73話~ヨシュアのプロポーズ~
砦は8千の兵に取り囲まれてから、すでに1週間が過ぎていた。
食事は1日1食、しかも半人前に減らされ、800人の兵は何とか命を繋いでいる。
まだ体の小さいミルフィーユやシノは比較的元気だが、女性陣の綾菜やシリアですらきつさを覚えるほどだ。
よく食べる男性たちは口を閉ざし、黙って横になって体力の消耗を抑えている。
打開策は未だ見えない。
思えば「敵兵500」という情報は、どう考えても罠以外の何ものでもなかった。
2か月も籠城している砦が打って出なかったことを考えれば、容易に分かったはずだ。
だが、なおも腑に落ちない。
――なぜスールムは、そこまで籠城戦にこだわるのか?
聖騎士200、騎士600。
白兵戦では無類の強さを誇るジールド・ルーンの兵力とはいえ、敵は8千。
10倍の差があれば、正面からぶつかれば勝てるはずだ。
それなのに何か月も8千を待機させる意味とは……。
綾菜はいくら考えても答えを見つけられなかった。
優人ならいくつも可能性を挙げてくれるのに――。
砦内の騎士たちは、そもそもその疑問にすら至らぬ様子だった。
* * *
プラムのおばあちゃんの願いを胸に、綾菜は砦で「クルーガー」という人物を探した。
すぐに見つかった彼は上級騎士団の副団長であり、団長の息子アレスとともにこの砦を預かる責任者だった。
聖騎士アレス――シンの息子。
肩まで覆う大盾〈ミドルシールド〉とロングソードを携えた堅実な戦士である。
父シンのような気さくさや豪胆さはなく、むしろヨシュアを賢く上品にしたような性格だと綾菜は感じた。
考え方も守りに偏っており、討って出ようとするクルーガーを押しとどめた張本人でもある。
だが、彼は可愛いもの好きという意外な一面を持っていた。
ミルフィーユとよく遊び、少ない食事の中から自分の分を分け与えている姿を綾菜は何度も見た。
何か月もここで耐えてきた彼の方が辛いはずなのに――。
その優しさと我慢強さには、心から感服させられる。
一方のクルーガーは、アレスの幼馴染で気心知れた仲だ。
性格は対照的に好戦的で短気。思慮深さに欠けるところもあるが、責任感は人一倍強く、部下思いでもある。
綾菜がプラムのおばあちゃんの話をすると、強面の彼が一転、子供のように嬉しそうな顔を見せた。
おばあちゃん子として、小さい頃からプラムを食べて育ったのだという。
その姿に綾菜は優人を思い出す。
厳しく恐れられる存在でありながら、その厳しさは部下と持ち場を守るための責任感から来る――。
クルーガーも、優人と同じく誰よりも部下に真剣だった。
(……頭の固さは、やっぱりガッカリだけどね)
そう苦笑しつつも、綾菜はクルーガーとよく話を交わすようになっていった。
* * *
そんな面々との生活が1週間ほど続いたある日――。
物見やぐらにいた綾菜に、ヨシュアが声をかけてきた。
「ちょっと来てくれ。案内したい場所がある」
綾菜は不審に思いながらも、ヨシュアの後をついていく。
たどり着いたのは、砦の裏の誰もいない場所だった。
「ここがどうかしたの? 脱出口か何か?」
綾菜は怪訝そうに尋ねる。
ヨシュアは背を向けたまま、低い声で話し出した。
「……綾菜。この砦はもうダメだ。食事も尽きかけて、戦闘に出ても力が出ない。皆、一方的にやられるだけだ」
「だから何? 私だけ逃げろって? バカ言わないで。私はシノもシリアもミルフィーユも一緒じゃなきゃ嫌。
プラムのおばあちゃんとの約束だって果たしてない。逃げたいなら、あなた一人でどうぞ」
綾菜の言葉に、ヨシュアがガバッと振り返った。
その真剣な表情に、綾菜は思わず身を引く。
「そ、そんな怖い顔して……何?」
ヨシュアはまっすぐ綾菜を見据え、震える声で叫んだ。
「綾菜……俺と結婚してくれ。俺はお前が――」
「ちょ、ちょっと待ったぁ!!」
綾菜は思わず声を上げ、ヨシュアの言葉を遮った。
「な、なんだよ?」
遮られて、今度はヨシュアの方が苛立つ。
「死ぬ前提でしょ? なんでこの状況で告白、しかもプロポーズ? おかしいでしょ!」
