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交界記 ―二つの世界の物語―  作者: なぎゃなぎ
第一章~地上界の剣士~

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32話~時代錯誤の神隠し子~

挿絵(By みてみん)

関所を抜けてから、すでに10日が経った。


優人も絵里も野宿には慣れたが、男所帯の旅は細かいところに気が回らない。

なかでも辛いのは――食事。


毎回の食事はすべて保存食の丸かじり。

最初こそ絵里は喜んで食べていたが、一度で飽きてしまい、それ以降は食事を抜くこともあった。

ときどき立ち寄る村の食堂での食事が、唯一の楽しみという切ない旅路だった。


エシリアが毎回調理してくれていた頃が、本当に懐かしい。


道中、たまに山賊などに襲われたが、デュークの顔を見るなり逃げ出す者がほとんど。

戦闘になることもあったが、優人を相手に敵うはずもなく、すべて瞬殺された。


優人はすでにかなり戦闘慣れしており、峰打ちで骨をへし折って無力化させる余裕すら出てきた。

もともと戦闘技術を持っていたこともあり、素人に毛が生えた程度の敵など、もはや相手にならない。


今の優人にとって、山賊は挑発でもなんでもなく、本当に「3万ダームの的」にしか見えなくなっていた。

それでも次々と現れる山賊には、さすがに辟易としていた。


そんななか、ヘファイストスは肝の据わった馬で、襲撃を受けても落ち着いた態度で動き、敵の攻撃をうまくかわしてくれる。

そのおかげで、優人は絵里を安心して馬車に残しておけた。


そして今、優人たちは王都から1日ほど離れた森の中でキャンプを張っていた。


「ちぇえええええええええええすとぉおおおおおおーーーっ!!」


ドカッ!


バサササッ!!


すさまじい掛け声とともに、何かを叩き斬る音と、木が倒れる音が響き渡った。


「な……何?」

絵里が優人のすぐ横まで駆け寄り、怯えた様子で尋ねる。


「見てくる」

デュークがすっと立ち上がった。


優人も刀を差し、戦闘の準備を整える。

ヘストスは「鎧を着るのは面倒だから」と、絵里と共に待機することにした。

……まあ、なんというか、ヘストスは色々と役に立たない。


優人がデュークに追いつくと、彼は木陰から何やら人影をじっと見つめていた。


「山賊か?」

優人が小声で尋ねる。


「いや……剣の稽古をしているようだ」

と、デューク。


「稽古? こんな時間に? こんな場所で?」

明らかに不審者である。


優人は隠れるのをやめ、堂々と稽古中の男の方へ近づいていった。

するとその男も稽古の手を止め、優人たちへと視線を向けてきた。


男の姿は、優人と同じく和装の侍だった。

手には日本刀――それも、優人の居合刀よりさらに長い野太刀を持っている。


今どき現役で野太刀を使う人間を見るのは、初めてだった。


「お? こんな時間に誰じゃ?」

男は刀を納め、優人に声をかけてきた。


顔立ちは若く、利発そうな雰囲気。

細身に見えるが、あの野太刀を振るうには相当な筋力が必要だろう。

しかも、一刀で直径10センチほどの木を真っ二つにしていた。


剣の腕も、かなりのものと見える。


「俺は水口優人。あなたは?」

優人は無用な戦闘を避けるため、声のトーンを柔らかくして名乗った。


「わしは、鈴木虎太郎。

……で、こんなところで何をしとるがじゃ?」


虎太郎と名乗った男は、なおも警戒を解かずに問いかけてくる。


……いや、不審者はどう考えてもお前のほうだろ……。

心の中でツッコミながらも、優人は落ち着いて状況を説明した。


旅の途中で、たまたまこのあたりでキャンプしていたところ、声を聞いて様子を見に来たのだと話すと、虎太郎は納得し、ようやく警戒を解いてくれた。


「ふむ……それは驚かせてしもうたの。

許してくれ。して、おんしはどこの藩じゃ? わしと同じ“神隠し子”か?」


この訛り――土佐……いや、高知あたりか?


だが、日本に藩など存在していたのはとっくの昔。今の時代にはない。

優人は虎太郎の素性がわからず、内心困惑した。


「ああ……俺は千葉県。

虎太郎は、どこの藩出身なんだ?」


優人が尋ねると、虎太郎は少しきょとんとした表情を見せた。


「千葉県? なんじゃそれは?

……わしは、薩摩でごわす」


……いや、違和感がすごすぎるだろ!?


優人は内心でツッコミを入れながらも、冷静に虎太郎を観察する。


虎太郎の方言はどう考えても土佐のもの。

だが、剣術は薩摩示現流のようだ。

掛け声や、木を一刀両断した動きを見れば、それは明らかだった。


わざわざ藩をごまかす理由は何だ?

それに、藩制度は明治維新後に廃止されている。

ということは、この男――もしかして、時代そのものが違う神隠し子なのか?


