛な声で浩太の名を呼んだことを忘れたわけではない。だが、その後の元気そうな姿で、問題ないだろうと判断したのだ。
それゆえ、神子の手がまだ微かに震えていることに、浩太は気がつかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一人、孤独な戦いを終え、トイレの個室から出てきた三原は首を傾げた。
何故かトイレの出入り口で、レストランの店員が仁王立ちしているのだ。
「お客様、お待ちしておりました」
何を待っていたんだろうか、と疑問をぶつける前に、三原のポケットがぶるぶると振動した。
「すみません」と断ってから携帯を開くと、河上神子から一通のメールが届いている。内容はこのようなものだった。
昼食の会計がまだだからよろしく頼む。
あと、お前もういいから帰れ。
じゃあな。
画面を数秒の間見つめ顔を上げると、笑顔の店員と目があった。その視線を少しずらすと、自分たちが座っていたはずのテーブルには誰もおらず、何故か河童のぬいぐるみがぽつんと残されている。
三原はすっと息を吸い込むと、叫んだ。
「なんでだあああああああああ!!!!!!!」