とある町の聖女 2
(マリー、いつまで寝てるの?)
「……んっ」
(早く起きなさい!)
「ハッ!!すみません!!んっ!?」
私は天井に向かって手を伸ばした。
そしてその天井がいつもと変わらないものだと気が付いた。
どうやら私が見ていたのは夢だったらしい。
それも何年も前の……
「朝日はまだ……だよね」
窓の外はまだ薄い。
あと一時間は日の出までに時間があるだろう。
私の日常は日の出とともに始まる。
まだ起きるのには早いだろう。
「……寒い」
私は再びベットに潜り込んだ。
……
「……やっぱり起きよう」
私の目はすっかり覚めてしまったようだ。
少し早いがベットから起き上がることにした。
---
私の一日は掃除から始まる。
この教会には聖女が私しかいない。
つまり、掃除も私一人で行わなければいけないのだ。
一人で行う掃除には、何時間も……
「よし終わった!」
石造りでできたこの小さな教会の掃除は一時間足らずで終わってしまった。
教会内の掃除が終わったら、次は外の掃除だ。
「あっ、ちょうど日の出だ」
私が教会の外に出ると、街の城壁から日が昇っているのが見えた。
「ん?マリーじゃねえか!」
馴染みがある声が聞こえ私は振り返る。
「クロッカスさんですか」
「その絶妙に嫌そうな反応は何だ?」
「別にそんな反応はしていませんよ」
実際私は彼に対して嫌な印象は持っていない。
「それでおまえはこんな朝早くから何してんだ?」
「日課の掃除ですよ。クロッカスさんは仕事ですか?」
私は当たり前のことを確認するように尋ねた。
「おまえ、まさか忘れたのか?」
「何をですか?」
クロッカスさんは呆れた顔をしている。
私は何かを忘れているのだろうか?
「はぁー、とりあえず俺の今日の仕事は休みだ。その理由を忘れているようだから教えてやる。今日は俺の大切な結婚式の日だ!!」
「あっ!!」
私はすっかり忘れていた。
今日は彼、クロッカスにとって大切な日であることを。
---
「本当にすみませんでした!」
「別にそこまで謝らなくてもいいさ。だが、お前が物忘れするなんて珍しいこともあるもんだな」
今朝の変な夢の影響なのだろうか、私は彼の結婚式の日を忘れていた。
「……ん?」
私は冷静に今の状況を分析していると、一つの疑問が浮かんできた。
「えーと、結局クロッカスさんはこんな朝からここでなにをしていたんですか?」
たしかに今日は彼の結婚式だ。
それならなおさら、彼がここにいる理由がわからない。
「……俺たちがこの街に来てもう三年になるな」
私が聖女となり、彼と共にこのパルスに来てもう三年になる。
私はこの街唯一の聖女として、少しずつ馴染んでいった。
クロッカスさんも冒険者として、開拓地であるこの街に馴染んでいった。
そして彼は今日結婚する。
「……緊張してるんですか?」
「柄にもなくな」
彼との付き合いも長い。
彼は意外と緊張しやすい人であることは知っている。
おそらく今日行われる結婚式に緊張して寝れなかったのか、もしくは早く起きてしまったのだろう。
「……ってな感じだな。おっと、少し長く話過ぎたな」
クロッカスさんは思い出話や近況、そしてのろけ話などを矢継ぎ早に話した。
「お前と話している内に、なんだか落ち着いてきたな」
「やっぱり緊張していたんじゃないですか」
「正直言うとな。さすが聖女といったところだ。せっかくだし、祈っていくか」
「クロッカスさんがですか?それこそ柄にもないことを……」
「おいおい、俺も一応エリーゼ教の信奉者だぜ」
「一応って、私以外の聖女が聞いたら怒りますよ」
そんなくだらない会話をしながら私たちは教会の中へと向かった。
「それにしてもここは、相変わらずだな……」
「仕方ないじゃないですか。これでも頑張った方なんですよ!」
クロッカスさんは石造りの教会に微妙な顔をしている。
私がこの街に来た時は木造の小さな小屋だった。
