9 未来
「お待たせいたしました」
私はお義母様をクリスタルホテル、シェーンベルグ支店の最上階のお部屋に呼び出しました。前回泊まり損ねたお部屋です。
「オリビアちゃん、今回のこと、色々ありがとう」
「お義母様、座りましょう!美味しい食事を用意してもらったんですよ?もちろんデザートも。ここの料理長が予算度外視で選んだ食材で作った力作ですわ」
「まあ!素敵!楽しみだわ」
別室ではリオネルとバスチアンも同じものを愉しんでいます。料理長の本気を味わうなんてなかなかない機会ですから。
あの二人はとても仲良しです。馬が合うというのか、価値観が合うというのか、全く異なる人生を歩んできた二人ですが、妙に仲が良いのです。
シェーンベルグのお酒も味わっていることでしょう。その後はカードゲームかチェスか。男性同士の俺たち分かり合ってるぜ感って不思議です。長時間一つのことで遊んでいることもありますし、ヒリツキを愉しんで、喜んで。妙な信頼感や連帯感があったり、失敗しても笑って済ませるあの感じ。初めて見た時はカルチャーショックでしたわ。
さて、お義母様です。彼女は今料理を堪能しています。無邪気な笑顔、嬉しそうです。なかなかない経験でしたから、神経をすり減らしたことでしょう。せめてデザートまでは楽しいまま過ごさせてください。労りの気持ちは嘘ではありません。
「オリビアちゃん、美味しかったわ。今まで食べた中で一番かもしれないわ。ありがとう」
「私も幸せな時間でしたわ。料理長の本気、素晴らしかったですわ」
部屋には静寂が訪れました。お互い嫌な話をしなければならないことが分かっています。このまま、何も無かったことにするのも一つの方法ですが、小さな蟠りはずっと胸の中で燻り続け、じわじわと心の奥底を蝕むのです。
「お義母様を占わせていただいてもよろしいですか?」
「……ええ。今日は覚悟を決めて来たの。お願いするわ」
「分かりました。ではこちらの部屋へどうぞ」
隣室に占いの場が用意してあります。私とお義母様は水晶玉を挟んで向かい合って座りました。
「では、心をゆったりとさせてお待ちください」
お義母様は目を閉じて深呼吸を一つ。緊張はしているものの、心は決まっているようです。
「お待たせいたしました」
お義母様を象徴するカードは純粋。良くも悪くも真っ直ぐな方です。貴族社会では上手く息が吸えなくなるタイプ。実直なお義父様との出会いは僥倖だったに違いありません。
はるかからのメッセージは淡い恋と姑。有名な映画のワンシーンと有名なドラマの登場人物の映像を送ってきました。もう一枚カードをめくります。
幻想。なるほど。さらに一枚。エネルギッシュなカードが出ました。
「お義母様とエンリッヒ侯爵の関係を教えていただけますか」
「リオネルが言った通りね。オリビアちゃんには全部お見通しなのね」
お義母様は困ったように笑いました。
「婚約者だったの。とは言え、口約束だったから記録には残っていないし、彼も覚えていないかもしれないわ。でも私にとっては初めての婚約者だった」
「エンリッヒ侯爵のお母様の反対があったのではありませんか?」
お義母様は一度言葉を飲み込んでから話し始めました。
「ええ。私がお気に召さなかったようなの。突然彼とは連絡が取れなくなって、会えなくなった。私はデビュタントが迫っていたから、婚約者探しが本格化していて、お父様に彼との約束を伝えたら言われたわ。現実を見なさいって。子爵家の何の利点もない娘が侯爵家に嫁げるわけがないだろう?それに彼は同じ侯爵位のお嬢さんと婚約をしたばかりだ。愛人になるのだけはやめてくれ。お日様の下を歩いてほしい。一時の気持ちで未来を棒に振るのはやめてほしい、と」
お義母様は当時の辛さを思い出されたのかハンカチで目元を押さえました。きっと明るく振る舞う影で、誰にも伝えられずお一人で抱え込んでいたしたのでしょう。
