第一話
熱い。
魂が、焼けている。
視界が赤い警告色に染まる中、俺は自分の命そのものを薪にくべていた。
俺は「勇者」と呼ばれていた。だが、聖剣に選ばれたわけでも、女神に愛されたわけでもない。
使う力は、忌み嫌われる「闇」。
毒を以て毒を制す。魔を殺すために魔を喰らう、異端の勇者。それが俺だった。
「……はぁ、はぁ……これで、終わりだッ!」
心臓が破裂しそうな鼓動を無視し、俺は最後の魔力を練り上げる。
狙うは玉座に君臨する諸悪の根源、魔王。
奴の分厚い障壁を貫くには、生半可な光では届かない。俺の魂ごと叩きつける、純度一〇〇パーセントの漆黒だけが、奴を殺せる。
死んでもいい。刺し違えることができるなら。
俺の身体が崩壊するのと、漆黒の刃が放たれるのは同時だった。
――あたる。
――殺れる。
確信した瞬間、魔王が、冷酷に目を細めた。
「ふむ。悪くない闇だ」
衝撃。
俺の放った必殺の刃が、魔王の胸板に触れた瞬間、ズブズブと吸い込まれていく。
弾かれたのではない。吸収されたのだ。
「ぐ、あ……っ!?」
「我は魔を統べる王ぞ? 貴様の闇など、我の糧に過ぎん」
圧倒的な格差。
俺の魂そのものである闇が、奴の巨大な魔力の一部として溶かされていく感覚。
悔しさと、絶望。
視界が暗転していく中で、俺は最後に誓った。
(もし、もし次があるなら……今度こそ、お前を殺す手段を――)
そこで俺の意識は、プツリと途絶えた。
***
意識が浮上する。
俺は死んだはずだ。あの男に取り込まれて、消滅したはずじゃなかったのか。
目を開けようとするが、まぶたが重い。視界がぼやけている。
身体がうまく動かない。指先一つ動かすのにも、ひどく体力がいる。
その時、巨大な影が俺を覗き込んできた。
「……ほう。見ろ、存外に強い魔力だ」
背筋が凍った。
聞き覚えのある声。
忘れるはずもない、俺を殺した男の声。
「我が魔力の一部から生まれたような、馴染む気配……。今日から貴様の名はゼノンだ。我が息子よ」
は?
今、なんて言った?
俺の視界がようやく焦点を結ぶ。
そこにいたのは、冷たい瞳で見下ろす魔王だった。
そして俺を抱いているのは、魔族の乳母らしき女。
自分の手を見る。
小さい。紅葉のように小さく、しかし確かな魔力を帯びた、赤ん坊の手。
(嘘、だろ……)
理解するのに数秒を要した。
あの時、俺の魂は魔王に吸収された。
だが、完全に消化されず、奴の膨大な魔力と混ざり合い――あろうことか、「息子」として再構成されて吐き出されたのだ。
俺は、俺を殺した仇の、子供になったのか。
「…………ッ」
声にならない絶叫を飲み込む。
泣けば殺されるかもしれない。そんな本能的な恐怖が、赤ん坊の俺を支配した。
†
それから、十五年の時が流れた。
魔界の奥深く。常に重苦しい魔素が漂う魔王城の一室。
俺、ゼノンは、全身鏡の前で無表情に佇んでいた。
「……皮肉なものだ」
鏡に映るのは、黒髪に冷たい目、そして額から生えた鋭い二本の角。
魔王の血を引く、紛れもない魔族の姿。
呼吸をするだけで大気中のマナを取り込み、鋼鉄すら素手で引き裂く膂力。前世の人間だった頃の俺が知れば、喉から手が出るほど欲した才能の塊だ。
だが、俺の瞳に宿るのは憎悪だけだ。
俺は右手をかざし、小さく魔力を練った。
ボッ、と掌に浮かぶのは、濃密な漆黒の炎。
「……やっぱり、闇か」
この十五年、俺は密かに牙を研いできた。
そして結論が出た。
今のままじゃ、絶対にあの男(魔王)を殺せない。
理由は単純だ。奴は「闇」の頂点にいる存在。俺がどれだけ強力な闇魔法を極めたところで、十五年前と同じように吸収されて終わりだ。
奴を殺すには、魔族にとっての劇薬――**「光の力」**が必要不可欠なのだ。
だが、魔族が光を扱えないのは世界の理。
手詰まりかと思われた俺の計画に、一筋の光明が差した。
机の上に広げた、人間界からの密偵レポート。
『聖国サンクタリアにて、勇者養成学校が開校』
『卒業時、成績上位三名のみが女神の祝福を受け、後天的に「光の力」を宿す儀式を受ける権利を得る』
これだ。
俺が探していた「解」は、これしかない。
魔族の肉体を持っていても、女神の儀式による「聖別」ならば、身体を作り変えて光を宿せる可能性がある。
「つまり、俺があの男を殺すには……」
敵地である人間界へ行き。
勇者養成学校に入学し。
並み居る天才たちを蹴落として、トップ3に入る。
それしかない。
問題は、この城から出るには、あの冷酷な支配者の許可が必要だということだ。
生半可な理由では却下される。最悪、謀反を疑われて消される。
なら、どうする?
