とある街の聖女 3
それは季節外れの大雪が降った次の日だった。
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「あっ、雪積もってる」
積雪というのは何歳になっても心躍るものである。
私は今すぐにでも雪の中に走り出したい気持ちを抑え込み、朝の掃除へと移る。
今日は日課の掃除に加え、雪かきもしなければいけない。
誰かが礼拝に来る前に雪かきを終えないと……
「「ゴンゴン!!」」
誰かが教会の扉を力強くたたいた。
まだ朝の掃除も終えていない。
こんな時間からいったい誰だろうか?
「はーい!何か御用ですか……」
私が異変に気が付いたのは扉を開いた後だった。
「はぁー、はぁー、」
普段教会を訪れる人からは聞いたことがないほどの息遣いが聞こえた。
だが扉の先に人の姿は見えなかった。
私は息遣いが聞こえた方に顔を向けると男の人が壁にもたれかかっていた。
「カブさん!?」
荒い息遣いでもたれていた人物は、八百屋のカブさんだった。
彼はエリーゼ教徒であるが、こんな朝早くから教会に来たことは一度も無かった。
「はぁー、はぁー、マリー……」
「落ち着いてくださいカブさん」
「あ、あぁ、すまない。だが落ち着いてはいられないんだ!」
カブさんは深刻な顔つきで私が伸ばした手を握った。
彼の手は暖かくて、そして冷たかった。
「アザレアが、」
彼は震える手と口を抑え、声を絞り出した。
「アザレアが……、亡くなった」
「えっ、」
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昨日は季節外れの大雪だった。
まだ雪も残っている。
だが私が彼女と再会した時には、体の全身がはじけるような熱さに包まれていた。
「……アザレア」
握った手からは私の温度しか感じることができない。
「どうして……どうして、どうして!?」
私は横に立っているクロッカスに顔を向けた。
彼の顔には疲れ、そして後悔の色が見える。
「アザレアは、昨日領主の指示で常闇の森に向かった」
「領主の!?」
常闇の森というのはパルスに隣接している森だ。
開拓地であるこのパルスは、人間と魔物の生存圏の境といえる。
そしてパルスは日々人間の生存圏を広げている。
そんなパルスだが、常闇の森を開拓することはできていない。
理由はただ一つ、常闇の森に生息する魔物が狂暴だからである。
だがそれは、冒険者にとっては悪い話ではない。
凶暴な魔物、すなわち市場に出回らない希少価値の高い魔物である。
つまりこの街の冒険者が常闇の森に入ることはおかしなことではない。
だが、領主の指示でというなら話は別である。
領主の指示、つまり開拓命に近しい何かが出されたわけだ。
「詳しい話は隣の部屋でしよう」
「はい」
この部屋は遺体の保存のために冷やされている。
じっくりと話をするなら、隣の部屋に移った方がいいだろう。
「アベリア、また後でね」
私は彼女の体に布を被せた。
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「リップさんは大丈夫ですか?」
「あぁ、落ち着いているよ。今は息子の面倒をみている。彼女も元冒険者、覚悟はできていたはずだ」
冒険者というのはいつ命を落としてもおかしくない。
だが、頭で分かっていても身内が亡くなることに耐えられる者は少ないだろう。
「時間がないから、すぐに始めるぞ」
「時間がない?」
クロッカスさんは席につくなり話し始めた。
「あぁ、おそらくこれからこの街の冒険者全員で常闇の森に向かうことになる」
「そんなことが、いったい常闇の森で何が起きたんですか」
「……竜がでた」
『竜』
その一言で事態の重大性がわかった。
「最初は些細な異変だった。普段森の奥にしか出ない魔物が、街の近くに現れ始めた。これが今から1ヶ月前の出来事だ」
言われてみれば、一ヶ月ほど前から街の冒険者が賑やかになっていた気がする。
「そして異変は収まらず、ついに若手冒険者に被害が出始めた。この街は開拓地だ。多くの冒険者を必要としている。だが、この状況が続けば街に滞在する冒険者が減ってしまう。だから領主は原因の解決に動き出した」
「調査ですね」
「そうだ。今回のアザレアの任務は原因の調査の一段階目だった。アザレアは冒険者仲間四人と共に任務に挑んだ」
「……何人ですか?何人戻って来ましたか?」
アザレアの遺体がここにあるということは、誰かが持ち帰って来たということだ。
それに今回の騒動の原因が竜だと判明していることも、誰かが報告したからだ。
「……三人だ」
「そうですか」
五人で任務に動いて生還が三人。
アザレアはすでに冒険者として中堅と言える実力であった。
だからこそ、事態の深刻さが分かった。
「だか、三人のうち二人は竜の気に当てられ正気を失ってる。今会話ができるやつは一人しかいない」
「……その人が今回の情報を」
「あぁ、そういうことだ」
仲間の二人が死亡、二人が正気を失っている。
情報が手に入ったのは奇跡といえるだろう。
「そしてその一人が持ち帰った情報から、事態の緊急性が明らかになった。事態は一国を争うと判断した領主は、今作戦会議を行なっている。俺たち冒険者も総出で挑むことになるだろう」