「そうでしたか……」
「ジェロームと出会って、婚約者として交流をするうちに、お父様が言っていたことは正しかったって、そう実感したの。誰とは言えないけれど、学生時代のお友達の中には愛人になった人もいるのよ。彼女が言ったの。愛人を作るような男は新しい愛人を何人も作るの、って。あなたは正しかったわ。あの時は意気地なしなんて言ってごめんなさいって。そう言った後、彼女は失踪したの。それ以来もう会っていないわ」
ハラハラと泣くお義母様にタオルを差し出しました。
「ありがとう。あら、ふわふわなのね。優しい触り心地だわ」
涙声のお義母様。落ち着かれるのを静かに待ちます。水晶玉を見てみると、はるかが花束のイメージを送ってきました。
「花束……」
「あら、そんなことも分かってしまうのね。ジェロームが初めて私に会う時に花束をくれたの。花束なんて初めて貰ったから嬉しくて。彼は私に手紙も贈り物もくれなかったから、初対面の人がこんなに気遣ってくれるのにって。これをキッカケに、口約束とは言え婚約を申し込んだ相手に何もしない彼への想いが一気に冷めてしまったの」
「そうでしたか……その『彼』がお義母様と結婚したお義父様に嫉妬したのが、今回の一連の出来事のそもそものキッカケだったんです」
「嫉妬?嘘でしょう?」
「あまり奥様と上手くいっていないようですわ」
これはバスチアンからの情報ですわ。
「お義母様との楽しかった思い出が美化されて、幸せそうなお二人を夜会で見て、彼女の横にいたのは俺だったハズなのに……といった歪んだ嫉妬心です。結局はご自身は何もせず、幸せを享受したいのです。お義母様が庭師のパットから聞いたような甘美な感情ではございませんわ」
「パット……最初、彼は何だか胡散臭くて信用できないと思ったの。でも何度も話すうちに分からなくなってしまって……彼が私に会いたがっている、なんて。結局あの騒ぎが起きたから有耶無耶になってしまったけれど、あのまま何度も話していたら、私は無事だったかどうか分からないわ」
「ご無事で何よりです。残念ながら、パットに騙された侍女が二人いました」
「他所から預かったお嬢さんだったのに、申し訳ないわ」
「お義母様と庭師に何度も会話の機会があったのはやはり不自然でしたから。彼女たちは自業自得です。彼女たちにとって手痛い恋になってしまいましたけど、今は手に職を付けて、変な男には引っかからない!と学校に通い始めましたわ」
「そう。ありがとう。私、駄目な主人ね」
「そこでお義母様にご提案です」
「私に?」
「はい。手に職を付けませんか?選択肢はいくつかご用意できます」
私はシャンタルさんにも見せた資料をテーブルに並べました。
「刺繍なら私にもできそうだわ」
「それでしたら、クリスタル公爵家に遊びにいらっしゃいませんか?来月刺繍好きの集いの予定がありますの。近隣の領地の方が集まってモチーフやデザインを考えたり、糸や道具を選んだりするんです。珍しい品も取り揃えるそうですわ。ただ、厳しい方の集まりなので、失言をするとすごく怒られますけど、それでも良かったらいかがでしょう?」
「私の余計な言動が今回のことを招いたのだと、エミリオに言われたわ。オリビアちゃんがいなかったら家がなくなっていたかもしれないって……私、行ってみるわ。言動を注意してくださる方は貴重ですもの。ぜひ学ばせていただきたいわ!」
「分かりました。シェーンベルグの未来のための第一歩です。お義母様の心意気、承りましたわ」
「私頑張るわ!ジェロームを支えたいの!」
「はい!」
晴れやかなお顔のお義母様はイキイキと輝いています。私はこのお顔を見るのも好きです。新しいことに挑戦する時の高揚感。希望に満ちたこの瞬間。未来への小さな光を掴もうとするこの一瞬。素晴らしい瞬間に立ち会えて満足です。