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Episode19 テーヴリング(競技)


 ヴァルプルギスの夜が明け、学園は五月を迎えた。


 新しい月、火曜日の朝。武学の授業の時間に、私たち新入生はレーラズの樹の下へと集められていた。


「お前たちには、今日は武学とは別の課題に取り組んでもらうことになる。後に着いてこい」


 そう語るのは、私たちの武学担当、オクソール大天使だ。普段から厳格な彼が「別の課題」と言うのだから、ただ事ではない。周囲の天使たちも、みな困惑した表情を浮かべていた。


 案内されたのは、学園の裏に広がる広大なフィールド。見渡す限りの芝はよく手入れされ、心地よい風が吹き抜けていた。


「ここが、天界で最も親しまれている競技……テンマポロウのフィールドだ」


 天使たちの間に、どよめきが広がる。


「テンマポロウは、テンマと一体となって空を駆け、ゴールを目指す空中球技だ。学園ヴァルホッルでも、その選手の育成には力を入れている」


 テンマ……つまりスヴァジルファリのような存在と共に戦う競技。それだけで心が高鳴る。


「今日は五人一組のチームを作ってもらう。七月末の新人戦では、MVPに選ばれた者が、卒業年に行われるヴァルキュリヤ選考試験で優遇される。全力で挑むように。チームリーダーを決めたら、報告に来い」


 そう告げると、オクソールは私たちにフィールドを開放した。


 天使たちがざわめきながらチーム作りを始める中、私はフレイと相談する。


「フレイは、誰か誘いたい人いる?」


「僕? 特にいないよ。アウルは?」


「私も特別には。強いて言えば……ヘラを誘ってみたいかな」


 その名前を口にすると、フレイは少しだけ目を見開いた。でも、すぐに優しく微笑んだ。


「うん。いいと思う」


 そのとき——


「アウル!」


 元気な声が背中から飛んできた。振り向けば、そこにはスルーズと、彼女の隣に立つ姿勢の良い少女、スノトラがいた。


(スルーズにも女の子の友達ができたんだな)


「もう誰かとチーム組んだ? よかったら私たちと一緒に組まない?」


「スルーズ、誘ってくれてありがとう。でも、私はフレイと……それから、これからヘラを誘う予定なんだ。三人でいいなら、私は構わないよ。フレイは?」


「僕は全然大丈夫! 足を引っ張らないか心配だよ……」


 そのやりとりに、スルーズは一瞬だけ驚いた表情を見せた。でもすぐに微笑み、スノトラに視線を向けた。


「マシャで一緒だったヘラさんね。私はもちろん大丈夫! スノトラは?」


 スノトラは落ち着いた口調で答える。


「私は大丈夫よ。でも……スルーズ、あなたMVPを目指してるんでしょ? もっと慎重に決めなくていいの?」


 スルーズは真っ直ぐな瞳で、迷いなく答えた。


「ありがとうスノトラ。でも、大丈夫よ」


 ——それだけで、彼女の覚悟が伝わってくる。


「大勢で押しかけたら緊張するだろうから、私一人で誘ってくるよ」


 私はフィールドの端にいるヘラの元へと向かった。


 彼女は静かにフィールドを眺めていた。


「ヘラ。もう誰かにチームに誘われた?」


 私たちはお互いの顔を見て——(誘われるわけがない)という表情で小さく笑い合った。


「君とチームを組みたいんだ。男子二人に、女子はヘラを入れて三人。どう?」


「……邪魔に、ならない?」


「ヘラを邪険に扱う人はいないよ。フレイとスルーズはマシャで一緒だったし、スノトラは船の食堂で私とヴァルドルの揉め事を仲裁してくれた礼儀正しい子だ」


「……そう。アウルとみんながいいなら。入れてもらうわ」


「よかった。じゃあ、みんなのところへ行こう」


 私はヘラを連れて、皆の元へ戻る。


 スルーズが、ぱっと花のような笑顔で言った。


「それじゃあ皆、よろしくね! それで、チームリーダーになりたい人はいるかな? いなければ……私がやりたい!」


 私は、スルーズの目を真っ直ぐ見て、静かに言った。


「——異議なし」


 フレイも、スノトラも、ヘラも、誰一人異議を唱えなかった。


「じゃあ、私——お父さ……オクソール大天使に報告してくるね!」


 そう言って駆け出していくスルーズを見送りながら、私はこの五人でチームを組むことになったことに、なんとも言えない高揚を覚えていた。


 チーム:アウル、フレイ、ヘラ、スルーズ、スノトラ。


 この日、二十の新入生チームが編成された。


 オクソール大天使は再び前に立ち、全員に告げる。


「今週土曜から、上級生のテンマポロウ・トーナメント戦が開催される。お前たちは、学用品リストにあったルールブックを読み、試合を観戦すること。午後は乗馬訓練を行う。昼食後、再びレーラズの樹の下に集合するように」


---


 私たち五人のチームは、学園の庭園にある石造りの長椅子に腰掛けて昼食をとっていた。五月の陽光が心地よく、木陰には涼やかな風が吹き抜ける。

 テンマポロウチームが決まったとはいえ、私たちはまだ「チーム」になったばかり。ぎこちない空気が、ちらちらとテーブルの上に浮かんでいるようだった。


(ルールブック、読んでみるか...)


