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交界記 ―二つの世界の物語―  作者: なぎゃなぎ
第一章~地上界の剣士~
2/63

1話~神隠し~

挿絵(By みてみん)

優人が目を覚ますと、そこは堅く冷たい床の上だった。


今まで意識を失っていたのだろう。


うつ伏せに倒れていた優人は、頬に伝わる冷たさで目を覚ました。


だるそうにゆっくりと体を起こしながら、自分が何をしていたのかを必死に思い出そうとする。


(俺は確か、道場で居合の稽古をしながら、自問自答をしていた……)


衣服を確認すると、確かに居合袴を着ており、腰には居合刀も差してある。記憶に間違いはない。


「ここはどこだ?」「なぜここにいる?」


周囲から不安げな声がいくつも聞こえてくる。


(自分の居場所が分からない?)


優人は周囲の声に耳を傾け、不審に思いながら辺りを見回す。


ここは、コンクリートのような材質でできた小さな部屋だった。

四角く綺麗に開けられた穴が壁にあり、おそらく元々は窓や扉だったのだろう。風化によって崩れてしまったのかもしれない。


それ以外には何もない。面白味もなく、まるで遺跡の一室のような、質素で古びた部屋だった。


数人の男女が、不安そうに周囲を見渡している。

どうやら彼らも、優人と同じように「気がついたらここにいた」という様子だ。


(……。)


優人自身も、なぜ自分がここにいるのかまったく分からない。

どれほどの時間、気を失っていたのだろうか?


「ここは……どこだ?」


自分でもそうつぶやいた優人は、ふっと小さく笑ってしまった。

目を覚ましたとき、周囲の人々が口々に言っていたのとまったく同じ言葉を、自分も思わず口にしてしまったからだ。


――その滑稽さが、妙に可笑しかった。


そんな優人に気づき、ひとりの中年らしき男性が声をかけてきた。


「私は田中正義と申します。あなたは何とお呼びすればよろしいでしょうか?

それと、ここがどこか……ご存じですか?」


田中と名乗ったその男に気づき、優人はゆっくりと立ち上がって答える。


「水口優人です。……ここがどこかは、自分も分かりません。前後の記憶も、曖昧で……」


「そうですか……。参ったな……仕事がまだ残ってるってのに……」


優人の答えを聞いた田中は、あからさまに機嫌を悪くし、ブツブツと文句を言いながらその場を離れていった。


紺色のスーツをピシッと着こなした中年男性。その姿からは、仕事中だったことが容易に想像できる。


ということは――彼は、ここに来る直前まで意識があったのではないだろうか?

それでも「なぜここにいるか分からない」と言うのなら……


(サボって寝てたってとこか……)


そういう人間に限って、都合が悪くなると「仕事があるのに」と文句を言う。

優人はそういうタイプの人間を、これまでに数多く見てきていた。


「あの……とりあえず自己紹介でも、しませんか?」


細身の男性が、恐る恐る提案した。


「そんなことして、何になる! どうせ誰も状況なんて分かってないのに!」


先ほど優人に声をかけた小太りの田中が、すかさず反論する。細身の男に食ってかかるその様子は、苛立ちをぶつけているようにしか見えなかった。


(自己紹介くらい、しても損はないだろうに……。あれはただの八つ当たりだな)


「私は伊藤紗季。東京のレストランでバイトしてるわ。

いいじゃない、別に自己紹介くらい。

逆に名前も知らない人たちと一緒にいる方がストレスでしょ?」


そう言ったのは、化粧の濃い女性だった。年の頃は20代半ばといったところか。

大きなあくびをしながら話すその姿勢には、どこか品のなさが漂っていた。


「をを! 紗季ちゃんっていうんだね?

私は田中正義と言います。東京の飯田橋にある商社で部長をしています。

当然ながら年収は1000万を超えているよ。困ったことがあったら相談してね」


伊藤という女性に反応し、田中の態度が急に上機嫌になるのが見て取れた。


(典型的なセクハラ・パワハラ上司の思考回路だな……)


初対面で年収自慢とは――

優人は心の中で「心底、関わりたくないタイプ」と断じた。


「あっ……私は高橋純一です。

ウオセンで板前をしています。よろしくお願いします」


細身の男性が、焦るように自己紹介を続けた。


「えぇ! ウオセンって、あの銀座の一等地にある!?」


伊藤が目を輝かせて反応する。


「あ、はい」


「ねぇ、今度おごってよ〜〜〜!」


ウオセンとは、美味しいと評判の寿司屋の名前だ。

この高橋という男は気は弱そうだが、腕の良い料理人なのだろう。


「チッ……わざわざ店の名前まで言わなくてもいいだろ……

いけすかねぇ男だな」


田中が、聞こえるように高橋に文句を漏らす。


「わ、私は星崎絵里です。14歳です……」


制服姿の少女が、緊張しながら小さな声で自己紹介をする。


「水口優人です。総合卸売問屋の本部勤務です」


流れに乗って、優人も簡単に自己紹介を済ませた。


「ねぇ、その腰につけてる刀って本物?