しかし、今やこの教会は石造りである。
実際私一人で管理するにはちょうど良い大きさだ。
「さて、さっさと祈るか。聖女さんよろしく頼むわ!」
「はぁー」
こんなに適当な気持ちで祈る人は他にいるだろうか。
---
「……神の御加護があらんことを」
私はクロッカスさんのための祈りを終えた。
「いやー、久しぶりに祈ると気持ちがいいな!」
「それならもっと定期的に来てくださいね」
私は彼の目を覗き込みながら伝えた。
「気が向いたときにな」
きっと彼が次に来るのは数か月後だろう。
「さて、俺は結婚式の準備があるからそろそろ行くわ」
「勝手に来たんですから、勝手に帰ればいいんですよ」
「はいはい。一応伝えておくが結婚式は昼過ぎからだからな」
「大丈夫です、もう忘れませんよ」
今日の昼過ぎからクロッカスさんの結婚式。
大丈夫、しっかりと覚えている。
「それじゃあ、遅刻せずに来いよー」
「わかってます!」
どうせ結婚式で会うので、彼とはあっさりと別れた。
「さて、仕事の続きをしないと」
私は再び日課の掃除へと戻った。
---
「よし、終わったー!!」
一通り仕事を終えた私は時計に目を向けた。
結婚式まではまだ時間がある。
結婚祝いの品はすでに用意してある。
「買い出しは昨日行ったばかりだし、今日は結婚式以外に予定は入っていない。んー、何をして時間をつぶそう……」
私の聖女としての主な仕事はエリーゼ教の布教である。
この街は開拓地であるため人の入れ替わりが多く、冒険者や商人も多くやってくる。
商人にはエリーゼ教を信仰するものが多い。
これには様々な権利なども関係している。
例えば、聖都で商業を行うためにはエリーゼ教に入っている必要がある。
こういった権利関係からエリーゼ教に入るものが多い。
一方で冒険者とエリーゼ教の関係はもう少し複雑である。
冒険者にとっての教会は、解呪の場として認識されていることが多い。
様々な魔物と戦う冒険者は呪いを受けることが多々ある。
そしてその呪いを解呪することができるのが教会なのだ。
教会といっても、解呪することができる人間はごく一部である。
その一部の人たちは皆聖都にいる。
つまり解呪するためにはエリーゼ教の力を借りなければいけないわけだ。
「嬢ちゃんいるかー!」
「はーい!!」
教会の入り口の方から声が聞こえた。
おそらく冒険者の方だろう。
「おっ、邪魔したか?」
「いえいえ、ちょうど暇していたところですよ」
訪ねてきたのはこの街の冒険者の一人で、よく教会に祈りに来る人物だ。
彼は以前呪いを受け教会で解呪してもらったらしい。
それ以来彼は熱心なエリーゼ教徒となったそうだ。
「……神の御加護があらんことを」
「ありがとうございます」
彼のように冒険者の一部は熱心なエリーゼ教徒である。
しかし冒険者全員が熱心なエリーゼ教徒なわけではない。
そういった者たちに布教していくことも私の大切な仕事である。
「そういやぁ、今日はクロッカスの結婚式か。嬢ちゃんはもちろん呼ばれてるんだろ?」
「はい、ありがたいことに」
「俺は仕事でいけないが、代わりに祝ってやってくれ」
クロッカスさんもこの街で働き、交流関係を広げているようだ。
「……そろそろ仕度しないと」
祈りを終え、冒険者を見送った頃にはいい時間になっていた。
私は結婚式に向けて準備を始めた。
---
「ここが会場……」
私は結婚式の会場にたどり着いた。
この街は日々拡張と改築が進められている。
そのため今回案内されていた式場も最近つくられた街の一画に建てられている。
私も初めて訪れる場所であった。
最初は周囲の住民に場所を聞きながら目指そうと思っていた。
だがその必要はなかった。
私は人の流れに誘導されて式場にたどり着いてしまった。
そう、たどり着いてしまったのだ。
それほどまでに大勢の方がこの式場に訪れていたのだ。
「あれ、マリーじゃん!」