優人は考えを巡らせた末、とりあえずこう答える。


「俺は佐倉藩だよ。……下総の国って言ったほうが分かりやすいかな?」


とは言ったものの、優人も廃藩置県前の千葉の藩構成までは覚えていない。

そこは適当に流すしかなかった。


「ふむ……佐倉か。

……開国か? 討幕か?」


虎太郎の目が鋭くなる。

普通なら聞きにくい政治的な思想の話を、唐突に問いかけてきた。


――いやな質問だった。


幕末の日本では、この思想の違いが戦争にまで発展したほどだ。

今の優人にとっては、正直どうでもいいことだが、虎太郎が本当に幕末の侍なら、この問いは敵味方を見極める判断材料になる。


しかも、土佐藩は状況によって主義を変えたことでも有名で、どちらに合わせるのが正解か分かりづらい。


そこで優人は、最初に虎太郎が名乗った“薩摩”に話を合わせることにした。


「俺は開国派だな。……あんたは?」


「俺は……」

虎太郎が言葉を詰まらせる。


その様子で、優人は彼の正体にある程度見当がついた。


「土佐勤王党だな。……なぜ薩摩の剣を使う?」


その問いに、虎太郎の表情がピクリと動く。


「……わしは、土佐の下級郷士じゃ。

剣の修行で薩摩へ出かけているうちに、薩摩藩の仕事を手伝うことになったんじゃ。

その仕事が……長州討伐じゃった。

けんど、長州は土佐勤王党とつながっちょる。

どうしたらええかわからんなって、京で逃げようと思うたんじゃ。

そしたら……気づけばここにおった。

……土佐勤王党は、どうなったがじゃ!?」


虎太郎の説明を聞いても、優人の中にはどうしても腑に落ちない部分があった。


まず、剣術修行で他藩に行くには、藩主の許可が必要だ。

しかも、当時の土佐藩主・山内容堂は、薩摩を毛嫌いしていたはず。

そんな相手に下級郷士を修行に出すとは考えにくい。


さらに土佐藩では、「郷士は侍にあらず」と揶揄されるほど差別があった。

そんな扱いの者が、他藩の軍事任務に参加するなど、まずあり得ない。


つまり、虎太郎の話は明らかに矛盾している。

おそらく、彼の言葉で真実なのは――「土佐勤王党にいた」ということだけだろう。


優人は、あえて史実をそのまま伝えることにした。


「……解散したよ。

竹内瑞山は切腹を命じられた」


「なんじゃと!? 切腹!? なぜじゃ!?

先生は土佐のためにやったがじゃ!!

誰が、誰が切腹を命じたんじゃ!?」


虎太郎が優人に詰め寄ってくる。


その激しい反応からも、彼が本当に土佐勤王党にいたことは間違いないと確信できた。


土佐勤王党の党首・竹内瑞山は、白札郷士のまとめ役であり、土佐藩の下級士族から絶大な信頼を集めていた人物だ。

彼のおかげで差別されていた郷士たちの待遇は大きく改善された。

そのため、彼を「先生」と慕う者も多かった。


「……お殿さんだよ。

岡田以蔵を使って、吉田東洋を討っただろ?

あれで恨みを買ってたんだ」

優人は淡々と答える。


「……そ、そんな……。

わしが、こんなことしとる間に……

くそ……なんでじゃ……なんでじゃ……」


虎太郎は地面に座り込み、震える手で顔を覆った。


この時代、特に土佐藩においては、藩主と下級武士との間に厳しい身分の壁があった。

切腹を命じられた竹内瑞山のような人物は、下級武士にとっては神にも等しい存在だったのだ。


だが、命を奪ったのは、その“神”である藩主自身。

本来であれば恨んでもいいはずだが、土佐の郷士たちは、それすら許されない。

――君主は神聖不可侵であり、恨むなどあり得ないのだ。


「おい……なんなんだ?」

デュークがそっと近づいてきて、優人に小声で問いかけた。


「200年前の、俺の国の人間だ」

優人も小声で返す。


「200年前? ……でも、まだ若いよな。

絵里と同じくらいの年に見えるが」


「……タイムトラベルってのも、神隠しにはあるのかな?」

優人が首を傾げる。


「そんな話、聞いたことねぇぞ。

地上界から天上界に来る――それだけだと思ってたが」

デュークが渋い顔で答える。


「ねぇ、大丈夫?」

今度は絵里がやってきた。


「ああ……」

優人がうなずく。


「あれ? お侍さん? 泣いてるの?」

絵里が虎太郎に気づいて小声で尋ねてくる。


「ああ……」と優人。


「ご飯、冷えちゃうから行こうよ。

君も、おいで」

事情を知らない絵里が、虎太郎に優しく声をかける。


「わしは……いらん!」

虎太郎は感情的に言い返した。


だが、それで「はい、そうですか」と素直に引き下がる絵里ではない。


案の定、絵里はずかずかと虎太郎のもとへ歩み寄り、服をぐいっと引っ張って立たせようとする。


「優人さん、こいつが剣を抜いたらぶっ飛ばしてね」


「お、おう……」


絵里は虎太郎をキャンプ地まで引き連れ、保存食を一枚手渡した。


……あれ? さっき「ご飯が冷える」って言ってたような……?

優人は内心で絵里にツッコミを入れる。


「おんしは、男心っちゅうもんを知らんのか?」


保存食を受け取りながら、虎太郎が絵里に絡む。


「なにそれ、おいしいの?」

絵里は涼しい顔で返す。


「知るかーっ!!」

虎太郎が思わず怒鳴る。


「ふーん、じゃあこれはおいしいから食べてみて」

そう言って、絵里は虎太郎の口に保存食をぐいっと詰め込む。


「……お、おう……」


虚勢を張ってはいるが、虎太郎はまだ若い。

絵里相手ではまったく歯が立たず、完全にペースを握られていた。


優人がデュークと目を合わせると、デュークもどこかほのぼのとした顔でその様子を見ていた。


その後、虎太郎は「王都へ向かう途中だった」と語るが、別に用事があるらしく、ここで別れることになった。


夜が明け、優人たちは王都へ向けて旅を再開する。

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