走馬燈
私の名前は灯。21歳で実家暮らしの大学3年生。休日のお昼過ぎにママが
「スーパーに行って来るね」
と言ったので特に私は買うものが無かったけど何となく
「私も行くー」
と車の助手席に乗り込んだ。近所のスーパーマーケットまでは車で3分程の距離。住宅街を抜けて、大通りに入る。残り200m程の近距離だ。クーラーをつける程の距離ではないので窓を全開にして風を受けている。前方の信号が赤。車が停車し、途端に暑さで汗が噴き出してくる。スーパーに入れば冷房がんがんに効いているだろうからしばしの辛抱である。
「えっ、、、きゃぁぁぁぁ!!!!!」
対向車側を走っていた大型トラックが赤信号を無視。センターラインを大きくはみ出して停車しているこちらの車に突っ込んでくる。
ドガガシャアアアアアアァ!!!!!
ノーブレーキの大型トラックとの正面衝突。大きな衝撃が走った。
僕の名前は颯馬。17歳の高校生。先ほど彼女にフラれた。いや、、、そう思っていたのは僕だけで実際は彼女ですらなかった。
5か月程前に告白されて付き合う事になったのだが、それは本命の彼氏と一緒に考えた彼女の“遊び”であったらしい。デートの度に支払いは全て僕が出さされ、ことあるごとにプレゼントを要求されてそれが彼氏ならば当たり前だと言われる。幼少から溜めていたお年玉やお小遣いは全て彼女のために使う事になった。毎晩のように内容の無い電話や、意味不明のメールが届く。勉強を邪魔されたことで成績が著しく下がってしまった。
いや、、、これは僕自身の弱さが原因でもある。彼女の素行の悪さにより、一緒に行動していた僕の調査書・内申点も下がることになり、推薦での大学進学は絶望的となった。
そして先ほど、僕が彼女に「もう支払いを全部持つことができない。所持金が尽きた。」と伝えたことで、彼女は豹変した。どこかに連絡を入れ、しばらく待つと本命の彼氏が姿を現し、これまでの経緯をニヤニヤ・イチャイチャしながら僕に告げてきたのだ。
「良い社会勉強になったろ?お金を出したのはお前の勝手だからな。周りに俺らの事を言ったらどうなるか分かってんだろうな?」
僕は閉口した。立ち向かう勇気も無かった。僕が渡していたプレゼントは全てフリマサイトで売られ、2人の交際費に充てられていた事を知った。僕が啞然とし立ち尽くしている様子をひとしきり笑った後で二人は僕に興味が失せたのか腕を組んで去っていった。
世間ではオレオレ詐欺の被害者が今だなお出続けており、1年で1000件以上、被害額は100億円を超える。僕はそんな電話に引っかかる人を馬鹿にしていた。高額の金銭を知らない口座や知らない人に手渡す時に普通気づくでしょ?なんて思っていた。つまり僕にとって今回の件は大恥であり、大きく心が傷つけられたのだ。両親には
「僕は自分のお金の管理をしっかりできている。お年玉や、お小遣いはしっかり管理していて将来のために使う。」
と伝えていたが、今や目も当てられない。学力も取り返しがつかない程下がってしまった。推薦を狙うにも調査書は傷がついてズタズタ。無意識に目についたマンションの非常階段を昇り、最上階の10階にまで上がる。思考や視界にずっと靄がかかっている。2人の嘲笑が頭に鳴り続けている。10階から下を覗くとわずか数m下に地面があるかのように錯覚する。
「なんだ、すぐそこじゃん」
高さ1m40cm程の柵を乗り越え身を宙に放り出す。
落下を始めた瞬間に内臓が浮き、滞空時間の長さに正気に戻った。だがもう遅い。衝動的な飛び降りは不覚から恐怖、恐怖から諦観。心が瞬時に揺れ動く。地面が近づき、僕の人生は間もなく終わる。
「「ん・・・あれ・・・?何がどうなってるの・・・?」」
車の助手席の灯の目の前には圧倒的質量を持つ大型トラックが、灯の乗る車の前面を押しつぶしている。辛うじてまだ灯の座る助手席にスペースはあるが、それも0.1秒後には押し潰され灯は死んでしまうだろう。
マンションから飛び降りた颯馬の地面までの距離はおよそ1m。そこまでに加速した体は0.1秒後には潰れ颯馬は死んでしまうだろう。
「誰?声が…」「え?誰かいるんですか?」
2人は死を真近にして、同時に走馬燈のような超過集中状態に入ることで時間の進みが止まる。景色から色は消え白黒に。日中であるにも関わらず光量は1/3程。視界も端の方は暗く見えづらい。そんな世界に2人は同時に飛び込んでしまった。
灯は声の主を探して体はピクリとも動かないが視点を左に動かす。すると助手席側にいる灯の僅か2m程左の地点に宙で制止して浮いている、マンション側を向いた制服の青年が視界に入った。顔はマンション側を向いているので顔は分からないが声の方向からすると彼の声であろう。その彼が質問をしてくる。
「えっと、女性の声が聞こえるのですが、あなたは死神なのでしょうか?自殺した僕を連れていくためにやってきたのですか?」
