ランチキ
朝、目覚める。
少しずつ、大人になっていくのが分かる。
知能がこり固まっていく。馬鹿にさえなっていくような気がする。
体がよく疲れるようになった。ネットをずっとしていれればいいのに。ずっと眠っていられればいいのに。
前ほどゲームが楽しくない。創造力がなくなっているよう。心が枯れていくよう。
ああつまらない。楽しくない。逃げたい。どこかへ。休みたい。いっそ。
別人に、なれたらいいのに。
……そんな風に、感じたことって、ない?
◆
春は住宅街にある塀に囲まれた十字路で、隠れるように息を潜めていた。手に握りしめたものに力を込めながら、じっと機会を待つ。
何処からか足音が近づいていた。
息を切らしながら駆けてくる。高い呼吸音で、誰が向かってきているのは検討がついた。高鳴る心臓を理性で押さえ込み、ぎりぎりのタイミングを逃すまいと神経を集中する。足音が最大まで高まる、その一歩が踏み込まれたとき。
春は姿勢を低く保ちながら、素早く突き伸ばした――、包丁を握りしめる両の手を。
「ぎゃあッ!」
肉に刃をたてる確かな手応えとともに、甲高い悲鳴と血飛沫が上がった。恐怖に戦慄し、春を睨み付ける横顔。更に一歩踏み込んで、怯える白い喉を血塗れの包丁で抉る。声を奪うために。
「さよなら、真昼」
眼鏡、三つ編み、セーラー服の古風な少女が、錆びた臭いを撒き散らしながらアスファルトに倒れ込む。血を止めようと傷口を懸命に押さえるも、止まらない。
喉から血泡を吹く真昼に視線を落としながら、春は微笑んだ。躊躇いなく彼女を蹴る。くるんと曝された背中には、純朴そうな少女には似合わないマシンガン。
「貰うね。もう必要ないもんね」
春は華奢な真昼からマシンガンを奪い担ぐと、セーラー服の端で包丁についた血を丁寧に拭った。
刃の鏡に返り血を浴びた自身が映る。薄茶のショートヘアには血がつき、お気に入りのダークグレイのパーカーとジーンズはすっかり汚れてしまっている。まるで殺人鬼だ。いや、殺人鬼なのだけれども。
「みんな殺人鬼だからなぁ……」
呟きながら包丁をしまおうとして、真昼がまだ生きていることに気づく。彼女は道路になめくじのように這い、血の線を作りながら逃れようとする。
「可哀想に」
情けが出た。留目をさしてやろうと、包丁を再び握りしめる。真昼は地平線を睨み付けながら震えている。
「そういえば……」
不意に浮かぶ。
「君は何から逃げていた?」
思い至り、春は大地を蹴った。真昼に留目を刺さずに背を向ける。
しくじった、と舌打ちをした瞬間、背後からブレーキ音が轟いた。首だけ振り向くと、紺色の軽自動車が十字路に飛び込んできたところだった。
車の前輪が真昼の体に乗り上げ、バキバキという骨の砕ける音が響く。
「自然に優しい音の少ない車ってヤツか、雪哉だっけ!」
運転をしているのは雪哉という十後半の男。獅子のような髪を揺らしながら、雪哉はにやにやと笑いハンドルを回している。
「春ちゃんみ~っけ!」
雪哉の絶叫し、アクセルを踏み込む――――。
◆
殺しあいは唐突に始まった。
『殺せ、殺せ、殺せ、生きるために殺せ』
ある日のことだ。何の前触れもなく頭にそんな言葉が響き、意識を失った。
目覚めると、いたのは慣れ親しんだ街のど真ん中の公園だった。春は何故か包丁を握りしめていた。
最初は夢か何かかと思い、恐怖を感じながらも帰宅しようとした。しかしその道すがら、奇妙なことに気づいた。街が、無人であると。
鳥の声さえ聞こえないことに戸惑っていると、再び言葉が頭蓋に直接響いた。
『生き残りたければ殺せ、殺すんだ』
何事かと頭を押さえながら街をふらつくと、人が二人死んでいた。小学生中学年くらいの女の子と初老の男性が、それぞれ別の離れた場所で、血だまりの中に横たわっていたのである。
唖然として見やると、一見して共通点のない二人にはある共通点があった。春の知っている人物だったのだ。
春はあるコミュニティに所属している。真昼、雪哉を含むその他大勢、約二十人ほどで構成されたコミュニティである。
老若男女の集まる、一人一人メンバーの色が異なるこのコミュニティには、ある目的があった。それは、一人の人物を観察すること。
どこにでもいそうな存在。奴を皆で観察し、互いに意見を言い合うのだ。