 私は自分の右手のひらを見つめる。静かに意識を向ける——


 (フェング)


 無詠唱での呼び出しが、今では自然にできるようになっていた。私の手のひらにルールブックが現れる。


 表紙には、金色の箔押しで《テンマポロウ公式ルールブック》と記されている。


 私はそれを手に取って、ゆっくりとページをめくった。


---


 1:二つのチーム(各五人五頭)が相手ゴールにシュートを決め、試合終了時の得点が多いチームが勝利する


 (ふむ、まずは基本的な構成だ。五人五頭、つまりプレイヤー五人に、それぞれテンマが一頭ずつ)


---


 2:テンマに乗って“シェーレン”と呼ばれるボールを運び、相手のゴールに入れる


 (シェーレン……どんなボールだろう)


---


 3:試合は六分間の“インテルヴァル”と呼ばれる区切りに分けられる

 4:一試合はインテルヴァル五回、計三十分。各インテルヴァル後に“三分間の休憩パウス”がある


 (テンポは早めだが、スタミナと集中力の管理も重要になりそうだ...)


---


 5:試合中、テンマを替えることはできない

 6:試合継続不能になった選手やテンマは補充されない


(……つまり、一人でも欠けたら、そのままハンデを抱えて戦うことになる。かなり厳しいな)


---


 7:ボールがゴールを通過すると得点となり、攻守が入れ替わる


 (わかりやすい)


---


 8:選手の身体がテンマから離れている時の得点は無効

 9:ファウルが起こると、相手にペナルティショットが与えられる


(テンマとの一体感が勝敗を分ける、ということか)


 ルール自体は複雑ではない。けれど——


(テンマに乗りながらのプレイがどれだけ難しいかが、鍵を握りそうだ……)


 私の視線の先では、フレイがスノトラに話しかけていた。スルーズは空を見上げながら何かを考えていて、ヘラはパンの端をちぎりながら、ルールブックの背表紙をじっと見ていた。


 私はもう一度、右手を開いてルールブックをしまう。


 (フェング)


 ルールブックが、手のひらに吸い込まれていく。こんなささいなことでも、魔法が日常にあることが、私には誇らしかった。


 午後には乗馬訓練がある。


 私たちの“チーム”が少しでも“仲間”になれるといい。


 そんなことを考えながら、私は残っていたスープを口に運び、昼食を終えた。


---


 午後。私たちはオクソール大天使に率いられ、テンマの丘へと向かった。


 緑が濃く茂るその丘は、どこまでも広がる空と、雲の影が静かに流れる草原の中にあった。丘の隅にある小屋——ハウグスポリの小屋は、まるで時間に取り残されたような、のどかな雰囲気を纏っていた。


 オクソール大天使が振り返って、私たち新入生に語りかけた。


「お前たちはまだテンマに乗ったことがない。乗馬の基本から学ぶことが大切だ。ハウグスポリが乗馬を指南してくれる。」


 小屋の扉がゆっくり開くと、そこから現れたのは、穏やかな笑みを浮かべたハウグスポリだった。


「皆さん、こんにちは。喜んで乗馬の手ほどきをさせていただきますよ」


 ——私たちはテンマの丘に立ち並び、各々のテンマを呼び出すことになった。


 私は静かに目を閉じた。


(エヴァズ……スー)


 意識の奥にある幻のような気配に手を伸ばす。スーの体温。ヴァルプルギスの夜に感じた、感謝。


 目を開けたとき、そこに——スーがいた。


 漆黒を纏い、鬣をなびかせて佇むテンマ。


 近くにいた他の新入生たちが、視線をこちらに向けているのがわかった。


 皆、彼女——スヴァジルファリの美しさに息を呑んでいた。


 ハウグスポリが穏やかに語り始める。


「あなたたちとテンマには、すでに“絆”が結ばれています。テンマに触れて“乗りたい”という意志を伝えてください。“走れ”“飛べ”“止まれ”——全ての命令は、心のままに。言葉ではなく、思いを伝えるのです」


 私は静かにスーの首元に触れた。


(乗せてくれるかい?)


