3 恥辱
マルクの異様な姿、バスチアンの鋭い視線。段々と状況が飲み込めたのか、興奮が収まってきたのか、シャンタルさんは泣き出してしまいました。
涙がポロポロと零れ落ちます。シャンタルさんは恐怖からか震え始めました。バスチアンの指示でシェーンブルグの侍女がお茶を運んできました。
私はシャンタルさんにお茶とお菓子を勧めて、目の前で一口紅茶をコクリと飲みました。毒は入っていませんよ、というアピールです。
「シャンタルさんはなぜ、この家の次男と結婚すると考えていらっしゃるのかしら?」
私はシャンタルさんに優しく問いかけました。背後からバスチアンの無言の圧が彼女を襲います。彼女は震えながらも話し始めました。
「……お父さんがそう言ったから。それにお母さんもやっとあんたが役に立つ時がきたって喜んでた……あたし、結婚できないと家に帰れないの」
「今どちらに住んでいらっしゃるの?」
「……マルクの、家に……」
「結婚前の女性が男性の家に泊まるということは、その方と関係があると思われても仕方のないことだという自覚はあるのかしら?」
「マルクは私を心配してくれただけで!」
「男性と女性でしょう?」
「……そうだけど。そんなんじゃないし……」
「マルクとはどこで知り合ったのかしら?」
「マルクは幼馴染で。兄みたいな」
「そう。あなたのせいで彼が仕事を失うことは理解しているかしら。場合によっては死罪よ?」
「うそ!そんな!ちょっとあたしを通しただけで!」
「貴族の家の門を預かった者が雇い主を苦しめる存在、あなたのことね、職務放棄をして家に招き入れた。背信行為ね。もう誰も彼を雇わないし、斬り殺されても文句は言えないわね。彼も市井の方でしょう?」
「そ……んな……」
「どんな教育を受けたのか存じあげませんけど、不十分だったようですわね」
「彼を許して!あたしはどうなってもいいから。あたしのためにしてくれたの」
「そう。あなたはどうなってもいいのね?」
マルクは激しく首を横に振って、足をドンドン鳴らしましたわ。横に倒されたままなのに器用だこと。シャンタルさんに抗議をしているのね。そんなこと言うな、と言いたいのかしら。
「残念ながらあなた方に選択肢はありませんわ。保護者の方もお呼びして、処遇を決めましょう」
私がチラリとバスチアンを見ると、バスチアンは少し目線を下げて、侍女に指示をしてシャンタルさんを縛り上げました。
顔色が悪くなったシャンタルさんは、俯いてしまいました。諦めのようなものを感じます。私はこの家の人間ではありませんから、最終判断はシェーンベルグの方がしなくてはいけません。ご提案はしますけれど。
またマルクが暴れないようにバスチアンの部下の方が布でグルグル巻きにしました。先ほどのように足踏みをされてしまうとお義母様が驚いてしまいますし、彼は貴族と市井の者の違いがあまり分からないようですから。
シェーンベルグの領地内の教育が行き届いていないようですわ。このまま他領の貴族を相手に問題を起こされると困ってしまいます。一体何が起こっているのでしょう。
私の最愛の夫、リオネルを含むシェーンベルグの方々が戻られるのを待つ間、はるかに聞いてみました。メッセージは見たことのない男性の顔。彼が私腹を肥やしているようです。なんとまあ。
「オリビア!」
最愛の夫、リオネルが焦った顔で部屋に飛び込んできましたわ。可愛らしい方。心配してくださったのね。
「リオ」
「良かった。オリビアの事だから大丈夫だとは思ってはいたけれど、心配で心配で。良かった」
リオネルが私を抱きしめました。私は彼の背中をポンポンと宥めるように叩くと、彼は私をさらに深く抱きしめました。
「リオ、皆さまもいらっしゃいますのよ?」
耳元でそう言うと、リオネルはハッとして私を離しました。
顔を赤らめたまま、何事もなかったかのように椅子に座ったリオネル。本当に可愛らしい方。あら?リオネルを見てもシャンタルさんは無反応ですわ。お見合いをした頃よりもだいぶシュッとしましたから、分からないのかもしれませんわね。
「オリビアちゃん!」
お義母様とお義兄様が同時に部屋に入っていらっしゃいました。
「オリビア様!申し訳ありませんでした!我が家の不備でとんだご迷惑を……」
お義兄様が頭を下げていらっしゃいます。
「皆様方、まずは座りましょう」