「え?違う違う。…ってことは君は飛び降り自殺したの?顔が向こうを向いてるから状況分からないよね?説明するね。…って言っても私もちゃんとは分からなくて混乱してるんだけどさ。」
灯と颯馬は双方に置かれている状況を説明しあう。
「なるほど…。お姉さんもトラックに突っ込まれて死の直前の状態にあるってことは、これは走馬燈のような状態ってことですかね?」
「まぁ普通の走馬燈って言ったら、産まれてからこれまでの印象深かった光景を一瞬で思い出すってやつなんじゃないの?私はすぐ隣にママがいるけど、すんごい顔してピタリと止まってるわ。だからママはきっと助かるんだと思う。トラックは斜めにこっち来てるけど、助手席にいる私を狙ってきてるようにも見えるもん。」
「そうなんですね。何かすみません。」
「ん?どうして颯馬君が謝るの??」
「あ、いえ。僕は自分が馬鹿やって飛び降りちゃったんですけど、灯さんは完全に事故じゃないですか。」
「あー、、、うんうん。でも、それこそ颯馬君が気にするようなことじゃないよ。毎日20万人以上もの人が亡くなってるし、どうせ人間いつか死ぬんだから。」
「へー。灯さんは物知りなんですね。」
「大学の講義の受け売りだけどね。ところで颯馬君は頭が下で逆さになってるんだけど、頭に血が昇ったりしてないの?苦しくない?」
「いえ。そういう不具合は全くないですね。血の流れも止まってるんじゃないでしょうか?それよりも下を見ると空があることに恐怖を憶えています…」
「あははは。マンションの高層から飛び降りてるのに何言ってるんだか。そうだ、私は事故だから別に理由なんて無いんだけど、颯馬君は投身自殺したきっかけは何だったの?お姉さんに言ってみな?言いたくないんだったら無理して聞かないけど。」
「いえ。飛び降りて死んじゃうんだ…って実感した瞬間に、誰かに話しておけば良かったとも思ったんですよ。本当に衝動的に身を投げちゃったので…」
「そうだったんだ。知らない人にだからこそ話せる事ってあると思うのよね。」
颯馬は灯にここ5カ月程に起こった事をぽつぽつと話し出す。颯馬は騙されていた事に、そしてそれを知らされた時に自身の環境が終わっていたと感じたと涙ながらに灯に伝えた。
「ひどっ!最低ね。それこそ颯馬君は全く悪くないじゃん。オレオレ詐欺の事件だって悪いのは全面的に犯人の方で、被害者は騙されたからって罪の意識に苛まれたり恥ずかしいと感じる必要ないのにね。」
「そう言っていただけるだけでも多少なりとも救われます。ただ恥ずかしいという感情はどうにもならず、、、実際に自殺に至ったのは騙された事に対しての怒りとか恨みという感情というより、恥ずかしい、誰にも知られたくないという感情でしたね。」
「そっか。誰しも秘密とか、性癖の1つや2つはあるもんねー。」
「え?灯さんにも何か秘密はあるんですか?」
「そりゃあるよ~。隣にママがいるから言えないけどさ~。」
「えー!灯さんだけズルくないですか?」
「あははは。」
その後、颯馬と灯は一向に時間が進まないその世界でお互いの生い立ちから自己紹介をしていく。2人は久しぶりに会った友人のように、それぞれの知らない時間を共有していった。
「うん。色々教えてくれてありがとう。随分と颯馬君に関して詳しくなれたよ。その元カノとやらよりも全然颯馬君に関してを知ってるんじゃないかな?」
「もちろんですよ。彼女はもともとこちらにそんなに興味がある訳でも無かったからか、全然俺について質問なんかありませんでしたもん。興味なかったと思います。…っていうか、、元カノでも無いですね。」
「…あ、ごめんごめん。ん~…そういえばこの時間停止っていつまで続くんだろう?もう体感で言えば1時間くらいは経ってるような気がするんだけど。」
「そうですよね。でも景色が見えるってことは時間がほんの僅かずつでも進んでいるんじゃないかとは思うんですけど。」
「え~、、、それは嫌だなぁ。逝く時にはスパッと逝かせて欲しい!」
「死ぬ人が皆こうなるのかな?とちょっと思いましたけど、考えてみたらこういうケースって珍しいのかなって感じしますよね。」
「そうなのかも?健康な状態から、一気に死に直面した時とかかな?飛び降りとかだとほぼ皆この状態になっちゃうのかな?」
「あー…、、、飛び降り自殺だと、身を投げてから気を失う人が結構いるらしいですね。」
「そうなんだ。でも人が大勢いる戦場とかだとこういう風に死の間際にやり取りした人たちとかたくさんいたのかもね。」
「いや、、案外物凄くシビアかもしれませんよ。この世界に同時侵入は0.1秒どころか、0.000000001秒くらいの猶予しか無いのかもしれません。」