「……死ぬ前に、どうしても伝えたかったんだ」
「じゃあ答えるわ」
綾菜はきっぱりと言った。
「好きとか嫌いとか以前に、死ぬ前提で未来の約束なんてできない。そんな無責任なこと、よく言えるわね」
――もっとも、自分だって優人のプロポーズを受けたあと、病気で先に逝ってしまった身分なのだ。
だから強く言えた立場ではない。
けれど、あのときは確かに「未来を見据えて」受けた。
今のヨシュアとは、根本的に気持ちが違う。
「いや、俺は本気で――」
「ごめん。本気ならなおさら、生きることを前提に言ってほしかったわ。……まあ、私には優人がいるけど」
冷たく言い放つ綾菜。
その名を聞いた瞬間、ヨシュアの顔が歪む。
「バカなんじゃねぇの? 10年前に死んだ男を、まだ想ってるなんて。どこのお伽話だよ!」
「はぁ? 誰がそんなこと言ったのよ! 死ぬなら勝手に死ねば!」
綾菜も思わず酷い言葉を返し、踵を返して大広場へ駆け出した。
* * *
走りながら、綾菜はヨシュアの言葉を思い返す。
――「10年前に死別した男を、今も思ってるなんて本気で信じてるのか?」
違う。そんな風に思っているわけじゃない。
でも、優人との日々を忘れることもできない。
他の誰かで塗り替えることもできない。
どうすれば自分が納得できるのか、綾菜には分からない。
その狭間で――優人も、綾菜も、同じように苦しんでいた。
綾菜が大広場に戻ると、突然クルーガーが倉庫係の兵を連れてきて殴り飛ばした。
その光景に、一同の視線が集中する。
「どうした?」
後を追ってきたヨシュアが綾菜に尋ねる。
「知らない!」
綾菜は突き放すように答え、顔を背けた。
「どうして3食分も食料が消えている! 倉庫管理のお前が知らないわけがないだろう!」
怒鳴るクルーガーに、兵は土下座して必死に許しを請う。
「す、すみません! 本当に……多少の誤差が生じたようで……」
「誤差だと? 3食分は6日分だぞ! お前の食事を6日減らしてもいいのか!」
「ご、ご勘弁を……」
「まあまあ、クルーガー。怒鳴ると余計に腹も減る。もう勘弁してやれ」
肩を叩いてなだめたのはアレスだった。
「アレス……お前のその甘さが問題なんだ!」
クルーガーの怒りは今度はアレスに向かう。
「今回は3食分だが、これを許せば皆が真似をする! そうなれば1か月も持たねぇ!」
「なら倉庫番を替えよう。ヨシュア辺りに」
「ヨシュアは管理が雑だろう!」
「じゃあ誰に任せる?」
「だったらこいつに厳罰を与えて二度とさせないことだ!」
「おいおい、それは酷すぎる。食った犯人は別にいるかもしれないだろう?」
「じゃあ犯人を出せ! 俺たちは誇り高きジールド・ルーンの騎士だぞ!
隠れてみっともない真似をしやがって……出てこいや!」
怒声に、広場の空気が凍り付く。
騎士たちは委縮し、ヨシュアですら俯いて震えている。
しばらく沈黙が続いたあと、クルーガーは深くため息をついた。
「……こういう時に黙って自分を守る奴に、背中を預けて戦えってのか? 信用できるわけねぇよな。
だったら今すぐ出陣しようぜ! どうせ先がねぇんだからよ!」
「バカなことを言うな!」
アレスが鋭く言い返す。
「やんのか? アレス?」
クルーガーは挑発するように睨みつけた。
――たった1週間の籠城で、この有様。
空腹と不安で、統率されていた軍が崩れていく。
いっそ、腹いっぱい食べて翌朝にでも特攻した方がいいのではないか。
未来の見えない戦いに、綾菜は深い絶望を覚える。
「優君……」
遠き心の大鐘の音が、耳の奥で響いた気がした。
和装の剣士――あれは優人なのかもしれない。会えるかもしれない。
けれど現実は、この砦に閉じ込められたまま。
綾菜はそっと夜空を見上げる。
地上界よりも高く広がる星々。
同じ星明かりが、遠い世界の優人にも降り注いでいるかもしれない。
――それでも、会うことも触れることもできない。
綾菜は胸の奥に、どうしようもない寂しさを抱えたまま、長い夜に身を沈めた。