私の言葉を受けたバスチアンが侍女に指示を出して皆様を席に座らせてくれました。ハーブティーを用意してくれたようです。心が落ち着く効果のあるものですわね、きっと。
お義母様が床に転がされたマルクに気付かれましたわ。あ、見なかったことにされました。シャンタルさんの方は怖くて見れないようですわ。
「シャンタルさん、この中にあなたが求婚されたと言うシェーンベルグ伯爵家の次男はいますか?」
シャンタルさんは不思議そうに首を横に振りました。
お義母様とお義兄様は驚かれています。
「お義兄様、ここにシェーベルグ伯爵家の次男はいらっしゃいますか?」
「はい」
お義兄様は不思議そうに頷きました。
シャンタルさんは不思議そうに瞬きをして、マルクを見ました。簀巻き状態のマルクは応えることはできません。シャンタルさんはこの部屋にいる男性の顔を順々に見て確認をしています。
「お義兄様、お手数ですが、シェーンベルグ伯爵家の次男を指差していただけますか?」
お義兄様は怪訝そうにリオネルを指差しました。
驚きで目を見開いて息を吐くのを忘れてしまったシャンタルさんは、一度動かなくなり、顔を真っ赤に染めると俯いてしまいました。
求婚してきた男の顔が分からないというのに、大立ち回りを演じた自分が恥ずかしくなった、といったところでしょうか。
それに、私たちが仲睦まじいことも伝わったと思います。シャンタルさんとお見合いをした男はもういないのだと分かってもらえたのではないかしら。
凄い目つきのマルクは私たちを睨んでいます。横暴な私たちがシャンタルさんを傷付けたとでも考えているのかしらね。被害者はどちらなのかしら。
あと一時間もすれば、バスチアンの部下たちがシャンタルさんのご家族をここへ連れてくるでしょう。
「お義兄様、全員がここに揃うまであと一時間ほどございます。事業のお話をさせていただいてもかまいませんか?」
「もちろんです。では別室で」
「そうですね。お義母様にもご確認いただきたいことがありますので、是非ご一緒に」
「分かったわ」
「オリビア、僕も同席するよ?」
「リオ、もちろんですわ」
「俺はここで見張っていますね」
「ええ。お願い」
事業の話は順調に進み、シェーンベルグ内の諸々の手配等の打ち合わせもこれでほぼ終わりです。そろそろ夕方になろうかという頃、バスチアンの部下が戻ってきました。きっと面倒な方々なのでしょう。
シャンタルさんのお父さま、お兄さま、お母さまの順に部屋に入ってきました。お母さまはシャンタルさんを見つけるなり駆け寄りました。心配していたのだろうと思ったのも束の間、彼女はシャンタルさんの頬を打ちました。
はい、虐待の現行犯です。
「使えない女だねぇ!男の一人や二人誑かせないで家に帰れると思うんじゃないよ!」
手の甲で反対の頬を打ちました。想像以上でしたわ。
バスチアンの部下が彼女を取り押さえました。猿ぐつわも咬ませて簀巻きにしました。何をするかわかりませんからね。お義母様には刺激が強かったようで、気を失ってしまいました。取り押さえ方が不味かったかしら。
お義兄様がお義母様を部屋へ運んでくださいました。お義兄様が戻ってくるまでに、バスチアンの部下の方々がシャンタルさんのご家族を縄で縛り上げました。
「オリビア様、お騒がせしました」
お義兄様が困ったようなお顔で私を見ました。
「お義兄様、オリビアとお呼びください。義妹ですし」
「いえ、あなたの方が身分が上ですから。それに、弟が嫌がります」
揶揄うような顔でリオネルを見るお義兄様。
リオネルは大きく頷いていました。
「兄だからこそ嫌だ」
甘えたような拗ねたような顔で私を見るリオネル。執着されるのも良いかもしれません。
「分かったわ」
「何を見せられているんだ、我々は。なぜいきなり縛り上げられたのかも分からん!伯爵風情がこんな事をして許されると思っているのか?」
シャンタルさんのお兄さまが忌々しそうに吐き捨てました。彼を咎めるものは一人もいません。あらあら。
「では、改めまして、オリビア様、早馬で父から連絡がありました。この者たちの処分はオリビア様にお決めいただくように、と」
「処分案はご提案できますけど、最終的にはシェーンベルグ伯爵にご判断いただきたいです」
「御随意に」
そう言ってお義兄様はお辞儀をされました。