式場をウロウロとしていたところ、聞き馴染みのある声に呼び止められた。
「アザレア、どうしてここに?」
私に声をかけてきた人物はアザレアだった。
彼女は私と同い年の冒険者である。
そしてこの街に来てから最初に仲良くなった人物だ。
彼女は明るく気さくな人物で、教会にもよく遊びに来てくれる。
熱心なエリーゼ教徒ではないが、数少ない私の友人の一人だ。
「マリーもここに……そういえば、クロッカスさんと仲が良いんだったね」
「アザレアこそどうしてここに?冒険者つながりでクロッカスさんに招待されたの?」
周囲にはこの街の多くの冒険者がいる。
教会で見た顔もそれなりに混じっている。
「あれ?もしかしてマリーは知らないのかな?」
「ん?」
「ほぉーー、そうかそうか」
アザレアは悪い笑みを浮かべている。
これは何か隠しているときの表情だ。
「アザレア、一体何を隠しているの?」
「今はまだ教えてあげなーい。どうせすぐにわかるだろうし」
「ちょ、ちょっと!?」
アザレアは人混みに紛れて私の前から姿を消してしまった。
「マリーちゃん?」
「おっ、聖女さんじゃないか」
「教会のお姉ちゃんだ!!」
アザレアを追いかけようとしたが、顔なじみの人たちに呼び止められてしまった。
これは結婚式が始まるまで自由な時間は訪れなさそうである。
---
「……まさか、まさかだった」
「フフッ」
私の隣でアザレアが笑っている。
「マリーは知らなかったもんね。それなら驚いて当然だよー」
「めちゃくちゃ驚いたよ!まさかアザレアがクロッカスさんの奥さんの妹だったなんて……」
これからアザレアとの関係は微妙なものに……
「ほらほら、どんな気持ちなのー?」
「いや、特になんとも思わないよ」
彼女がクロッカスさんの奥さんの妹だと紹介されたときにはとても驚いた。
これから彼女と気まずい関係になってしまうのかと心配もした。
だが、冷静になって考えてみると全くそんなことは無かった。
そもそも私とクロッカスさんの関係はただの友人だ。
場の雰囲気に流され、まるで父親のように感じていたがただの友人だ。
つまり、アザレアとの関係はいままでと何ら変わらないのだ。
「おーい、マリー!!」
私が冷静さを取り戻した頃、クロッカスさんが奥さんと共に回ってきた。
先ほどまでは遠目で気が付かなかったが奥さんはかなり体躯の良い方だある。
「こいつはマリーだ」
「もっとちゃんとした紹介があるでしょ」
いくらなんでも雑な紹介だ。
奥さんとは初めしてなのだから……
「えぇ、知っていますよ。教会には数回ほど足を運んだことがありますので」
私は目の前の女性を知っていた。
この街の冒険者の一人で、何度か教会に訪れている女性だ。
遠くからでは気が付かなかったが、確かにアザレアに顔が似ている。
「エリーゼ教の聖女マリーです」
「リップです。私自身は熱心なエリーゼ教徒というわけではないので、」
「大丈夫ですよ」
リップさんは少し気まずそうにしている。
「隣にいる方の方が信仰に関しては適当だと思うので」
「おいおい、急に俺にふるなよ!」
「ふふっ」
クロッカスさんに話を振ることで場の空気は和やかになった。
本当に便利というかありがたい男である。
「クロッカスやアザレアから話を聞いていましたが、とても優しい聖女さんですね。教会の方はどうしても厳しい人物というイメージがありましたが、あなたは違うのですね。久しぶりにお祈りに行こうかしら」
「いつでも教会にいらしてください。アザレアは本当に気軽に寄って行きますから」
「ふふっ」
なんて幸せな時間なのだろうか。
私は物心ついた頃にはすでに教会に預けられていた。
だから家族というものを深く知らない。
確かに教会は家族のようなものだった。
だがあくまでようなものに過ぎない。
クロッカスさんとリップさん、そしてアザレア。
彼らの幸せな時間がずっと続くことを願っている。