決まっている。完璧な「魔族の息子」を演じるんだ。
奴が好みそうな、狡猾で残忍な「建前」を用意して。
俺は表情筋を緩め、鏡に向かって「従順な息子」の笑みを作った。
反吐が出る作業だが、これも復讐のためだ。
†
魔王城、玉座の間。
重厚な扉が開かれると、そこには絶対的な恐怖が鎮座していた。
十五年前よりさらに魔力を増した、魔王。
その威圧感は、生物としての格の違いをまざまざと見せつけてくる。
「ゼノンか。……何の用だ」
地響きのような、感情のない声。
俺は玉座の前に進み出ると、深く頭を垂れ、跪いた。
心臓の鼓動を魔力で強制的に抑え込む。少しでも殺気が漏れれば、即座に首が飛ぶ。
「父上。折り入ってお願いがございます」
声を震わせず、冷徹に。
「ほほう? 末っ子の貴様が、我に願いとは」
「はい。……私を、人間界へ行かせていただきたいのです」
玉座の間を、鋭い殺気が走った。
魔王の目が、値踏みするように俺を射抜く。
「理由を聞こう。貴様ほどの魔力を持つ者が、なぜわざわざ人間どもの巣窟へ?」
ここが勝負所だ。
俺は顔を上げ、不敵な、しかし父への敬意を装った笑みを浮かべた。
「父上。ただ攻め滅ぼすだけでは、人間どもは結束し、無駄に抵抗を長引かせるだけです。奴らの希望を、根底からへし折る必要があるかと」
「希望、だと?」
「はい。『勇者』です」
俺は淀みなく、用意した脚本を読み上げる。
「今、人間界では『勇者養成学校』なるものが作られ、新たな希望を育てているとか。……ならば、私がそこに潜り込み、奴らの希望の芽を摘んでやろうと思うのです」
「……暗殺か?」
「いいえ、もっと絶望的な方法です」
俺は一呼吸置き、告げた。
「私が生徒として潜り込み、勇者の座を奪い取ってやるのです。人間どもが待ち望んだ新たな勇者……その正体が『魔王の息子』だと知った時、奴らは戦う意思すら失うでしょう。それに、私が一枠奪えば、人間の戦力は確実に削がれます」
もちろん、全部嘘だ。
目的は、その「光の力」をもらって、アンタの首を跳ねること。
だが、侵略者であるこの男には、この理屈が最も通りが良い。
魔王は沈黙した。
重い、窒息しそうな時間が流れる。
俺の背中を、冷たい汗が伝う。見破られたか?
数秒後。
魔王の口元が、わずかに歪んだ。
「……クク。なるほど」
低く、腹に響く笑い声。
「魔族の王族たる貴様が、人間の英雄に成り代わると? 勇者のふりをして人間どもを欺き、希望を与えてから突き落とすと言うのか」
「……御意に」
「悪くない。力でねじ伏せるしか能のない兄たちとは違うな、ゼノンよ」
魔王は玉座に深く背を預け、興味深そうに俺を見下ろした。
そこに「親の愛」はない。あるのは「使える駒」を見る目だ。
「許可する。行け。人間どもを内側から食い破り、我に勝利を捧げよ」
「はっ! 必ずや」
俺は深く一礼し、踵を返した。
背中に突き刺さる魔王の視線が消えるまで、俺は表情を崩さなかった。
玉座の間を出て、重い扉が閉まる。
そこでようやく、俺は大きく息を吐いた。
(……あぶねぇ)
震えそうになる手を握りしめる。
許可は取った。
こうして俺は、最強の血筋と最凶の才能を隠し持ち、人間界へと旅立つ切符を手に入れた。
目指すは聖国サンクタリア。
敵の本拠地にして、俺が唯一「魔王殺しの武器」を手に入れられる場所。
待っていろ、勇者候補のエリートたち。
そして首を洗って待っていろ、魔王。
俺は必ず戻ってくる。お前を殺す「勇者」となって。




