48話~大森林地帯~
王都を出てから一週間。
優人たちは、とうとう大森林地帯の手前までやってきた。
当初は自分の馬車で行くつもりだったが――
大森林の雷に驚いたヘファイストスが暴れたら、馬車ごと混乱する危険がある。
そこで、王都から関所までは馬を借りて移動し、そこから先は歩くという作戦を取った。
……問題は、優人が馬を操れないことだ。
剣術なら得意でも、地上界の人間はもっぱら車移動で馬に乗る機会などない。
乗馬クラブに興味はあったが、授業料の高さに尻込みしたまま今日まで来ていた。
結果、エナの背中にしがみつくという、なんとも情けない形での旅となった。
エナの背中は、想像以上に小さく華奢だった。
女性の体は、どんなに大きく見えてもやはり華奢なのだと、毎回驚かされる。
そして、この細さに慣れない。
鎧越しに抱く腹回りの感触。
耳にかかる髪の匂い。
――正直、ドキドキが止まらない。
綾菜一筋で生きてきたのに、他の女性の温もりで心が揺れる自分が情けない。
* * *
地獄と天国を行き来する一週間だった。
関所の手前にある小さな村に到着。
ここで馬を返し、歩きで向かうことになったが――
「おいおい、ご両人。こんな所を歩いてどこへ行く気だ?」
村を出た直後、数人の男たちが道を塞ぐように声をかけてきた。
「はぁ……」
優人は分かりやすくため息をつく。
確認するまでもない。山賊だ。
王都からここまでの間にも散々遭遇した。
もっとも、組織立った山賊ではなく、チンピラのカツアゲのようなもの。
このフォーランドには、こういう輩がやたらと多い。
もういい加減、うんざりだ。
「私が誰か分かって、声をかけているのですか?」
エナが腰のショートソードに手をかけ、毅然とした声で問う。
ジールド・ルーンから派遣されている女騎士――エナ・レンスター。
この名を知っていれば、普通の山賊なら逃げる。
エナ自身が怖いのではない。彼女の後ろにいるジールド・ルーン、そしてフォーランド王妃スティアナが怖いのだ。
「知るかよ! エナの真似した女狐め!」
一人の山賊が叫び、剣を抜いて飛びかかってきた。
要するに、知ってはいるが「こんなところに本物がいるはずがない」と決めつけるタイプの輩だ。
キィンッ!
エナの剣が、山賊の剣を弾き飛ばし、その切っ先が男の喉元を捉えた。
ジールド・ルーン聖騎士団――
ジハド神の加護を得た神聖魔法、基本剣術、そして体力。
そのすべてを備えた者だけが入団を許されるという。
基本に忠実で無駄のない動き。
素人が敵うはずもない。
「……」
切っ先を向けられた男は凍りつき、身動きできない。
「エナもどきでも勝てないなら、結果は同じですよ?
それとも続けますか? こちらの和装の剣士は、私ほど優しくありませんけど」
柔らかく微笑むエナ――
しかし、その笑みが今は何よりも恐ろしい。
……普通ならここで終わるはずだった。
だが、今回は数が違う。十人。
「この数に勝てると思ってるのか?」
別の山賊がニヤリと笑いながら言う。
ダンッ!
優人が一気に距離を詰めた。
バシュッ!!