「……大丈夫ですか?」
私の頭にはアザレアの姿がよぎった。
「心配するな、俺たちにはあの『竜殺し』がついているんだぜ!」
そうだ、領主のサルタンさんは元冒険者で『竜殺し』の異名を持つ人だ。
彼がいるなら必ず事態は良い方向に向かうだろう。
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あれからすぐにクロッカスさんは領主の元に向かった。
クロッカスさんだけではない。
街中のありとあらゆる冒険者が領主の命の元集まっていく。
「私にできることってあるのかな……」
私は流れていく人影を見ながら、自分の無力さを噛み締めていた。
呪いを解くことができるわけではない。
傷を癒すことができるわけではない。
私には奇跡を起こすことができない。
奇跡が起きることを祈ることしかできない。
「なんて、なんて、なんて無力なんだろう」
私もあの人たちと一緒に戦える力が欲しい。
気がついたら私は手を伸ばしていた。
だがその手は決して彼らに届くことが……
「マリー!!」
誰かが私の手を握った。
「リップさん!?」
私が顔を上げるとそこにはリップさんがいた。
「よかった、教会にいなかったから探すのに苦労したわ」
「ごめんなさい」
「いいのよ、謝らなくて。それより頼みたいことがあるの」
「頼みたいことですか?」
「えぇ、グラジオおいで」
彼女がそう言うと、一人の男の子が駆け寄って来た。
「あっ、マリー!!」
そのまま男の子は私の足元に飛びかかった。
「グラジオ君!?また大きくなったねー」
この子はグラジオ。
クロッカスさんとリップさんの子供だ。
確か今年で3歳のはずだ。
彼はリップさんと一緒に教会に何度か来ている。
そのおかげで彼にも名前を覚えられている。
「……マリー」
「はい」
「この子を頼みます」
「えっ?」
私は彼女の言葉の意味がすぐにはわからなかった。
だが、目の前の彼女の服装を見て言葉の意味に気がついた。
「リップさん、その格好……」
「はい、私も冒険者ですから」
「でも、」
「分かっています。この行動は母親としては正しくない。ですが、私はあの子の姉でもあるのです」
リップさんの目はとても力強い。
彼女の覚悟に私は言葉の続きを伝えることはできなかった。
「大丈夫です、かならず戻って来ますから」
「……グラジオ君のことは任せてください。クロッカスさんとリップさんの無事を祈っています」
「ありがとう」
「ママ?」
「グラジオ、ママはパパのところに行くの」
「おしごと?」
「そう、お仕事。ママとパパが帰ってくるまで、マリーさんのところで待っていてね」
「うん!!」
「マリー、この子を頼みます」
「はい」
私は彼女の覚悟に応えなければいけない。
もし……
私は自分とグラジオ君を重ねてしまった。
物心つく前に両親を失った私と。
「ママ、がんばってねー!!」
大丈夫だ。
大丈夫だ。
「それじゃあ教会に行こうか」
「やったーー!!」
あの二人はかならず戻ってくる。
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「うおぉぉぉーーー!!!」
私は地響きのような声に起こされた。
「んっ、ママ……?」
どうやら今の声でグラジオ君も起きてしまったようだ。
「もしかしたら、リップさんたちが帰って来たのかも……」
私は並々ならぬ歓声に、竜の討伐が成功したことを確信した。
「グラジオ君、一緒にママとパパをお迎えに行こうか」
「うん、行く!!」
グラジオ君は寝起きとは思えないほど目を輝かせた。
きっと私も同じくらい目を輝かせていただろう。
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私はグラジオ君と一緒にに教会を出た。
おそらく彼らが戻って来たのは、常闇の森に最も近い西の門だろう。
西の門へと向かう私たちの足取りはとても軽やかであった。
異変に気がついたのは教会から西の門への道を半分ほど過ぎたあたりだった。
(あれ?歓声が大きくなってない)
教会より西の門に近づいたい今、歓声はより大きく聞こえるはずである。
もちろん、ずっと賑やかなんてことはないだろう。
だが、いくらなんでも早すぎるのだ。
今回は竜の討伐、大変な偉業なのだ。
静まるには早過ぎる。
私は微かな不安を抱えながら、西の門へと歩みを進めた。
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冒険者たちの集まりはすぐに見つかった。
理由は単純、冒険者を囲むように人が多く集まっていたからだ。
私一人なら掻き分けて前に行くことができただろう。
だがグラジオ君と一緒では前に行くのは不可能だ。
「パパ、ママ、どこー?」
「もう少し待っててね」
「わかった!」
本当にいい子だ。
まるで誰かさんとは違……
(このいじりは本人の前までとっておこう)
私はまたクロッカスさんやリップさんと話す光景を思い浮かべた。
「パパとママに会う前に、朝ごはん食べちゃおっか!」
「ごはん!!」