 スーの身体に光が走り、透明な光の馬具が形作られた。鎧のように彼女を包む光の装備。スーは前脚を折り、私の前で静かに膝をついた。


 私は「ライド」を無詠唱し、自分のローブを羽に変える。そして、光の馬具に足をかけ、スーの背に跨った。手綱に指を添えると、スーの体温が手のひらを通して伝わってくる。


 視界が高くなる。風が変わった。全てが、見下ろすように広がっていた。


 私は心の中で、スーに歩くイメージを送った。


 スーは、軽やかに歩き出した。草を踏む音がほとんど聞こえない。空気が震えている。次に「跳ぶ」というイメージを。


 スーの身体がふわりと浮き上がり、重力が一瞬だけ消えたような感覚のあと、丘の上空を滑走していた。


(……なんて、気持ちがいいんだ)


 空が近い。雲の輪郭が指でなぞれそうなほどはっきりと見える。


 スーは私の「止まる」イメージに応え、ゆっくりと着地した。


 彼女の呼吸が、私の胸と同じリズムで上下していた。これが“絆”というものかもしれない。


 丘の上で、皆がそれぞれのテンマと向き合っていた。空を飛ぶ者、ただ佇む者、まだ乗れずに試行錯誤する者。けれど誰もが、目を輝かせていた。


 訓練の終わりに、私たちはハウグスポリに礼を述べた。


「ありがとうございました!」


 ハウグスポリは目を細めて、微笑んだ。


「テンマとの時間を大切にしてくださいね。きっと、あなたたちを支えてくれますよ」


 その言葉が、妙に胸に残った。


 こうして私たちは、テンマの丘を後にした。


 空を駆けた風の感触と、スーの優しい体温を、心に残しながら——。


---


 土曜日、私はスルーズと一緒に、朝早くからテンマポロウの観戦席を確保した。


 観戦席から見下ろすフィールドは、曇天に沈黙していた。空気はしっとりと湿っていて、遠くの空にかすかな稲光が走る。正午に短い通り雨が降る、その雨が地面に落ちるのと同時に、上級生たちの試合が始まった。


 開幕の合図と同時に、空気が変わる。


 テンマたちが、矢のように駆ける。選手たちが一斉に飛び立ち、まるで嵐の中に放り込まれたような激しい動きの応酬。そして、第一インテルヴァル開始からわずか数秒後——シェーレンがゴールを通過した。


 観客席から大歓声が上がる。


 私は隣のスルーズに大声で問いかけた。


「スルーズ!今の!見えた!?」


「ううん!選手とテンマの動く影だけ!細かな動きは何も見えなかった!」


 テンマポロウの試合を「観る」という行為すら、訓練が必要なのだと、知った。


 それでも、試合が進むにつれて少しずつ見えてくるものがあった。


 テンマの滑空の角度。プレイヤーの身体のひねり。シェーレンを受け取る瞬間の意思の流れ。戦術、駆け引き、無意識の連携。


 第四インテルヴァルが終わる頃には、私の目も徐々に慣れてきていた。


 私は思いついたことを紙に次々と書き殴った。構図、陣形、弱点。頭に浮かんだ作戦や改良案——その全てを残しておきたかった。


 第一試合が終了した。私は大きく息を吐いた。


「想像の何倍も激しい競技だね」


 スルーズもまた、頬を紅潮させて頷く。


「うん。凄かった。上級生であんなに激しかったら……ヴァルキュリヤの人たちは、どんな試合をするんだろうね」


 興奮と尊敬を含んだスルーズの声が、風に溶けていく。


 ——そして、翌週。


 私たち新入生も、いよいよテンマポロウの練習を開始することになった。


 初めて触れたシェーレンと呼ばれるボールは、頭ほどの大きさで、軽く、そして意思を持ったかのように吸い付いてくる。触れて「持ちたい」と思えば、手にぴたりと吸い付き、「離したい」と思えば、離れて空に浮かんでいく。不思議なボールだった。


 初めての練習試合の相手は、ヴァルドル率いるチームだった。


 ヴァルドル、ヴァーリ、ヴィーザル、ヴィズ、ナンナ。


 美しいことで有名なナンナ・ネプヴィは、ヴァルプルギスの夜以来、ヴァルドルと交際を始めたという噂が流れていた。試合前の握手で見せた控えめな笑顔が、妙に印象に残っている。


 だが、試合が始まれば——そんな余裕は一切なかった。


 ラフプレーすれすれの攻防。


 私たちは翻弄され、相手の動きについていけず、シェーレンを奪われ続けた。気づけばゴールされる一方的な展開だった。


 試合終了の合図とともに、空気がしんと静まった。テンマたちの吐息だけが風の中で揺れていた。


 でも——私たちの心は折れていなかった。


 土曜日も、日曜日も、練習に充てた。


 スルーズが士気を高め、スノトラが戦術をまとめ、フレイが懸命に空を飛び、ヘラが冷静に守り、私は考察と試行錯誤を繰り返した。


 その間にも授業は続いた。


 私は六月から七月の一ヶ月に「太陽が沈まない月」が存在することを知った。天界の空は、夜になっても明るいまま、私たちの頭上に在り続けた。


 ダグの目の下にクマができていた。


「お前ら……土日全部、テンマポロウの練習って……普通じゃないぞ……」


 授業と練習。時間は風のように駆け抜けていった。


 そして——ついにその日がやってきた。


 テンマポロウ新人戦当日。


 数ヶ月前、観客席から見ていたフィールドに、今——私たちがいる。


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