10話~敗北~
目前に広がる広大な草原には、ところどころ木々が生い茂り、小鳥たちのさえずりがまるで歌のように聞こえてくる。
その草原をまっすぐ貫くように、一本の街道が延びていた。
太陽の光がまぶしく降り注ぎ、ときおり吹き抜けるそよ風が心地よさを運んでくる。
村を出た優人たちは、その土を固めただけの素朴な街道を歩いていた。
舗装されているとはいえ、山道に比べればマシという程度の道だ。
後ろでは、絵里とエシリアがすっかり打ち解け、ガールズトークに花を咲かせている。
* * *
歩きはじめて一時間ほど経った頃、優人はある違和感を覚え始めていた。
街道だというのに、まったく人とすれ違わないのである。
「街道って、こんなに人通りが少ないもんなのか?」
ガールズトークの合間を縫って、優人が割り込む。勇気ある一言だった。
「いいえ。ふつうは行商人や冒険者が行き交って、もう少し賑やかですよ」
と、エシリアが答える。
「ってことは、何か良からぬことが起きてるってわけか?」
優人が眉をひそめる。
「はい。今このフォーランドでは、奴隷商人と王政との間で内乱が起こっていて……。
その混乱に乗じて、山賊が関所を占拠してしまっているんです」
エシリアの表情が曇る。
「関所を山賊が?」
優人は思わず聞き返した。
関所といえば、本来は山賊のような無法者の出入りを取り締まる場所だ。
そこを山賊に占拠されるとは、よほど国の中枢が機能していないとしか思えない。
「はい。この国は四つの地域に分かれていて、それぞれの境に関所が設けられています。
現在、この山岳地帯の関所が山賊の手に落ち、地域ごと孤立してしまっている状態です」
「……つまり、山の幸を売りに行くことも、海の幸を買いに行くこともできないってことか」
絵里が話に加わる。
「はい。その影響で行商人は稼げず、冒険者も山賊狩りや獣退治しか仕事がない状況ですね。
優人さんたちの旅も、関所までは行けても、それより先にはしばらく進めないかもしれません」
申し訳なさそうに、エシリアが言った。
「……関所の山賊を倒すって選択肢は?」
優人は旅を諦める気はなかった。むしろ、その先にこそ進みたい理由がある。
「山賊の中に、ひときわ強い人物がいるらしいんです。
確か、デュークという名の大剣使いで……。過去に賞金が五百万ダーム懸けられていました」
「五百万!?」
あまりの額に、優人も思わず声を上げる。
「はい。過去に名だたる冒険者が挑みましたが、全員返り討ちにされたそうです」
──大剣、か……。
優人は頭の中で、さまざまな可能性をめぐらせる。
グレートソードか、ファルシオンか──日本でいうなら「斬馬刀」に相当するだろうか。
戦国時代、馬ごと敵をなぎ倒すために作られたとされる大剣。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本の大太刀を朝鮮側が「斬馬刀」と呼んだのが始まりらしい。
そんな大剣使いと、間合いで勝負する居合剣士の優人とでは、相性が悪すぎる。
リーチで大きく劣る上、斬馬刀は刀身全体が刃となっており、回避しても致命傷を負う可能性が高い。
──問題は、そのデュークという男がどこまで武器を使いこなせているかだ。
ただ振り回すだけの素人なら、優人にとっては的が大きいだけの存在だ。
だが、賞金額と実績を考えると、そう簡単な相手ではないのは明白だった。
「まさか……戦うつもりじゃないですよね?」
エシリアが不安げに尋ねる。
「倒さなきゃ、前に進めないんだろ?」
優人が言うと、エシリアの顔がこわばった。
その表情だけで、彼女が「やめてほしい」と思っているのが伝わってくる。
「日本にも、大太刀を扱う剣士がいてね……。
最強なんじゃないかと思って試そうとしたことがあるんだ。
でも、あれは骨が折れるからやめとけって言われてさ」
優人は自嘲気味に、昔の話をする。
