第六話
勇者養成学校の朝は、ある「噂話」で持ちきりだった。
「おい聞いたか? 北の森の『魔族全滅事件』の続報」
「ああ。騎士団の公式発表だと『正体不明の影の騎士』が助けてくれたって話だろ?」
「すげぇよな。たった一人で魔族の軍勢を壊滅させるなんて、Sランク……いや、国家戦力級だぞ」
教室のあちこちで、そんな会話が飛び交っている。
俺、ゼノンは教科書を立てて顔を隠し、狸寝入りを決め込んでいた。
(……盛り上がってるなぁ)
昨晩、俺が兄貴を闇に葬った一件 は、尾ひれがついて伝説化しつつあるらしい。
『影の騎士は身長三メートル』だの『目からビームを出した』だの、言いたい放題だ。
だが、都合はいい。
この「正体不明の英雄」に注目が集まれば集まるほど、Eランクの落ちこぼれである俺への疑惑は薄まる。灯台下暗しというやつだ。
……まあ、一人だけ鋭い勘で俺を疑っている銀髪のヒロイン(アリシア)を除いては。
「うおーっ! 俺も会いてぇなぁ、その影の騎士!」
隣の席で、ゴランが机を叩いて興奮している。
頼むから静かにしてくれ。その振動で俺の平穏な睡眠時間が削られる。
「席に着け、お前ら」
チャイムと共に、歴史担当の教師が入ってきた。
神経質そうな眼鏡の男だ。手には分厚い歴史書を持っている。
「今日は『十五年前の大戦』について講義する。心して聞くように」
十五年前。
俺が死んで、転生した年だ。
俺は少しだけ興味を持って顔を上げた。
「かつて、世界は恐怖に包まれていた。魔王軍の侵攻により、人類の版図は半分まで後退。だが、そこに一人の『勇者』が現れ、戦況を覆した」
教師が黒板に『光の勇者』と書き殴る。
……ん?
違うな。当時、最前線で魔王軍を押し返していたのは、俺(闇の勇者)だ。
光の勇者は、聖女といちゃつきながら後方支援をしてただけだぞ。
「そして決戦の地、魔王城。光の勇者は聖剣の一撃で魔王を瀕死に追い込んだ。しかし――卑劣なる『闇の勇者』の裏切りにより、とどめを刺すには至らなかったのだ」
ブチッ。
俺のこめかみで血管が切れる音がした。
(……はぁ!?)
裏切り? 俺が?
ふざけるな。俺は誰よりも魔王を殺そうとして、命がけで特攻したんだ。
それを「裏切り」だと?
どうやら人間側の歴史書では、俺は「魔王に寝返って光の勇者の邪魔をした大罪人」として記録されているらしい。
(歴史は勝者が作るって言うけどさぁ……。ここまで改竄されてると、死んでも死にきれないぜ)
俺が机の下で拳を握りしめていると、最前列から涼やかな声が上がった。
「先生。補足してもよろしいですか?」
セドリックだ。
彼は眼鏡を光らせ、教科書を見ずにすらすらと語り出した。
「文献によれば、闇の勇者は魔王の息子だったという説もあります。だからこそ、土壇場で人間を裏切った。闇の力を持つ者は精神が汚染されやすく、信用に値しない……それが定説です」
「うむ。素晴らしい、アークライト君。その通りだ」
教師が満足げに頷く。
教室中が「さすがセドリック様」「やっぱり闇魔法なんて使う奴はクズだな」という空気になった。
俺は天を仰いだ。
冤罪だ。完全な濡れ衣だ。
俺は魔王の息子じゃなかった(転生前は)し、精神も正常だった。ただ、使う技が黒くて禍々しかっただけで。
……いや待てよ?
結果的に今、俺は「魔王の息子」に転生している。
ということは、あながち間違いでもないのか?
(いやいや、時系列がおかしいだろ!)