「うわ。奇跡じゃん。日本みたいな平和な都市でこんな至近距離で死に際のやりとりできるなんて。これ、颯馬君には悪いけど私一人だったら不安で取り乱してたよ。」
「えへへへ。灯さんも『悪いけど』って謝ってますよ。僕にとっても全然嬉しい事です。灯さんがいなかったら、いつ死ぬのかを突き付けられてる状態が続いているので気が狂っちゃうんだと思います。」
「あらら。私も謝っちゃってたかー!」
颯馬と灯の2人はすでに長年の親友であるかのように引き続き様々な事について話をした。学校生活に関してや、両親や友人の話。お気に入りの配信者やスマホの料金プランの話までしていた。隠し事などをする必要がなく、全て腹の底から思った事を忖度なく話す事ができる相手はこれまでの人生に双方でいなかったのだ。
「いやー、でも眠くもなんないね。」
「あ!でも僕はちょっとお腹が減っています。」
「え???そうなん?」
「たぶんしばらく食べてなかったからですけど、さっきまでお腹が減ってることに気づかなかったんですよ。灯さんと会話をしてリラックスしたら、気付いたっていうか…」
「残念だねぇ。私とママは今からスーパーマーケットに行こうとしてたから、食材は無いのだよ。」
「えへへへ。買ってたら投げてくれたんですか?」
「うん。できることならね。あ!そういえば、人間って死ぬ時に体が軽くなるって話聞いたことある?」
「え?そうなんですか?」
「うん。何か都市伝説ぽい感じなんだけど12g軽くなるんだって。で、それが魂の重さじゃないかって。」
「魂に重さですか?いかにもな都市伝説ですね。」
「そうなのよ。私も信じてなかったけど、この状況が解答にならない?」
「あぁ。確かに。走馬燈がキーワードですね。」
「うんうん。そうだよ。脳の覚醒によるエネルギー消費なんじゃないかな?死ぬ際に走馬燈を見るか見ないかがあるから体重の減少の有無があって都市伝説止まりになったんじゃないかな?」
「ありそうですね。当事者としてはその説を推します。」
「ありがとっ!真理に触れた感じね。んー、、、たぶんそろそろ1日くらい経った感じかな?どんな感じ?変化はある?」
「いえ、、全くと言っていい程変化が無いです。これ閉じ込められてるという状態なんでしょうか?」
「えぇ?誰かが意図的にって事?うーーん、、、それは無いんじゃないかなぁと思うけど、、、私こんなの初体験だしぃ。」
「もちろん、僕もです。」
「うふふ。そっかぁ。颯馬君は変化なしなのかぁ。」
「え?ということは灯さんの方には何か変化があったのですか?」
「うーん、そうねぇ。たぶん真理に触れたからかな?この状況をダブルの意味で打開できる行動が見えてきたわ。」
「そうなんですか?僕はどのような結果になろうが灯さんの決断に従いますよ。好きにしていただいて結構です。」
「うんうん。颯馬君は良い子だねぇ。素敵な弟として認定してあげるよ!私ってさぁ、一人っ子でずっと颯馬君みたいな弟が欲しかったんだぁ。死ぬ0.1秒前に夢が叶ったと言っても過言ではない!?」
「僕も一人っ子で優しいお姉ちゃんが欲しかったです。こんな感じで砕けた感じで何でも相談し合える姉がいたら今こんな事態にならなかったでしょうし…」
「でもこんな事態だから知り合えたとも言えるよ。ポジティブに考えよ!お互い顔も見れてないけど、私は颯馬君を助けるために力を尽くそうと思うの。」
「え?灯さん?何をするつもりですか?」
「力の使い方っていうのかな。さっき魂の重さの話をしていた時に特殊な力の使い方がなんか判っちゃったの。」
「それは、、、中2病の類では無いですよね?…邪気眼ですか?」
「うふふふ。そうそう、邪気眼!…じゃなくてね、颯馬君。聞いてね。これから時間の流れを元に戻すよ。すると颯馬君のマンションから落ちてきた加速が一旦リセットされて0になるの。1mの高さを頭から落ちる事になるから手から落ちて頑張って転がって欲しいの。死ぬ事は無いと思う。」
「え?そんな事できるんですか?はい…。きっとできるんですね。信じます。でも灯さんも助かりますよね?僕は馬鹿やったから死んでも仕方ないんです。でも灯さんみたいな良い人が助からないのはおかしいです!!」
「ありがとう。でも私はダメ。助かるのは難しいと思う。」
「そんな…。それなら僕も一緒に死にたいです。」
「ダメ!!颯馬はお姉ちゃんの言う事が聞けないの??」
「……………それはズルいです。灯さん。」
「でも大丈夫。いつか会えるわ。同じ地球に産まれて、同じ地球で死ぬんだもの。」
「灯さん……、、、分かりました。僕、生きます。灯さんと今日のこのやり取りは一生忘れません!」
「そうよ。その活きよ。頑張れ!颯馬!負けるな!颯馬!!」
灯はそこから1分程の瞑想に入る。颯馬は灯の邪魔をしないように黙り、そして時間が急に動き出した時を想定しておく。
「行くよ」
ドガガシャアアアアアアァ!!!!!