「大剣は攻撃パターンが少なく、斬り返しも重くて遅い。
俺と同じ剣速で振ろうとすれば、どんなに鍛えてても手首や肩に限界がくるはずだ。
一気に間合いを詰めて、利き腕の筋を断てれば、もう振れない。
……狙い目はそこだな」
優人の脳裏に、対デューク戦のシミュレーションが浮かぶ。
斬撃をかわすのは斬るより難しいが、欠点が見えれば見切る自信はある。
「関所までは、ここから10日ほど離れた街を経由して、さらに半日歩いた場所です。
それまでに作戦を練りましょう。
……優人さんが戦うというなら、私が後衛を務めます」
エシリアが折れるように言った。
「あなたが少しでもデュークの注意を引いてくれれば、私の魔法で隙を作ります」
──なるほど。これが、ファンタジーの戦い方か。
優人は頭の中で、ポンっと手を打つ。
* * *
日が暮れ始め、一行は街道の脇にキャンプの準備を始めた。
エシリアは荷物から鍋を取り出すと、杖に手をかざし、水の塊を生み出して鍋に注ぐ。
さらに杖を振るうと火が灯り、鍋の底に炎がともる。
彼女は保存食の肉や野菜を包丁で切り、丁寧に鍋へと加えていく。
最後に麺のようなものを入れ、塩と胡椒で味を整えたあと──
「はい、どうぞ」
と、優人に差し出してきた。
優人は受け取ったお椀の中身を一口すする。
「……うまい!」
保存肉はしょっぱくて硬い、という印象しかなかった。
それを煮込むだけで、ここまで食べやすくなるとは。
10日間ずっとあの堅い肉をかじり続ける覚悟をしていた優人にとっては、嬉しい誤算だった。
「保存食って、こうやって食べるんですね。俺、ずっとそのまま噛ってました」
「え?いつ食べたの? ずるい!」
絵里が的外れな抗議をしてくる。
「お前が寝てたときだよ。田中たちを助けに行った夜。
それに言っとくが、そのまま食べても塩辛くて不味いだけだったぞ」
優人が言い返すと、絵里は口をとがらせる。
「ぶー!」
「ふふ……普通はそのまま食べる人が多いみたいですね。
でも私は、どうせ食べるなら美味しく食べたいと思って、いろいろ工夫してるんです」
エシリアが穏やかな笑顔で話す。
「それは嬉しい。これからの10日間が楽しみになってきた」
優人の言葉に、エシリアは「恐縮です」と微笑んだ。
──絵里が、10日間ずっと堅い保存食だけだったら、どんな顔をしただろう?
ふとそんなことを考える優人。
気づけば、神隠しにあった5人の中で、絵里がいちばん優遇されていることに気づく。
食事が終われば、次は見張りの番だ。
野宿では襲撃に備え、誰かが交代で見張るのが基本。
優人は交代制を提案したが──
「2人寝てて1人起きてるとか、さみしいじゃん! 絶対いや!」
絵里の謎理論により、最初は絵里とエシリアの2人で見張り、
そのあと優人が1人で見張るという不公平な分担に決まった。
渋々マントを布団代わりにして横になると、優人の耳には遠くからガールズトークが届く。
気になるが……体力温存を優先して、目を閉じた。
「優人さん、交代〜」
絵里に揺り起こされ、優人は眠い目をこすりながら立ち上がる。
「ここで寝るのか?」と尋ねると──
「うん。男子はあっち行って!」
追い払われるようにして、優人はさっきまで彼女たちがいた場所に移動する。
鍋には夕食の残りと、温かい紅茶が用意されていた。
「……こういう気遣い、滅茶苦茶萌えるよな……」
エシリアが温め直してくれた紅茶をすする。
──そして、この夜も誰にも襲われることなく、朝を迎えた。
* * *
その後の道中、2日目の夜と7日目の昼にそれぞれ10人ほどの山賊に襲われたが──
優人とエシリアのコンビ、そして目覚ましい成長を遂げた絵里の働きにより、
どちらもあっさりと返り討ちにすることができた。
特筆すべきは絵里の魔法の上達だった。
四大風水──地・水・火・風の物理操作を身に付け、
さらに「優しく流れる水の癒しの力」も使えるようになったのだ。