コスプレにしては……年考えた方がいいって感じなんですけど?」


伊藤が半笑いを浮かべながら聞いてくる。


「試してみます?」


優人は無表情で伊藤に返す。


「え……こっわ……」


伊藤はあからさまに引いた仕草を見せた。


「本物なら通報案件ですねぇ」


田中がニタニタしながら口を挟んでくる。


(全日本剣道連盟に有段者として登録されてるし、刀の所持資格も取ってる。通報しても無駄なんだけどな……)


優人は心の中でそう思ったが、黙って窓の外に目を向けた。


鬱蒼とした木々。伸び放題の雑草。

ここは、どこかの森の奥深くなのだろうか――


(本当に、どうやってここに運ばれてきたんだ……?)


誰かに運ばれたのだとしたら、相当な労力のはずだ。

衣服に乱れもなく、腰の刀もそのまま残っているというのは、どうにも腑に落ちない。


まるで――説明のつかない、現実感のない感覚。


優人は頭を巡らせ、自分の身に何が起こっているのかを必死に考えはじめた。



数分後――

一瞬、風が吹いたかと思うと、部屋の中心がぼうっと淡く光り、一人の女性が現れた。


『あなた方は、突然このような場所に呼ばれ、状況が把握できないことでしょう。

これは、あなた方の世界で言う“神隠し”というものです』


頭に直接言葉が流れ込んでくる。言葉というより、意思のようなものが脳内に響く感覚だった。

部屋の中がざわめき始める。


「まず……あなたは誰ですか?」

田中が代表するように声をかけた。


『私はシエラ。あなた方の世界で言えば、“女神”のような存在です』


再び脳内に響く声。


「ぷっ……」


突拍子もない説明を真顔で語るその様子に、優人は思わず吹き出してしまった。


「それじゃあ、女神……様?

さっき“あなた方の世界”って言ってましたが、ここはどこの世界なんですか?」


自称女神をからかうように聞くと、シエラは顔を真っ赤にした。


『だ、だって他に言いようがないじゃないですか!?

今、あなた私のこと“中二病のイタい女”って思ったでしょ!?

わざわざ分かりやすく説明してあげてるんですからね!』


――脳内に直接、早口の文句が流れ込む。


「……」


優人は冷ややかな目で、シエラの顔をじっと見る。


(……頭は、あまり良くないな)


この程度で動揺し、勝手に怒っている時点で、その程度だ。


優人は、あえて煽るように続けた。


「質問の答えになってませんよ?

つか、そんなことでいちいち動揺しないでくれません?

せっかくの幻想的な演出が、台無しでしょ」


「“幻想的な演出”とか言わないでくださいっ!

これは“テレパシー”という古代の魔法ですっ!!」


今度は普通に口で話し返してくるシエラ。


「なんで喋ってんの!? さっきまでの頭に直接語りかけるやつ、どうした!?」


「あなたが“幻想的な演出が台無し”とか言うからやめたんです!!

神隠しにあった地上界の人たちが、なすすべもなく死なないように、

こうして次元の歪みのある場所を巡って説明してあげてたのに!

あなたのせいで、“美しい女神”という私のイメージが崩れたじゃないですか!!

これじゃあ、皆さん私の言うこと信じられなくて、死んじゃいますからね!!」


延々と文句を垂れ流すシエラ。


「……知らんがな。何、イメージって。

こんな状況で、それ必要? バカなの?」


あまりにも幼稚な主張に、優人も本気でからかい始める。


「ムキィーーーーー!!!

バカじゃありませんっ!!

バカは魔法なんて使えないんですからね!?

あなたは魔法使えるんですか!?」


(……もう女神の面影、ゼロ)


「使えるか!そんなもん必要ない世界で生きてきたんだよ!

つか、お前こそ。大学ぐらい出てんだろうな?」


「な、なにそれ? “大学”?