次の瞬間、山賊の首が吹き飛ぶ。
「さて……残り九人。選択肢は二つだ。逃げるか、死ぬか。もう一度だけ、チャンスをやる」
その声に、山賊たちは一斉に後ずさり、踵を返して逃げ去った。
「ふぅ……。懲りずに次から次へと……
いっそ全員斬り捨てた方が早いのかな」
血ぶりをしながら、優人がぼそりと呟く。
「そうしたところで、キリはありません。
この国の大半は元ジークフリード海賊団の船員なのですから」
エナの言葉に、優人は眉をひそめる。
「それで国が成り立つのか? 海賊にまともな生活なんてできるのかよ」
「ジークフリードは……本当の悪人ではなかったようです。
確かに罰されるべきことはした。でも、彼には彼の正義があったと――シン団長はおっしゃっていました」
ジークフリード――フォーランドの始まりに関わった男。
彼の最後の言葉はこうだったという。
『泣くな、妬むな、怒るな。笑え。それができないなら、死ぬまで戦え!』
「……死ぬまで戦え、か。それは、戦争をやめるなってことじゃないのか?」
優人の問いに、エナは首を振る。
「彼は、ジールド・ルーンの属国になるよう皆を説得したそうです。
遺恨を残さぬように……。
でもスティルやこの国の人たちは、“自分の命は自分のために使え”という自由の教えだと受け取っています」
フォーランドでは「奪いたければ奪う」「平和を望むなら村で暮らす」
それが流儀らしい。
その代わり、村や街の中では奪わないという鉄則もある。
「じゃあ、王都で起きた亜人商人殺害事件は?」
「あり得ません。国外の人間――第三勢力の仕業です。
実際、関所を奪ったデュークはグリンクス、カルマはエルンの人間でした。
フォーランドの鉄則を破るのはいつも部外者なんです」
「なるほどな……。そのジークフリードって奴のカリスマは相当だ」
話しながら歩く二人の前で、突然――
ドオオオオォォン!!
地面が震えた。
「きゃっ!」
エナが耳を押さえ、しゃがみ込む。
関所の奥――大森林地帯から聞こえた落雷の音だった。
「本当に……行くのですか?」
エナが不安そうに見上げる。
「ここまで来て、引き返したらスティルに笑われるさ」
優人が手を差し出す。
エナは少し迷ってから、その手を取って立ち上がった。
* * *
関所を抜けると、空は唸り続け、時折稲光が走る。
倒木、黒く焦げた木々、年中雷鳴が続く不気味な森。
「優人さん……一つ説明しておきます」
歩きながらエナが口を開いた。
討伐称号――竜殺し、巨人殺し、神獣殺し。
この三つは戦士の誉れであり、憧れであると語る。
「まさか、神獣殺しを狙ってるとか?」
優人の冗談に――
「違います!!」
雷のような声で即否定するエナ。
それだけ、この先に待つものを恐れている。
「……スティルの無茶振りには、ほんと苦労させられるよな」
優人はそんな彼女の横顔を見ながら思った。
さらに進む道すがら、エナはぽつりと漏らす。
「……スティルは、我が王より“心”があります」
「それだけのことを言うのに、そんなに躊躇うか?
……自分の国以外の王の方が優れていると思うのが、そんなに悪いことなのか?」
優人が静かに問いかける。
「優人さんは……人の心を見透かしたような質問ばかりしますね?」
エナは少しだけ目をそらした。
「エナのことなんて分からねぇよ。
けどな、カルマのときにも言いかけたけど――人の上に立つのは楽じゃないんだ。
人は上に立つ人間を値踏みする。
従いたくない相手ならサボるし、悪口ばかりで協力しなくなる。
逆に“この人のために”と思えば、実力以上を出す奴もいる。
でもな、上に立つ者は思ってるほど簡単に部下を切れない。
責任は全部こっちにのしかかるのに、パワハラだ何だで強く叱ることもできない時代だ。
だからこそ、上に立つ奴は、部下の分まで成長し続けなきゃ務まらないんだよ」
優人の脳裏には、かつて商社で部長職に就いていた頃の光景がよぎっていた。
部下は上司を選べる。嫌なら異動も退職もできる。
だが上司はそうはいかない。
人事に「部下を変えてくれ」と頼めば「お前の教育不足だ」と返され、
仕事をしない部下の遅れも、すべて自分の責任になる。
上司こそ、誰より孤独で逃げ場がない。
そんな現実を優人は知っていた。
「……何が言いたいんですか?」
エナが少し睨むように問う。
「その気持ちで残ってるなら、悪くない判断だ」
優人の言葉に、エナは思わず立ち止まり、涙ぐんだ。
「嬉しかったんです……私の判断を認めてもらえて」
涙を拭うエナを見て、優人は小さく息をついた。
空は雷鳴を轟かせ続ける。
それでも二人は歩みを止めなかった。