世界が突然色づき明るくなった瞬間に、すぐ横でトラックが車に突っ込み轟音をたてている。颯馬は手のひらから地面に着き、頭を守り背中から落ちる事に成功した。おそらく指は数本折れている。ただそれくらいのことはどうでも良いことだ。颯馬は直近でトラックに突っ込まれた車に駆け寄った。運転席に50歳台のおばさんが血だらけで「うっ…痛い…」と呻っている。そして助手席には…
トラックの運転手の居眠り運転が事故の原因であった。運転席にいた灯さんの母は重傷。記憶に障害を負ったものの命に別状は無かった。僕は指を4本骨折したが怪我の程度で言えば軽傷で済んだ。通行人の何人かは僕が身を投げてからの一部始終を見ていたらしくめちゃくちゃ驚いて駆け寄って来てくれた。
マンションの10Fより頭から落ちたと思ったら直前に両手で受け身を取って回転着地からのすぐに交通事故で潰された乗用車に全力ダッシュで駆け寄ったのだ。
僕は飛び降りの経緯やその行動が話題になり、雑誌やテレビ、大学の教授などに色々な話を聞かれ、走馬燈や灯さんについてあった事をありのままを伝えた。刹那の世界の様子。そして灯さんという優しいお姉さんが僕を救ってくれたこと。など。
一部界隈ではこの発言で炎上が起こった。
「目立ちたがり屋の中2病」「頭打ったんじゃない?大丈夫?」「自殺とかマンション住人の気持ち考えろよ、迷惑!」「虚言。はい解散。」
しかし、マンションや近隣の防犯カメラ、ドライブレコーダー映像が集まってきており、僕の証言と一致しているとネットや映像を検証する有志が証明してくれた。元々は映像の加工や証言の矛盾を探すための検証ではあったのだが、、
僕が有名人になったことで、僕の偽元カノとその本命彼氏に非難が集まり、それが元となり様々な悪事が暴かれたことで2人とも高校を辞め、地方へ引っ越していったらしい。
あの日、車に駆け寄り助手席を見ると灯さんはいなかった。雨などは数日降っていない暑い日であったが、灯さんの座っていたはずのシートはぐっしょりと濡れていた。灯さんの母は事故によって記憶に障害が残り、あの日の記憶が無いらしい。あの日を境に灯さんは失踪してしまったのだ。
灯さんは僕の脳が作り出した妄想の類の可能性はあるのかもしれない、シートが濡れていたという何か不可思議な痕跡が残った。意味不明であるし、これだけでは灯さんの存在を否定する人は出てくるだろう。けれど僕の中で灯さんは確かに存在する。
ここからはメディアや他人には伝えることのない墓場まで持っていく僕の決意。
灯さんは自身は助からないと言っていたが、実際にはトラックの加速を0にして、自身が生き残る事ができたのだと思う。でもそうはしなかった。きっとそうしてしまえば僕は灯さんのすぐそばで潰れていたのだろう。
僕の走馬燈は灯さんよりもただ早く終わってしまっただけ。けれど今もきっと灯さんは刹那の走馬燈の中を生き続けている。僕が生きた証を残し続ける限り、必ずそれは灯さんに届くと信じて。面と向かって灯さんに感謝を伝えるため。
僕は一瞬一瞬を精一杯生きている。
『水』の要素としてはタクシーの後部座席で女性がいなくなっており、後にぐっしょり濡れているという怪談から