14話「どうかしましたか?」
食事中の方は、読まないほうがいいと思います。
「それじゃあ、いただきます!」
「いただきまーす」
昼時である。
恐怖のバンジージャンプを終えた浩太は、小桃に連れられるまま、園内にあるレストランへ向かった。そこで神子たちと再会し、昼食となったわけだが。
「いやあ、おいしーねぇ!ほら、浩太くんも、エビフライ食べる?」
ニコニコ顔で小桃がフォークに突き刺さったエビフライを差し出してきた。カラッと揚がったそれはとても美味しそうなのだが、今の浩太に食欲は全くない。
「い、いらないです」
食欲どころか、エビフライから漂う油の匂いで吐きそうだ。食事中なのでそのことを口にはしない。
やはり、先程のバンジージャンプのせいだろう。
お化け屋敷もそうとうキツかったが、バンジーはそれ以上だった。
「どうした浩太、食べないのか?」
カレーライスをスプーンで口に運びながら、正面に座る神子が話しかけてきた。
「あ、すみません。食欲なくて」
「別に謝らなくてもいい。まぁ、無理はするな。午後からは私とのデートだからな」
神子はそう言って残りのカレーライスを平らげ、すっと立ち上がった。
「トイレに、行ってくる!」
そんな偉そうに言うことでもないと思う。というか本人は偉そうに言ったつもりはないのかもしれない。
続いて彩が、音もなく立ち上がる。もしかして、神子に付いて行くのだろうか。
「……彩、トイレぐらい1人で行ける」
「しかし、神子様」
「い、い、か、ら、お前は座ってろ」
肩を押して彩を無理矢理イスに戻し、神子は去って行った。
以前、神子の護衛をしていると聞いたことがあるが、トイレまで一緒に行かなければならないのか。
「彩さんは、神子さんのことを本当に大切になさっていますよね」
絹代の言葉と同じものを、浩太も前々から感じていた。常に後ろに控え、何をするにも神子が一番。柚木彩の生活は、河上神子を中心にして回っていると言ってもいい。
「私は……護衛ですから」
神子の傍にいない彩は、少し寂しそうにみえた。表情は変わらないので、何となくそう思っただけだが。
「あれ?そういえば、ワンちゃんは?」
「え、三原先輩ですか?」
横を見れば、つい先程までカキフライをバクバクと食べていた三原がいない。どこへ行ったのか、その答えは彼の正面に座っていた少女が知っていた。
「三原さんなら、青い顔をして『すまん、オっオレはもうだめだ…』と言いながら、あちらに向かわれましたよ」
絹代の指差す先には、青い男子トイレのマーク。他のメンバーはそれで彼の状況を察することができた。
「大丈夫かな…三原先輩」
思わず口からそんな言葉が漏れる。
食べていたのはカキフライ。それが原因ならとんでもないことになるはずだ。店の責任問題にまで発展するかもしれない。
「……まぁ、いいか」
しかし、あの三原である。普段の生活を見ていると、遊戯部のメンバー(主に神子)に相当酷い仕打ちを受けている。きっと彼は丈夫だから、生きているんだ。そうに違いない。
他の部員たちもそう思っているのか、すでに興味は別のことに移っていた。
「あ、店員さーん!パフェ追加でー!」
小桃はエビフライ定食を完食し、次はデザートのようだ。彩も絹代も食事を続けている。
(気分も少し落ち着いてきたし、何か注文しようか)
浩太はテーブルの上のメニューに手を伸ばした。
うららかな午後だった。
子どものはしゃいだ声や、アトラクションから流れる曲が園内に満ち、みなが思い思いの時間を楽しんでいる。
本当にうららかな午後だったのだ。
その時までは。
突然、彩が立ち上がった。その勢いに、何事かと部員たちが注目する。
「私、神子様の様子を見てきます」
一言だけ残し、彩はトイレに向かって駆け出した。食事をする場所で走るのは良いことではないが、それを今気にするものはいなかった。
「確かに、遅いよね。ワンちゃんと同じ目的でトイレに行ったんじゃないんだし」
小桃の目の前には、空になったパフェの器が置かれている。つまり、それを食べ終わるまで、時間が経ったということだ。
「わっわたしも、神子さんが心配ですし、行ってきます」
絹代が彩の走って行った先へ向かおうとした時だった。
こちらへ戻ってくる彩が見えた。しかも走っている。
浩太たちのテーブルまでやってきた彩の顔色は悪かった。眉間に皺がよっている。
「彩先輩、あの…神子先輩は?」
自分の声が硬くなるのがわかった。楽しい話ではなさそうだ。
「神子様が…いません。……どこにも」
そして、事件は起こった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あのぉ……すみません」
トイレから出て席に戻ろうとした神子に、後ろから声がかけられた。
振り返ると、分厚いレンズの眼鏡とマスクをした年老いた女性が、こちらを見つめている。
「どうかしましたか?」
年上には、敬語。これは基本だ。
自分の奔放な態度を知っている友人たちは、何故か年上に対して敬語で喋る神子を見ると、変な顔をする。
「いやぁ、実は孫が、迷子になってしまったようで…見ませんでしたか?黄色い服を着た男の子を?」
「いえ、見ていませんが」
迷子か。この広い園内で、子ども1人を探すのは一苦労だろう。
「もし、よろしければ、探すのをお手伝いしましょうか?」
「本当ですかい?助かりますわぁ」
腰の曲がった老婆は、ペコペコと何度も頭を下げた。それにしても、お年寄りというのは小さいイメージがあるが、彼女は身体が大きい。やはり、日本人の体形が昔と変わってきているというのは真実なのか。
「お孫さんが行きそうな場所に、心当たりはありませんか?」
「そうだねぇ……そう言えば、巨大迷路に行きたいって、いってたねぇ」
「……巨大迷路」
巨大迷路は、昼から浩太と共にデートへ行こうと思っている候補の一つだ。
このレストランへ来る途中に見かけて興味を持った。下見を兼ねて行ってみるのもいいかもしれない。
「では、ここで待っていてください。お孫さんを探してきますから」
「いやいや、わたしゃ、まだまだ元気だからね。孫が見つかるまでは、歩けるよ」
お年寄りをあまり歩かせない方が良いと思ったのだが、祖母にとっては孫が一番なのだろう。
「じゃあ、行きましょうか」
神子は、年老いた女性に手を差し出す。
「……ありがとう…ございます」
お礼を言って触れてきた手は、ゴツゴツしていてとても大きかった。
この時、その手を振り払って逃げてしまえばよかったと、神子は後悔することになる。