「そう、ごはん!!せっかくだし、市場で美味しいもの食べよう!!」
慌てて教会を出てきたため、朝食はまだ済んでいない。
市場に行けば軽く朝食を取れるだろう。
私はグラジオ君の手を握り、この場を離れようとした。
「「マリー!!」」
私は背中の方から声をかけられた。
「カブさん!?」
振り返ると、たくさんの人の中からカブさんがこちらに向かって来ているのが見えた。
「なんだ?」
「あっ、聖女さんだ」
「本当だ」
「カブのやつ急に大きな声出してどうした?」
カブさんの声に反応して、カブさんと私の間にいた人たちは道を開けてくれた。
そのほとんどが、教会に来たことがある人や私がお世話になったことがある人たちだった。
「マリー、よかった。ちょうどここにいてくれて」
カブさんは息を整えながら話している。
「カブさんもここにいたんですね。討伐された竜は見れましたか?」
「その話は後でいい。今はとにかく急ぐんだ!!」
「急ぐって……えっ……」
私はカブさんの顔、そして感じていた違和感からカブさんが伝えたいことが想像できてしまった。
「クロッカスのやつが、クロッカスのやつが、」
「カブさん!!」
私は彼の言葉を遮った。
「パパ?」
「あっ、グラジオ……」
この場にはグラジオ君がいる。
カブさんの話は今この子に聞かせるべきじゃない。
「グラジオ君、カブさんと一緒に待っていられる?」
「うん!」
「グラジオ君は偉いねー」
私は下げていた腰をあげ、カブさんに頭を下げる。
「カブさん、すみません。少しの間この子の面倒をお願いしてもいいですか」
「あっ、あぁ、もちろんだ!」
「これ少ないですが、市場で朝ごはんを食べさせてあげてください」
「おっ、ああ,これは受けとれねぇよ。クロッカスには、何度も世話になったからよ」
私が出した小袋はカブさんに返されてしまった。
「カブさん、本当にありがとうございます」
「気にするな。それより早く、」
「はい」
私はカブさんにグラジオ君を託し、カブさんが指した方へと急いだ。
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「はぁー、はぁー、」
西門の外、街からは見えない場所に彼はいた。
「はぁー、はぁー、」
膝をつき項垂れている者。
壁に体を預け、一切動かない者。
それらの人を見て涙を流す者。
そこには様々な絶望が広がっていた。
「はぁー、あぁー、あぁーー」
そんな者たちから少し離れた岩に彼は横たわっていた。
「……なんだ、マリーじゃねぇか」
彼の弱々しくの力強い目は真っ直ぐと私を見ている。
「あぁ、あぁぁ、」
「おいおい、泣くなよ」
「でも、でも、」
優しく笑うクロッカスさんの体には左腕と右足がなかった。
「なぁ、グラジオは元気か?」
「は、はい、もちろんです!」
「そうか。それは良かった」
「良かったって、なんでそんな悲しいこと言うんですか!?」
彼の言い方ではまるで、
「自分のことは自分が一番よくわかってる。最後の力でここまできたが、俺はもうダメだ」
「そんなこと言わないでください!グラジオ君も、リップさんも、置いていくんですか!?」
そうだ、彼には大切な者がいる。
こんなところで、こんなところで……
「リップは先に旅立ったよ」
「えっ」
彼は左手の拳を緩めた。
するととても綺麗な髪飾りがこぼれ落ちた。
「守れなかった、俺がもっと強ければ」
ダメだ。
それはダメだ。
「悔しいな……悲しいな……」
「クロッカスさん!あなたは強いです!!私をこの街まで連れて来てくれたのはあなたです!私の中では、あなたが一番強いんです!!だから、だから、行かないでください……」
アザレアも、リップさんも、そしてクロッカスさんも……
「俺は冒険者だ。リップも冒険者だ。こうなる可能性は昔からあった」
「心残りは、最後に、息子の顔を、見たかった……」
「生きてください!グラジオ君もあなたを待っていますから!」
「ハハハ、それは嬉しいな。だけど、もう無理だ」
「どうしてそんな悲しいことを……」
「もう見えてねぇんだ」
私がクロッカスさんの顔を見ると、彼の目はどこか遠い場所を見ていた。
「俺は安心してんだ。グラジオのことを任せられるお前がいて……」
「クロッカスさん、大丈夫です!グラジオ君のことは、私が必ず、必ず!!」
「あぁ、頼む」
「はい!!」
そうだ、私は聖女だ。
この街唯一の聖女だ。
無力なんかじゃない。
無力なんて言っていてはダメなんだ!
「なぁ、マリー……俺は天界に……いけるか?」
「もちろんです!」
「ハハ……そうか。俺でも行けるか……」
エリーゼ教では、亡くなったものは天界と冥界に分けられると伝えられている。
「人生の最後に神を……マリーを信じるのも……やるく……ねぇな……」
彼の最後はとても優しい顔だった。
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その街は冒険者が溢れる開拓地である。
竜が討伐されたその街には、貴重な魔物を求めて商人も多く滞在している。
そんな街の片隅に小さな教会が建っている。
その教会からはいつも賑やかな声が聞こえてくる。
これは聖女マリーとその子供たちのお話である。