8 選択肢
「シャンタルさん、お待たせしましたわね」
私は騎士団の詰め所の一室でシャンタルさんと向かい合って座っています。背後には二人の男性、バスチアンとバスチアンの部下の中でも一際体の大きなゾマが立っています。
「エルヴェさんと奥様はご無事です」
俯いていたシャンタルさんはバッと顔を上げて私を見ました。信じて良いのかどうか逡巡しているようです。
「お二人は栄養失調と診断されて、今は病院で治療を受けています。間に合って良かったですわ。遅くなってしまってごめんなさいね。ここまでお連れするのは難しかったので、お手紙を預かってまいりました」
封筒をシャンタルさんの前に差し出すと、震える手で封を開けて読み始めました。
シャンタルさんの目からはポロポロと涙が溢れ落ちます。
「よかった……」
「頑張りましたね」
ハッとしたように私を見て破顔したシャンタルさんのお可愛らしかったこと。ゾマが恋に落ちたのも仕方がありません。
「エルヴェさんご夫婦には休養が必要です。しばらくはシェーンベルグ伯爵家がクレンベルグの市長業務を兼務します。お二人の体調が戻ったらまた市長として働いてもらう予定です」
「……良いんですか?ありがとう、ありがとうございます!」
ゾマがスッとハンカチを手渡しました。
「ありがとうございます」
シャンタルさんは涙を拭こうとしますが、次から次へと涙が溢れ出てきます。私は紅茶を飲みながら、彼女が落ち着くのを待っていました。
しばらくして、シャンタルさんは顔を上げました。覚悟を決めた人の顔です。私はこの顔が好きです。腹を括った時の、人が成長した瞬間の顔。心持ちを変えただけなのに不思議と顔付きが変わるのです。
「あなたには選択肢があります」
「選べるのですか?」
「ええ。あなたの未来はあなたが決めてください。どうか、ご自分の人生はご自分で選んでください。上手くいくかどうかはその先の問題です。上手くいかなかったら、また違う道を模索しましょう」
「私は罪に問われるのではないのですか?」
「あなたは加害者です。ですが、同時に被害者でもあります。それに、今回の一連の出来事は公にはなりません」
「公にならない?」
「ええ。まず、あなた以外の方がどうなったかお話ししましょう。それからあなたの未来を考えていきましょうか」
「……私の、未来」
「主犯のパトリックは鉱山で働いています。彼よりも屈強な、ここにいるゾマが可愛らしく見えてしまうような方々が働いている場所です。パトリックの様な体型の方でないと入れないところがあるものですから、重宝すると思います。鉱山は盗難防止や危機管理の問題から入出山に厳しい制限があります。中では快適に過ごせるように配慮されていて、意外と人気の職場なんですよ。ただ、通常の労働者にはお休みがありますけど、パトリックは特別扱いなので、余程のことがない限りもう街で会うことはないでしょう」
シャンタルさんは言葉もなく大きく頷きました。
「エルヴェさんのフリをしていた従兄弟の方、パトリックのお父さんですね。彼が今どうしているかは分かりません。彼の奥さんと一緒にエンリッヒ侯爵家に引き渡しました。エンリッヒ侯爵のお手付きを公言してパトリックの出自を偽った件です。養育費などのお金が動いていましたから。ただ、その後どうなったのかは誰も知りません」
息を呑んで表情を硬くしたシャンタルさん。ゾマが心配そうに寄り添っています。
「貴族相手の詐欺ですから」
シャンタルさんはギクシャクしながらも頷きました。
「これはここだけの話にしていただきたいのですが」
「分かりました。誰にも言いません」
「あなたのお兄さんのフリをしていた男性はパトリックの弟ですね」
「はい」
「彼は入院しました」
「入院、ですか?」
「ええ。彼のお母さんが失踪した後、混乱が激しく、今は専門の病院に」
「混乱、ですか?彼が……」
「お母さんに依存していましたから」
「依存……そう言われてみると、彼はいつもあの人の意見を聞いていました」
シャンタルさんは何か思い当たることがあったのか、何度も頷きました。
「今は彼が落ち着くのを待っている状態です。簡単には街に来れない所にある病院です。クリスタル公爵家の領地にあるので」
「私が言う立場ではないのは承知していますが、ありがとうございます。彼は私には無害だったのです」
「そうでしたか」
私はバスチアンが用意してくれたハーブティーを一口飲みました。顔を上げてシャンタルさんを真っ直ぐに見ます。シャンタルさんは姿勢を正して私を見ました。扉を叩く音がしました。準備ができた合図です。