そんなもん、ここには存在しまっせ~ん♪

そんなことも知らないなんて、あ~……恥ずかしいっ!」


「……あの、女神さま」


二人の口論に割って入ったのは、またしても田中だった。

少しばかりうんざり気味ではあるが、彼の言葉はようやく本題を引き戻した。


「話が進みませんので、教えてください。私たちは……どうすればいいのでしょうか?」


その言葉に、シエラは咳払いをひとつして気を取り直す。


『――ここは、天上界といいます。

あなた方が元いた世界は、私たちの言葉で“地上界”と呼ばれています』


(いまさらまたテレパシーかよ……)


優人は心の中でツッコミを入れつつ、黙って続きを聞く。


『地上界の言葉に置き換えるなら、ここ“天上界”は――生と死の狭間とも言える世界です。

地上界で命を落とし、魂が昇ってきた者たちは、この世界で滅すると魂が“離散”し、消滅します』


「えっ……じゃあ、俺たち、死んだってことですか?」

田中が思わず声を上げた。


『いいえ、違います。

あなた方は“神隠し子”――つまり、生きたままこの天上界へ迷い込んでしまった存在です』


『もともと天上界と地上界は、ひとつの世界でした。

けれど、ある時に起きた大きな争いによって、天地は分かたれました。

本来一体であったものを無理に引き裂いた結果、世界の間には“ゆがみ”が生じ、

その影響で、ごく稀にあなた方のような被害者が現れてしまうのです』


「……じゃあ、元の世界に戻る方法は、あるんですか?」


田中の問いかけに、シエラは静かに答えた。


『方法は――存在します。

ですが、“次元異常”がいつ、どこに発生するかは不明です。

そのため、戻れる可能性は極めて低いと言えるでしょう』


田中は、わずかに顔を伏せ、力なく呟いた。


「……つまり、ほぼ絶望的ということですね」


優人は、そんな彼の様子をちらりと見やる。


(今だけ見れば、まぁ女神っぽいな)


淡く光る姿と、整った顔立ち。気品ある所作も手伝って、黙っていればたしかに“女神”然としている。


(……もう手遅れだけど)


再び優人が口を開く。


「まあ、だからって、こんなところで立ち尽くしてたら、

さっき言ってた“神隠し子の無駄死に”ってやつになるんだろ?

そのために説明しに来たんだよな? で、俺たちは何をすればいい?」


シエラは頷き、続けた。


『この部屋を出れば、山の中腹に出ます。

山を下りれば、小さな村があります。まずはそこを目指してください』


『その村で情報を集め、どう行動するかを決めるといいでしょう。

その後、天上界で暮らすか、地上界への帰還を目指すかは、あなた方の自由です』


『……ただし。道中には、山賊や獣の類が現れることがあります。

くれぐれも、お気をつけくださいませ』


「……あれ? 一緒に来てくれないんですか?」


優人の問いに、シエラは勢いよく首を横に振った。


「ぜっっったいイヤですっ! ばーかばーか!」


そう叫ぶと、彼女の身体が淡い光に包まれ、次の瞬間にはその姿ごと、掻き消えた。


「……あの糞女、次会ったらぶっ飛ばしてやる」


優人は深くため息をつきながら、頭を軽く掻いた。



シエラが姿を消すと、部屋の中には再び静寂が訪れた。

その内容はにわかに信じがたく――しかし、彼女が実際に見せた“魔法”の存在が、それを否定できない現実へと変えていた。


夢だと片づけるには、あまりにも明確すぎた。


優人は、冷静さを保ちながら頭を整理し、周囲の様子を改めて観察する。


(……やっぱり、信じられないよな)


周りの人々もまた、混乱と不安を押し殺しながら、どこか呆然とした表情を浮かべて立ち尽くしていた。


その中で、優人はシエラの最後の忠告を思い出す。


『道中、山賊や獣の類が現れると思いますので、くれぐれもご注意くださいませ』


(……つまり、戦闘の可能性があるってことか)


優人は自然と、腰の刀に手を添える。


その刀――名を『九紋』という。


初段審査を合格した日、亡き師匠と共に選んだ、三十万円の一振りだ。

銘は入っていないが、優人にとっては“相棒”とも呼べる特別な存在である。


彼は地上界で居合術という武術を学んでいた。


居合とは、その場から大きく動くことなく、静かに、速やかに相手を斬る技術――

無音で相手を倒す、いわば“静の剣術”。

優人が学んだのは、室町時代に天狗から伝えられたとされる流派、夢想神伝流だった。


(……久しく使ってないが、やるしかないか)