一人で脳内ツッコミを繰り返していると、不意に教師の視線が飛んできた。
「おい、そこのEランク。一番後ろで寝ているお前だ」
指さされたのは、俺だった。
「ゼノン、だったか。お前はどう思う? 闇の勇者の愚行について」
最悪だ。当てられた。
ここで「いや、彼は英雄でしたよ」なんて言えば、異端審問にかけられかねない。
俺はゆっくりと立ち上がり、無難な回答を探した。
「……そうですね。きっと、彼は彼なりに必死だったんじゃないでしょうか。ほら、職場環境がブラックだったとか」
「は? 何を言っている?」
「いえ、なんでもないです。闇の勇者は最低のクズだと思います。はい」
俺は棒読みで答えて着席した。
魂が削れる音がした。
自分の前世を自分でディスる。これも正体隠蔽のためだ。我慢しろ、俺。
†
午後は、屋外演習場での「基礎魔術訓練」だった。
内容はシンプル。『魔力で小さな灯火を作り出すこと』。
初歩中の初歩だが、繊細なコントロールが要求される。
「いいか、イメージしろ。体内のマナを指先に集め、熱量へと変換するんだ」
教師の指導の下、生徒たちが次々と指先にポッ、ポッ、と小さな光を灯していく。
簡単そうに見える。
だが、俺にとっては難易度Sランクのミッションだ。
なぜなら、俺の魔力属性は「闇」。
光や炎といった属性への変換効率が絶望的に悪い。
無理に出そうとすれば、俺の膨大な魔力が暴走して、灯火どころか「黒炎龍」的なものが顕現してしまう。
(……やるしかないか)
俺は人差し指を立て、全神経を集中させた。
出ろ、光。せめて赤色でもいいから、明るい何か。
魔王由来のドス黒い魔力を、フィルターにかけて、薄めて、薄めて……。
ジジッ……。
俺の指先に、小さな黒い煙が上がった。
以上。
「……先生、不完全燃焼みたいです」
「ふん。魔力制御がなっていない証拠だ。Eランクらしい無様さだな」
教師が鼻で笑って通り過ぎていく。
周囲からもクスクスと失笑が漏れる。
「見てよあれ。煙しか出てないぜ」
「やっぱ魔力35ってのは伊達じゃないな」
よし、計画通りだ。
これで俺の「無能キャラ」は盤石のものとなる。
俺がホッと胸を撫で下ろしていると、隣で爆発音が響いた。
ドォォォン!!
「熱っちぃぃぃ!!」
ゴランだ。
彼の指先から、キャンプファイヤー並みの巨大な火柱が上がっていた。
灯火を作れと言われたのに、火炎放射器になっている。
「す、すまねぇ先生! ちょっと気合い入れすぎちまった!」
「き、貴様ァ! 演習場を燃やす気か! バケツを持って廊下に立ってろ!」
ゴランが先生に怒鳴られながら退場していく。
……あいつ、ある意味天才かもしれない。俺の地味な失敗が霞んでしまった。
騒ぎが落ち着いた頃、演習場の隅で、アリシアが優雅に指先を掲げていた。
その先端には、宝石のように美しい、純白の光が灯っている。
ただの照明魔法ではない。聖なる属性を帯びた、高密度の「聖火」だ。
「……さすがね、アリシアさん。一年生でその純度は異常よ」
「基本ですわ」
取り巻きの称賛にも、彼女は表情を変えない。
だが、その蒼い瞳がチラリとこちらに向けられた。
俺の指先から出る黒い煙を見て、彼女は小さく眉をひそめた。
(……煙? 魔力不足で失敗したというより、何かが『焦げた』ような……)
嫌な勘だ。
俺は慌てて指を振り、証拠隠滅を図った。
実はさっきの煙、空気中のマナを「闇」で圧縮しすぎて、空間そのものが少し焦げた跡なのだが……バレていないことを祈る。
授業の終わり際、教師が手を叩いて注目を集めた。
「さて、基礎訓練はここまでだ。来週からはいよいよ、実践的な課題に入ってもらう」
教師はニヤリと笑い、生徒たちを見渡した。
「学園の地下に広がる古代遺跡――『迷宮』への潜入実習だ。これより3人1組のパーティを編成しろ。このパーティで、半年間の実習を乗り切ってもらう」
教室がざわめく。
パーティ編成。
スクールカーストが如実に表れる、残酷なイベントの始まりだ。
「優秀な奴と組めば楽ができる」
「足手まといは入れたくない」
生徒たちの視線が交錯する。
当然、Sランクのセドリックやアリシアの周りには人が群がる。
そして、Eランクの俺とゴランの周りには――見事なまでのモーゼの海(空白地帯)ができていた。
「なぁゼノン! 俺とお前で組めば最強だな!」
「……あと一人足りないんだけどね」
俺はため息をついた。
3人1組。つまり、俺たち「落ちこぼれコンビ」に入ってくれる奇特な誰かを見つけなきゃならない。
魔王を殺すための第一歩が、まさか「友達作り」から始まるとは。
前世でも今世でも、俺の苦労は絶えそうにない。




