5 闇
最愛の夫リオネルと二人きりの朝食です。こうして二人で食事をしていると、ここ数日のドタバタが嘘だったように穏やかな時間が流れます。味、以外……
「昨日のレストランは素晴らしかったのに、ホテルの食事は規定以下ですわ。お金が上手く回っていないのかも知れませんわね。料理人の腕は良いけれど、材料費が十分でないような……」
「そう言われて改めて考えてみると、寝具も少し違和感があるかな。気のせいかも知れないけど……」
「同感ですわ。自宅の寝具はこのクリスタルホテルと同じ寝具を使っていますの。ですから、リオの違和感は布類の洗剤のせいだと思いますわ。元々使っていた布類ではなくなっている可能性もありますけど」
「洗剤?」
「ええ。布類は使う洗剤によって仕上がりが異なりますの。良い洗剤はお値段も張りますから」
リオネルはうんうんと頷いて聞いています。
「誰かが中抜きをしているんでしょう。もしくは転売か」
「はあ……うちの領の者がすまない」
リオネルは悲しそうです。
「謝らないでくださいませ。まだそうと決まった訳ではありませんわ。どこの誰が何をしているのか分かりませんもの。あら、そろそろ行きませんと」
私たちは楽しい時間を終え、お義母様とお義兄様が待つ部屋へ移動しました。恐らく今日が山場です。頑張ります。
「おはよう、オリビアちゃん。エミリオから聞いたわ。私が勢いで決めた縁談のせいで、今大変な事になっているって……」
エミリオというのはお義兄様ですわ。
「お義母様、もう終わった事ですから考えても仕方がありませんわ。今はとにかく対応するしかありません。ここしばらくお義母様を悩ませていたシャンタルさんも拘束されましたし、静かな日常を取り戻すまであと少しの辛抱です。お顔の艶も戻られたようで安心いたしました。ただ、このホテルが最高の状態ではないことをお詫びいたします。テコ入れが済みましたら、改めてご招待させてください」
「このホテルはオリビアちゃんの?」
「ええ。クリスタルの名を冠していますが、私が経営者です。これを機に他のホテルも確認しようと考えているんです。今回のことは経営状態を見直す良いきっかけになりましたわ」
「そう。大変ね。じゃあ、ここに来て良かったということかしら」
「ええ。仰る通りですわ。あ!そうでしたわ!そろそろお義父様が到着される頃合いではありませんこと?」
部屋の入り口の方を見るとバスチアンが扉を開けました。ちょうどそこにはシェーンベルグ伯爵が、お義父様ですわね、立っていましたの。マジックかと思いましたわ。
「ジェローム!」
「イヴォンヌ!無事で良かった……」
二人はヒシッと抱き合った。仲睦まじいお二人のご様子。安心しましたわ。
「オリビア様、ありがとうございました!」
お義父様が頭を下げておいでです。私義娘なんですけれど良いのかしら。
「門番の男が家まで引き入れたと聞いて眩暈がしました……」
「シャンタルさんのことはご存知ですか?」
「リオネルを罵倒したところは私も見ておりました。離れてはいましたが、声が大きかったので……」
「それは、お義父様もお辛い思いを……」
「いや、お恥ずかしい。まさか市長の娘があのような状態だとは思いもしませんでした。さらに数ヵ月後に家に乗り込んでくるなど想像もしていませんでした」
私はただ頷きました。立ち話だった私たちはリオネルの勧めで、全員椅子に座りました。バスチアンがお茶とお菓子を用意してくれます。気が効く男です。
お義父様は紅茶で喉を湿らせて少し落ち着かれたようです。
「オリビア様から頂いた、懲罰案、本当にこんなにお任せしてよろしいのですか?内容に関して不満はないのですが、オリビア様のご負担が大きいのではないかと」
「私の予想通りですと、このあとシェーンベルグ伯爵家が迎える困難を考えますと……それに比べましたら、私の負担など小さい方ですわ」
「嫌だわ、オリビアちゃん。怖いこと言わないでちょうだい」
お義父様がお義母様の肩を抱いて、ご自分に抱き寄せ、まるで大丈夫だよ、と仰るように肩を揺らしました。