優人も元素魔法による防御強化を習得したが、
魔法に関しては完全に絵里に後れを取っている。
「これが若さか……」と、優人は内心で言い訳した。
やがて、一行は目的の街に到着した。
山の村よりも人通りは多く、表面上は活気がある。
だが、行き交う人々の顔には疲弊と陰りが見えた。
「……やっぱり、この街は山賊の被害が一番深刻ですからね」
エシリアがぽつりと呟く。
「何とかしたいよな……。とりあえず今日は酒場で一休みして、それから関所攻略を考えよう」
優人の提案に、絵里とエシリアも頷いた。
酒場でこれまで倒した山賊15人分の証を渡すと、報酬は45万ダーム。
だが、マスターは「デュークじゃないんだよな……」と寂しげに呟く。
その夜、エシリアは師匠の家に泊まり、優人と絵里は別々の部屋を取った。
初めての「別々の部屋」に、絵里は少し名残惜しそうにしていたが──
静かにそれぞれの夜を過ごした。
* * *
翌朝、エシリアは早くから酒場に姿を見せた。
いつものローブではなく、皮製の軽鎧に身を包み、戦闘への覚悟が伺える。
朝食を取った三人は、街から少し離れた小さな村に向かう。
その先に、関所がある。
──そして、ついに関所の姿が見えた。
高い塀に囲まれた要塞のような構造。
100メートルほど手前の開けた場所には、2人の門番が立っている。
エシリアが双眼鏡のような道具を優人に手渡した。
門番の武器は槍。
手入れが行き届いている。
──今までの山賊とは格が違う。
「とりあえず、門番の2人は俺が片付けてくる。待っててくれ」
優人は言い残し、門に向かって走り出した。
優人は全力で門番へと駆け出した。
陸上部仕込みの脚力で、まるで矢のように一直線に突き進む。
──しかし、その時だった。
「ドスッ!」
乾いた衝撃音とともに、地面が突然近づく。
「なっ……!」
何が起こったのか分からず、優人は両手で必死で体を支える
──右の太ももに、矢が突き刺さっていた。
「矢……!?どこから……!?」
視線を巡らせると、関所の右手にある物見櫓から、弓を構える山賊が3人。
次の瞬間──
「シュンッ! シュンッ! シュンッ!」
3本の矢が一斉に放たれる。
居合刀とショートスピアで何とか受け止めるが──
「ドスッ!」
一発が右肩に命中。
激しい痛みに、手から槍が滑り落ちた。
──第3波が来る。
「まずい……詰んだ……!」
優人は死を覚悟し、目を閉じた。
肩の痛み、太ももの激痛で思考が朦朧とする。
そして、ふと頭をよぎるのは──
(俺に斬られた奴らも、こうして何もできずに終わったんだろうか……)
(……綾菜……会いたかった……)
その時だった。
地面が鳴動し、視界が暗くなる。
死の感覚かと目を開くと──
「っ!?」
目の前には土の壁が聳え立っていた。
優人の体がふわっと浮かぶ。
風に抱かれたように軽やかに。
「絵里ちゃん!矢を刺したまま優人さんを引っ張って! 槍も忘れないで!
右肩はダメ!左腕を使って!!」
エシリアの声が飛ぶ。
彼女は風水魔法の「地」で盾を作り、さらに「風」で優人の体を浮かせたのだ。
絵里は歯を食いしばりながら駆け寄り、優人の左腕を引き寄せる。
「エシリアさん!この後どうすればいいの!?私、何すればいい!?」
泣き声交じりに必死で問いかける絵里。
「このまま村まで逃げるわよ!落ち着いた場所で優人さんの治療をしなきゃ!!」
いつもの穏やかな口調ではない。
エシリアの声には焦りと必死さがにじんでいた。
村までは決して近くはない。
だが、絵里とエシリアは懸命に、息を切らしながら、優人を連れて走った。
* * *
──数十分後。
ようやく酒場の扉が見えてくる。
優人の意識は朦朧としながらも、彼女たちの声と体温だけははっきりと感じていた。
(……生きてる……のか……)
こうして、優人たちの「敗北に始まる旅」は、ようやく第一の関門にその爪痕を残したのだった。