「門番だったマルクは職を失いました。紹介状はありません。シャンタルさんはマルクの恋人だという認識で合っていますか?」
一瞬で顔色が悪くなってしまったシャンタルさんは首を横に振りました。
「シャンタルさんはマルクを恋のお相手として考えたことはなく、単なる幼馴染、兄弟の様な存在、と言ったところでしょうか?」
敢えて名前を出し、可能な限り滑舌良く話しました。
「はい。おっしゃる通りです。一度も恋の相手として考えたことはありません」
「なんでだよ!」
扉が乱暴に開かれ、マルクが体を縄で縛られたまま乱入してきました。
「家に泊まったんだから、お前もそういうつもりだったんだろう?俺に愛されたかったんだったんだろう?」
扉の前に連れてこられていたマルクはシャンタルさんの本音を知って激怒しました。
警備の隙をついて飛び込んできたようです。彼の未来のためにも、と許可したのですが、騎士団の方にお任せしたのがアレでしたわね。マルクは静かに怒ったゾマに回収されていきました。シャンタルさんを驚かせてしまいましたね。
「マルクとの未来は望んんでいないのですね?」
「……望んでいません。彼は、そのぅ、怖い、ので」
「何かありました?例えば鏡で自分を見ながらウットリとしていたり?」
「そうです!」
「自分をカッコいいと思っているような言動が多かったり?」
「そうなんです!」
「シャンタルさんが自分を好きだと思い込んでいるような言動が?」
「もう、本当に怖かったんです!」
またハンカチで目を押さえてしまいました。そろそろタオルを渡しましょう。バスチアンをチラッと見ると、スッとタオルが出てきました。シャンタルさんはビッショリになったハンカチをテーブルに置いてタオルを目に当てました。ちょうどゾマが戻ってきてハンカチをポケットにしまいました。ちょっと怖いです。いえ、私は何も見ていません。
「マルクは辺境の騎士団で鍛え直してもらうことになりました。検査の結果、彼は騎士の適性だけは高かったのです。辺境の騎士団は偉丈夫が集まっていますし、危険度が高い地域で日々忙しく、猫の手も借りたい状態だそうです。あの街に行けば、他の街には簡単には来れませんから」
シャンタルさんに私の意図が伝わったようで、肩の力が抜けるのを見て私もホッとしました。好きでもない人から自分を好きだろう?と迫られるのは恐ろしいですよね。
「余談ですが、パトリックが乗っ取ろうとしていたクリスタルホテルは無事軌道修正されました」
「あのホテルはクリスタル公爵家のホテルですよね?公爵家にまで……本当に恐れ知らずの方だったんですね」
「ええ。支配人と料理長が張り切っています。クリスタルホテルは従業員を教育する学校を持っているんです。ここだけの話、全員私の顔を知っているので、従業員で私を知らない方がいらしたら何かしらの不正があるということなのです。今は正規の従業員のみになって、信頼回復に向けて一丸となっているところです」
シャンタルさんの頷きが止まりません。
「クリスタルホテルの従業員もシャンタルさんの選択肢の一つなんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。もちろんお父様お母様のおそばに、というのも選択肢ですし、ドレス、装飾品、鉱物加工、保育士、髪結士、事務、どんなことがお好きですか?職人も目指せますし、得意なことが分からないのなら全部経験することもできますよ?」
私はテーブルに一つずつ資料を並べました。
「なぜ、あんなに迷惑をおかけした私にこんなに良くしてくださるんですか?」
「私占い師なんです。ああ、そうでした。占い師も目指せますよ?」
「うらない?」
「ええ。未来の可能性を知る手立ての一つです。私の占いによると、シャンタルさんは再生できます。再び生まれ変わることができる、と出ましたので、こうしてお誘いしています。私の占いは未来の示唆でしかありませんから、ご自分で頑張っていただかないといけませんけど」
「……ありがとう、ございます」
嗚咽混じりの彼女の言葉。私は彼女はもう大丈夫だと確信しました。
追い詰められた方は本来のご自分とはかけ離れた言動をしてしまう事があります。シャンタルさんは本来はきちんと教育を受けた方。未来を担う子どもの一人です。迷惑をかけた方々に謝罪はしないといけませんが、本来のご自分で未来を歩んでほしいと願っています。