表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/118

Episode3 ヴァーペン(武器)


 私は牛舎から出る方法を考えた。


 アウラによると、この牧場の世話をしているのはゴード家の夫人、フリーンという女性だけらしい。それも、彼女が起きてくるのは早くて昼、遅ければ夕方になるとのこと。


 ――そんなに遅いのか!?


 このままでは、私が発見される頃には冷たくなっている可能性が高い。まさか、転生してすぐに人生終了……? それだけは避けたい。


 私はアウラに頼み、できるだけ大きな声で鳴いてもらうことにした。


 「――モォォォォォォ!!!」


 牛舎に響き渡る、渾身の鳴き声。しかし、それが止むと同時に辺りは静寂に包まれた。外から聞こえるのは風の音だけ。


 ……ダメか。


 寒さが骨身に染みる。体は赤ん坊、話すことも移動することも出来ない。思わず泣きたくなった。


 ――泣きたくなった?


 そこで私はあることに気づく。


 赤ん坊の最大の武器、「泣くこと」に。


 私は中身がアラサーだったせいで、それをすっかり忘れていた。


 泣けばいい。全力で、助けを求める赤ん坊らしく。


 けれど、どうすれば泣ける? 私はもう大人の精神を持っている。簡単には泣けない。


 そう思った時、ふと元の世界での一番悲しかったことを思い出そうとした。


 ――祖母が、私を忘れた日のこと。


 私は幼少期に両親が離婚して、青年期を祖母に育ててもらった。私が社会人になって数年で祖母は認知症になった。初めて施設に面会に行ったとき、私は祖母にありがとうを言いたかった。 言えなかった。祖母は私を忘れてしまった。私を覚えていない人にありがとうでは、困らせてしまうと思った。祖母もまた、俯いたままで話せる状態ではなかった。私は、ありがとうは心にしまっておこうと思った。面会時間が終わり、帰り際に祖母が言った。「ありがとう」私は、声にならない声で祖母に言った。「私の..方こそ..ありがとう..」祖母とはそれ以来会っていない。


 ああ……泣けそうだ。


 胸の奥にあった喪失感と祖母へ感謝の気持ちが、今になっても押し寄せる。


 私は、泣いた。


 赤ん坊の身体が震えるほど、全力で泣いた。


 自分でも驚くほどの大声だった。小さな体のどこに、これだけの声量が隠されていたのか。私の泣き声は牛舎の中に響き渡った。


 ――すると。


 走る足音が聞こえた。


 次いで、牛舎の扉が開く音。


 足音はゆっくりと近づき、そして細い指が私を拾い上げた。


 柔らかな胸に抱きしめられる。


 温かかった。


 優しく揺れる感覚と、かすかな鼻歌。それは、私の泣き声を次第に落ち着かせていった。涙が袖で優しく拭われると、私は自分を抱く女性の顔を見上げた。


 金色の瞳に、涙を湛えた女性。


 傷んだ金髪。痩せた顔立ち。


 フリーンだ。


 アウラが教えてくれたこの牧場の主。だが、彼女の瞳には、深い悲しみが宿っていた。


 その瞬間、フリーンの身体が震えた。


 ――そして、膝から崩れ落ちるように座り込むと、彼女は私の小さなお腹に顔を埋め、大声で泣き始めた。


 私は驚いた。何が起こったのか、最初は分からなかった。


 でも、分かる。


 この人には泣くだけの理由があったのだ。


 何かを抱え込んでいたのだ。


 だから、私はいうことを聞かない小さな手で、フリーンの頭に触れた。


 撫でてあげたかった。けれど、まだうまく動かせず、ただポンポンと叩くような仕草になってしまった。


 それでも、フリーンはしばらく泣いた。ひとしきり泣いた後、私を見つめた。


 その瞳には微かな温もりが宿っていた。


 彼女は私を抱え直し、牛舎を出ていく。


 私は、心の中でアウラにお礼を言った。


 『ありがとう、アウラ。また歩けるようになったら、会いに来るよ』


 『うん。楽しみにしてるよう』


 アウラの穏やかな声が、私の心に響いた。


 ――こうして私は、牛舎を出ることができた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