彼はコミュニティの存在を知らなかった。春達は思うがままに彼のことを観察していたのである。
殺しあっているのはコミュニティの人間だ、そう断定するのに時間はかからなかった。
街にはいたるところに、見知った人物たちの死体が転がっていたし、殺し合う現場にも居合わせた。
春は恐怖を……、感じなかった。
訳は分からないが、ゲームが始まったのである。殺し合うというスリリングなゲームが。
これは正当防衛だ。殺さなければ、殺されるのだ。最後の一人になるまで。
◆
春は細い道に入り込み、車の追跡から逃れた。土地勘がある。足の逃亡でも何とかなりそうだ。
裏道に隠れて、春はマシンガンを確認した。この武器は春と同じように、目覚めたとき手にいれたものだろうか。
「不公平だな」
こっちは包丁という至近距離でしか使えない危険度の高い武器で、三人は殺したというのに。
毒づきながらも春はマシンガンの弾がまだ残っていることを認めた。
「もうすぐ日が暮れるな……」
仰ぐと、空には月が浮かび紺色に染まり始めていた。夜になったらどうすれば良いか。
「一度家に戻るかな」
お互いの家の場所は知らない。危険を回避するには十分だろう。春は暫く考え決断すると、家路へと慎重に戻った。
◆
帰宅すると、どっと全身に疲れが覆い被さってきた。共働きの両親はまだ帰ってきていないようだ。
「ごはん……」
念のためにマシンガンだけ持って、春はキッチンへと向かった。電気はつけない。感づかれる危険があるから。
暗がりの中を進んで、春はキッチンの扉を開けた。
カチリ。
その瞬間、こめかみに嫌な音が響いた。首をそのままに、視線だけ横へやると、一人のリクルートスーツ姿の女性が拳銃を突きつけていた。
「あらこんばんは」
「真美さんだっけ。打ったら、打つけど」
「わかってるわよぅ」
真美はふふんと微笑むと、
「休戦しない?」
「信用できない」
「武器を同時に置く、とか。疲れたでしょ?」
春は少しだけ考えを巡らせると、「いいよ」と頷いた。殺しあいで日中に削った体力と精神力は凄まじく、疲れは極限に達していた。すぐにでも眠りたかった。
目配せしながら同時に武器を置く。
「ごはん、これで良いかしら」
お湯が注がれたカップラーメンを渡される。
「いきましょ」
リビングへと促され、春は息をのんだ。そこにいたのは真美だけではなかった。五人ほど。皆、コミュニティのメンバーだった。
「ここを襲われたら、一発かな」
「かもね」
春の苦笑いに真美が同調する。しかし、
「でも襲わないわよ、きっと」
「なぜ?」
「なぜって……我が家だし」
「我が家?」
春が首を傾げると、真美は目を丸めた。それから、
「あんた記憶がないんだ」
にたりと笑い、真美は春の手を握った。
「こっちに来なよ」
促されて、春は二階へと上がった。二階には両親の書斎と寝室、そして春の部屋がある。真美は春の部屋の前にたつと、顎をしゃくった。
「開けなさいよ」
素直に従い、春はドアノブへと手を掛ける。そして。
「こいつは……」
春の部屋にいたのは、一人の人物だった。コミュニティに観察されている存在である。
静かに、静かに眠っていた。
「私たちの主人格よ」
「主人格?」
「まだ気づかない?」
そう問われて、春は唖然とした。一気に血の気が引く。
「思い出したみたいね。私たちはこいつの中の登場人物に過ぎないのよ」
震える春に、真美は続けた。
「こいつは今、大人になろうとしているの。無意識に想像や妄想を捨てようとしている。妄想の中の自分たちに殺しあいをさせて、数を減らし、現実的な考えで世界に順応する準備をする。そうして、大人になるつもりなのよ」
『生き残るために殺せ』とは、そういう意味だったのか。春は込み上げる感情にぶるぶると身を縮ませた。収束し集束し、感情が一気に噴き出す。
出てきたのは、哄笑だった。泣き出すかと思いきや笑い出した春に、真美は眉間を寄せる。
「意外な反応ね」
「そうかなぁ?」
クックと唇を曲げながら、春は横たわる人物へと歩み、見下ろした。深く閉じられた夢見がちな目蓋に、微笑みかける。
「ねぇ」
「なに?」
「僕に、休戦よりも良い考えがあるんだけど……」
春はそっと近寄る。手には包丁。武器は握られている。
春は笑う。
「別にこいつじゃなくったって、良いじゃん」