優人はおもむろに、刀を帯の中で“ぐりぐり”と動かす。


これは鞘と帯を馴染ませ、抜刀時に引っかかるのを防ぐための動作。

一度でも抜く必要が出てきたとき、剣速は生死を分ける。


(……山を下りれば村がある、か)


優人はふと、足元の袴に目を落とす。


(この広がりじゃ動きづらいな。紐か何かでまとめたいけど……)


あたりを見渡すも、紐になりそうなものは見当たらなかった。

ため息をひとつつく。


「……はぁ」


そうして、優人は無言のまま歩き出し、部屋を後にしようとした――



優人が部屋を出ようとしたそのとき、


「ちょっと、君!!」


呼び止めたのは、やはり田中だった。


(またお前か……)


優人は顔をしかめ、無言で振り返る。


「君、ひとりで下山する気か? 救助を待った方がいいんじゃないのか?」


そう言う田中の顔には、どこか他人任せな不安が滲んでいる。


優人はため息をひとつ吐いて、淡々と返す。


「さっきの話、聞いてなかったんですか? 

シエラは情報だけ伝えて、俺たちを見捨てて消えました。

つまり――あれが“最後の救援”だったってことでしょう」


言いながら、部屋の中を見渡す。


「ここに食料はない。救助が来る保証もない。

なら、あの女神(?)が唯一言った“山を下りろ”って助言に従うしかないと思いません?」


それでも田中は食い下がる。


「だ、だったら……せめて、その刀を置いていってくれないか?」


「……は?」


「そ、そうよ! その刀さえあれば、私たちだって――!」


伊藤も声を荒らげ、田中に続いた。


だが優人は眉ひとつ動かさず、低く静かな声で返す。


「この刀は譲れません。俺にとっては、大切な相棒です。

それに、使い方も知らない人間に渡したところで、役に立つとは思えないので」


「じゃあ、私たちはどうすればいいのよ!?」


伊藤がヒステリックに叫ぶ。


優人は一度目を伏せ、そして顔を上げ、全員に向かって告げる。


「俺は居合術はやっていたけど、人を守ったことなんてない。

だから、守れる保証はない。……でも、一緒に来るなら、できる限り守る努力はする。

村に着いたら、助けを呼ぶ方法も探してみる。

ここに残るか、一緒に来るか――それは、自分で判断してくれ。

……命は、自分で守るしかない」


沈黙。


誰も何も言わず、目を逸らすように黙りこむ。


優人は「やっぱりな」とでも言うように小さく舌打ちし、部屋を出ようと背を向けた――その時。


「私、行きます!!」



背後から響いた少女の声に、優人はハッと立ち止まる。


振り返ると、制服姿の少女――星崎絵里がまっすぐにこちらを見ていた。


その目には、はっきりと覚悟の色が宿っている。


「……わかった。準備をしてくれ」


少しだけ圧倒されながら、優人は答えた。


* * *


部屋を出ると、外の空気が一気に肌に触れる。


森は鬱蒼と草木が生い茂り、数十年、人が足を踏み入れていないような様子だった。


足元の雑草は伸び放題で、道らしい道は見当たらない。


優人は静かにその場を歩き、振り返って建物の外観を確認する。


ボロボロに風化したコンクリートの壁。つたが絡みつき、天井は崩れかけていた。


(……外観は廃墟同然、なのに中はやけに綺麗だったな)


まるで誰かが“中だけ”を意図的に維持していたかのような違和感――


(何かあるのか、それとも偶然か……)


そんなことを考えていると、背後から声がかかる。


「あの……ここから、どうやって村まで行けばいいんでしょうか……?」


声の主は絵里だった。先ほどとは打って変わって、少し不安げな表情を浮かべている。


「ん……そうだな」


優人も周囲を見渡しながら歩き出す。


目を凝らすと、草木の間にわずかに踏みならされたような“獣道”が一本、伸びていた。


それが本当に村へと続いているかはわからない。


ただ――


「……動かないまま、あの部屋に残ってるってのは選べない。

俺たちは進むしかない」


優人がそう言うと、絵里は一度大きく息を吸い込み、小さくうなずいた。


そして二人は、誰もいない静寂の森へと足を踏み入れた。


――

新たな世界の始まりを、わずかに震える足で踏みしめながら――。

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