「重ねて申し訳無いのですが、皆さまには二、三日ここで過ごしていただく必要があります。屋敷の改装が一朝一夕では難しかったものですから。カードやチェス、本を何冊かご用意しましたので、こちらでのんびりお過ごしください。ホテルがあまり快適な状態でないのが心苦しいのですが」
「いいえ。十分よ、オリビアちゃん。お気遣いありがとう」
お義母様が私の手を取ってポンポンと叩いてくれました。
「何かありましたら遠慮なく仰ってくださいね。それでは私は仕事に戻ります。失礼いたします」
リオネルとハグとキスを交わして別室へ行き、私はお仕事です。近隣のクリスタルホテルとの調整で従業員が増えました。人手が足りないところを補ったり、経理の監査を同時並行で行います。早速テコ入れです。
「監査ですわ。よろしいですか?このホテルはあなたの物ではありません。クリスタル公爵家の持ち物です。そのホテルで支配人を自称して好き放題したご自分の罪がどんなものか、お分かりですか?」
私を蔑んだ偽支配人は椅子に縛り付けられています。彼は公爵家の許可なく支配人を名乗ったのです。詐欺、横領、威力業務妨害、この世界では端的に「乗っ取り」ですかね。
バスチアンによると、本物の支配人は簡単に見つかったそうです。バスチアンの部下が声をかけた時、彼は言葉もなくただ頷いたそうです。
彼の盟友の料理長は減らされた予算でなんとかやり繰りしていたのだそうで、お二人で手を取り合って喜んでいたそうですわ。
お二人にはご家族の生命を脅かすような圧力があったそうです。すぐに動くのはやめ、毎年必ず入る監査の時まで耐え忍ぶ方を選んだのだそう。
監査がこんな風に役に立つなんて思ってもいませんでしたわ。ちなみにご家族も二人が危ないと聞かされていて、どう動いて良いのか判断できなかったのだそうです。
「ふんっ、偉そうに。何が公爵家だ。いずれ今の王家ごと失脚するくせに。借金まみれなんだってなあ。いくら地位があったって金が無けりゃどうせ手放すんだろ?」
意地悪な笑みを浮かべて下から上まで私を舐めるように見ました。
「私、この数年で資産が数倍になってしまって、それはそれで困っているのですけれど?」
「はあ?何言ってんだ。嘘をつくんじゃねぇ。ジャン=リュック様が言ってたぞ。この領地はいずれジャン=リュック様の物になるんだよ。さっさとこの縄を解け!俺が誰だか分からせてやる!」
偽支配人はガタガタと椅子を揺らしました。バスチアンが彼の耳元で何か囁くと、目を見開いて顔色を変え、黙り込みました。動揺が顔に出てしまっています。呼吸をするのを忘れてしまったかのように。
ジャン=リュックというのは、シェーンベルグの東側にある領地を運営しているエンリッヒ侯爵家の次男、パトリック・エンリッヒのことです。
彼はシェーンベルグの乗っ取りを図っていました。シェーンベルグ伯爵家の良くない噂を流し、お金をチラつかせてまずクレンベルグを掌握したようです。バスチアンの部下の方々調べです。
最初の誤算はシャンタルさんでしょう。リオネルとシャンタルさんを結婚させてシェーンベルグを乗っ取ろうとしたのです。
パトリックは計画の第一歩としてシャンタルさんを送り込んだものの、彼女は思惑通りには動いてはくれませんでした。彼女好みの反応をしなかったリオネルに怒り、感情のまま罵倒して帰ってしまいました。
その後も関係者、と言っても脅迫をしていたり、借金を無理やり作らせて従わせようとしたり。人望とはかけ離れた方法で婚約者候補を作り上げていました。
そもそもなぜリオネルが狙われたのか。それは、残念ながら、お義母様に原因がありました。お義兄様には婚約者の方がいらっしゃるんですが、今はまだ学生さん。結婚するのはまだ数年先です。
リオネルの相手を探さなくては、と焦ったお義母様はお茶会や夜会でリオネルの宣伝をしたのだそうです。その時、リップサービスで滑りに滑ったお口で、先に子を授かった方に家を継がせるようなことを匂わせたらしいのです。
一気にリオネルへの関心が高まり、数多の婚約の申し込みがありました。早く結婚して欲しかったお義母様は届いた釣書の内、年齢がリオネルより少し上の方々を優先してお見合いをセッティングしました。
とにかく早く孫の顔が見たかったらしいのです。お友だちに孫自慢をされて羨ましくなってしまったのだそうです。